ヒカルの碁

□ふりむかないで
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アキラ
「し、進藤、暴れたら濡れるよ」

ヒカル
「あーもー、ベタベタすんなって云ってんだろ、うっとおしい!
ったく、よく人前で恥ずかしくもなく、そんな事が出来るもんだぜ」

アキラ
「だって傘が小さいんだから…あっ!
進藤、せめてこの傘を持って――!」


このところヒカルは何故だか無性に苛々してしょうがなかった。

その苛つきはアキラに対してだったのか、自分自身に対してだったのか――



ふりむかないで



ヒカル
「ふーっ、つっかれた!」


ヒカルはアキラと別れ、雨に濡れた裾もそのままに、帰るなり早々にベッドに倒れ込んだ。

それは身体が疲れての事ではない。

精神的な疲労だ。

ここ数日理由も分からぬ焦燥感が、彼の意識を支配していた。

いや、理由は分かっている筈だ。

だけど認めたくなかった。


ヒカル
(塔矢が悪いんだ…あいつがもっとしっかりしないから)


アキラは年齢の割には落ち着いていて、どちらかと云うとしっかり者の部類だ。

…事がヒカルに関しなければ。

ヒカルが好きで好きでしょうがなくて、ついつい冷静さを欠き暴走してしまう。

それはヒカルが彼を無碍に扱うからなのだが、優しくすればしたで嬉しさのあまりまた暴走する。

結局どちらに転んでも、ヒカルは暴走の被害を免れないのだ。

しかもその暴走の仕方が中途半端。

ヒカルがちょっと機嫌を損ねれば、すぐにやめて平謝り。

すぐにやめられる程度なら、最初から暴走などしなければいいのだ。


ヒカル
(ったく、もっと強引に迫ってくれたら俺だって…)


そんな事を考えてしまった自分に気付き、慌てて首を横に振る。


ヒカル
(いやいやいや、何云ってんだ、俺!?
有り得ねぇだろ、普通に)


男同士と云う常識がアキラの恋心を受け入れる事を躊躇わせているだけで、実際には彼に寄せられる想いには満更でもない。

人目にさえ触れなければどんな事をされてもいいと、心の何処かで思っている…いや、望んでいる。

いちいち断ってみせるのは単なるポーズなのだ、本気じゃない。


どうせまた同じ事をする癖に、一度嫌がってみせた位で諦めるなど、本気で自分の事が好きなのか?


ヒカル
(そう云や最近あいつにキスされてねぇな。
最後にしたのいつだっけ?)


以前は些細な事にもご褒美と云ってヒカルにキスを強要していたのに、先日はタイトル戦の三次予選に勝ち上がったのに求めては来なかった。

数えてみるともう三月は彼にキスをして貰っていない。

今までのペースを考えるとかなり間が空きすぎている。


ヒカル
(まさかあいつ…俺の事諦めちまったのか?
それとも他に好きな奴でも…男か女か!?)


ヒカルは焦った。

このところ感じていた焦燥感の正体は、アキラの関心が薄れてしまったのではないかと云う不安だったのだ。

それを認めるのは癪なので今まで気付かない振りをしていたが、自分の意地が事を手遅れにさせていたのではないか…?

ヒカル
「まさか…だって小6ん時からだぞ?
5年も俺の事好きだった癖に、そんな簡単に諦められるもんなのか?」


「ヒカル―、何一人でブツブツ云ってるの?
ご飯出来たから、降りてらっしゃい」


母の呼び掛けに思考を乱され、ヒカルは頭を振って不安を追い払った。

そんな事ある筈ない――

ヒカルはわざと楽観的に思考を切り替えた。

2日すればまたアキラに逢える。

その時確かめればいい事だ。

どうせちょっと優しくしてやれば、浮かれて纏わりついて来るのだから。












しかしその日アキラは手合いに来なかった。

ヒカルと喧嘩別れをしたあの日、雨に濡れたせいで肺炎を起こしかけていると云うのだ。

自分が追い詰めたせいで…ヒカルは知らず走り出していた。


ヒカル
(あいつ…馬鹿だ。
だからいつもしっかりしろって云って…いや、馬鹿なのは俺だ。
佐為の時だって、優しいからって甘えてばかりで何もしてやらなくて…)


この上アキラまで失いたくない…!

ヒカルは一路塔矢邸まで駆けに駆けた。


明子
「進藤君!
まあ、どうなさったの、あなた?
そんなに息を切らして…」

ヒカル
「あっ、あの俺、塔矢…アキラ君が肺炎だって聞いてその…
手ぶらですみませんっ!
でもお見舞いさせて下さい!」


ちゃんと謝ろう…

そして今度こそ素直にアキラの気持ちが迷惑なんかじゃないと云う事をきちんと伝えよう。

もしかしたら手遅れで、アキラはもう自分の事なんて好きじゃないかも知れないけれど、自分の気持ちを正直に云わなきゃいけない…


明子
「あ…らあら…
ごめんなさい、心配かけちゃって。
微熱が下がらないから心配なんだけど、アキラさん、今日も手合いに行くってきかないからつい…
ああでも云わないとアキラさん、絶対休んでくれないから…」

ヒカル
「はぁっ!?
微熱!?」


騙されていたのは棋院だけじゃなく、アキラ自身もだったらしい。

兎に角ヒカルは家に上げて貰い、2日ぶりにアキラと対面した。

程度はどうあれ、熱を出したのは確かに自分のせいなのだから。


芦原
「おや、お客さんだ。
それじゃ僕は失礼するよ。
アキラ、もう無茶すんなよ」

アキラ
「し…進藤?
どうしてここに…」


アキラの問い掛けに、ヒカルは一瞬ムッとなった。

自分が見舞いに来るのを意外がられるなんて、どれだけ薄情な人間に思われているんだ?

それに芦原と云う塔矢門下生に、先を越されたのも悔しかったのかも知れない。

素直じゃない態度をとってはいたが、自分は誰よりもアキラの事を大切な存在として認めていたつもりなのに。


ヒカル
「俺がお前の心配しちゃ、そんなに意外かよ。
来なかった方がよかったみたいだな。
折角来てくれてた先客を追い返しちまった」

アキラ
「そ、そんな事ないよ。
進藤が来てくれて嬉しいよ」


ああ、まただ…

素直になると決めたのに、また悪態をついてアキラを困らせてしまった。


ヒカル
(病人に気ィ遣わせて…何しに来たんだ、俺)

アキラ
「進藤…?」

ヒカル
「やっぱ俺帰る」

アキラ
「ど、どうして」

ヒカル
「俺がいたって疲れるだけだろ?
ゆっくり休んでろよ、病人なんだから」

アキラ
「ま、待って…あっ」


無理に起き上がろうとしてバランスを崩したアキラに驚き、慌てて駆け寄る。

たった今出て行こうとしたのに…もう自分でもどうしたいのか分からない。

素直になりたいのか、意地を張りたいのか――


アキラ
「進藤…やっぱりいいよ、帰って。
君に感染すといけない」

ヒカル
「馬鹿は風邪ひかねぇんだよ」

アキラ
「だって肺炎だぞ?
風邪どころの騒ぎじゃない」

ヒカル
「そう云って騙されたんだよ、お前。
体調悪いのに、無理に手合いになんか行こうとするから」

アキラ
「え…?」


だが体調不良をおしてまで手合いに行こうとした理由が、自分に逢いたいからと云う自信が今はもうない。

以前の彼なら例え肺炎が本当だとしても、ヒカルに逢う為手合いに出向いた事だろう。

以前に彼が手合いを休んだのは、父である塔矢行洋が倒れた時だけだ。

やはりもう気持ちが離れてしまっているのか…

実際見舞いに訪れたヒカルの姿を見ても、驚くばかりで嬉しそうな素振りは見せなかった。

もしかしたら先ほどの門下生とは、逢い引きだったのではないか?

まずいところをヒカルに見られて、驚き慌てていたのでは。

だとすれば今更ヒカルが素直な気持ちを伝えたところで、アキラは迷惑するだけではないか。


ヒカル
(なのになんで…俺帰ろうとしないんだ?
塔矢にも帰れって云われたのに)

アキラ
「進藤、僕が肺炎じゃないって云うのは本当か?」

ヒカル
「あ?ああ、お袋さんがそう云ってた」

アキラ
「酷いな…それじゃお父さんまでグルだったんだ。
進藤君に感染したらどうするなんて云って脅すから」

ヒカル
「なっ、何で俺限定!?」

アキラ
「隠しきれなくてね…お父さんだけは、僕が進藤を好きだって知ってるんだ」

ヒカル
「(かあぁっ!!)
なっ…!」


アキラがとんでもない事を云うから、ヒカルは耳まで赤く染めた。

塔矢行洋に二人の仲を知られていたからなのか、もう駄目だと思っていたのにアキラが臆面もなくヒカルを好きと云い切ったからなのか。


ヒカル
「とっ、塔矢先生に知られてたってお前…」

アキラ
「でも流石はお父さんだ、駆け引きが上手いのは囲碁だけじゃなかったんだな。
押しても駄目なら引いてみろなんて云うから暫くキスしたいのを我慢してたら、本当に進藤の方から来てくれるなんて…
驚いて声も出なかったよ」

ヒカル
「はあぁ!?」


しっかり者のアキラでも、やはり事がヒカルに及ぶと抜けていた。

それを本人に云ってしまっては、台無しなのではないか。


ヒカル
「ばっかやろ、あったま来た!
心配して損した、帰る!!」

アキラ
「えっ?
ちょっ…どうして怒ってるんだ?
あっ、進藤!」


本当に二重の意味で心配して損をした。

所詮アキラには素直になんてなってやる必要はなかったのだ。

結局二人の仲は進展しないままで、行洋に二人の関係を知られた恥ずかしさだけが残った。

そして数日後―――












ヒカル
「あっ、とっ、塔矢先生、お早う御座居ます」

行洋
「うむ…」


寄りによって、行洋とエレベータの中で二人きりになってしまった。

目の前には二人の秘密を知る行洋の大きな背中。

もしかしたら何か聞かれるかも知れない。


お願い…

振り向かないで………!

《終》




◆あとがき◆

いやぁ〜、いつまで経っても進展しませんねぇ(笑)

名人も応援してくれてるのに。

てゆうか…名人恋の駆け引きも名人?

どうやって明子さんを落としたんだっ(笑)

2008/01/30


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