ヒカルの碁
□待ってます
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またヒカルと喧嘩してしまった…私が悪いのは分かっている。全て私の我侭が原因なのだから。
なのにヒカルは私に気を遣い、今日も私を外へと連れ出そうとしてくれている。
プロになったとは云ってもまだ最初の手合いも経験していなく、自分の自由になるお金なんてそんなにないのに…
まだたった14歳のヒカルにここ迄気を遣わせて…本当なら我侭いっぱいに振る舞いたいのはヒカルの方だろうに。
私は大人として恥ずかしい。そう思う気持ちはあるのに囲碁の事となるとついムキになってしまう。
それに近頃感じる焦り、えも云われぬ不安感…
「さてっ、支度出来たぞ。行こうか、佐為」
「あ、はい、ヒカル」
「お前はいいよな、着替えも支度もなんにもしなくてよくて」
「私だって出来るものならヒカルの様な服だって着てみたいし、扇子以外の持ち物を持ち歩いてみたいですよ」
ヒカルが尚も気を遣って冗談を云うところへ私も冗談で返す。ヒカルにとっても大事な一局を私のせいで台無しにしてしまったのに、この子供はあれ以来怒ろうとしない…
(ヒカル…本当にごめんなさい…私の我侭がどれ程あなたを困らせているか…)
私はヒカルの優しさに甘え過ぎている。
私と逢う事がなければ碁打ちを目指す事もなかったろうに。
他の同じ年頃の子供達はそれぞれ好きな事をして遊ぶ事が出来るのにヒカルにはそれさえ許されない…私はこの子の人生をも台無しにしているのではないか?
ヒカルだけではない、虎次郎もそうだ。私はこの先何人の子供の人生を犠牲にしていくのか…神は何故それをお許しになるのか…
「なぁ、佐為」
「は、はいっ!なんです、ヒカル?」
「オレ、佐為に逢えてホンっトによかったよ。
碁って面白ぇよなぁ!
佐為に逢えなきゃ碁を覚える事もなかったんだ。
オレホントにこの出逢いに感謝してる」
「……………!」
私は…涙が出そうになった。
ヒカルは私のこの我侭を許してくれるのか…私との出逢いを感謝してると迄云ってくれるのか…
「佐為?」
「ああ…そう…そうですね…
私も…ヒカルとの出逢いを神に感謝しています…
あなたに逢えて本当によかった…」
「さ、佐為…泣いてるのか?」
私の目には知らず涙が止めどなく流れていた…
「お、着いたぞ、佐為。
…そんないつまでも泣いてんなよ、もう機嫌直してさ。
へ〜、結構人入ってんじゃん」
「………」
「なぁ佐為、頼むよ〜。
オレそんな悪ィ事云った?」
「ち、違います…ぐすっ…これは悲しくて泣いてるんじゃなくて、ぐすっぐすっ…嬉…しくて泣いてるんです…ひっく」
「嬉しくて?」
ヒカルは目を丸くして私を見つめ返した。この真っ直ぐで純粋な瞳はさっきの言葉が私に気を遣っての嘘ではない事を物語っていた。ヒカルの素直な気持ちから出た真実の言葉だったのだ。
「ヒカルが私と出逢えた事を喜んでくれるその気持ちが何より嬉しかったんですよ…ヒカルの言葉が私に涙を流させるんです。ヒカルの傍にいられる事が私を嬉しくさせるんです」
「参ったな…」
ヒカルは照れくさそうに頭を掻いた。しかし彼の次の言葉は私に衝撃を与えた。
「オレだってお前と一緒にいれるのが嬉しいさ。でもお前、オレが死んだらこの世に残って次の奴が現れる迄待ち続けるんだろ?ずりぃよな、オレがずっと一緒にいたいと思ってもお前はオレとは一緒に行ってくれないんだ」
私と…共に?ヒカルは私と永遠の時間を共に過ごしたいと云うのか…?
「別に神の一手を極められんならこの世じゃなくてもいいんだろ?
一緒に行こうぜ、佐為。
そしたらそれこそ永遠に時間があんだ、歴代の碁打ち達もあっちにはいっぱいいるだろうし嫌って程碁が打てるぜ。そうだろ?」
「そう…そうですね、ヒカル…向こうに行っても打ちましょう…一緒に!」
もしかしたら私は間もなく消えてしまうかも知れない…ヒカルが大人になるのを待たずに。
でもそれは魂が消えてしまうと云う事ではない。
現世での時間を終えると云うだけだ。
千年の時間を待ったのだ…ヒカルが先に行った私の元へ召されるのもほんのちょっと待つだけの事。そう思えば…
「佐為?」
「あの時…自分はもうじき消えるんだってアイツ叫んだ」
「絶対つかまえてやる。
突然何も言わず消えるなんて、そんなこといやだ!
いやだからな!佐為!」
「神さま!お願いだ!
はじめにもどして!アイツと会った一番はじめに時間をもどして!!」
そんな顔…しないで下さい、ヒカル――
すぐに逢えますよ――
ほんのちょっとです――
私…待ってますから――
そしたらまた一緒に打ちましょう――
ええ、何局でも――
だから泣かないで下さい――
「なあ佐為、お前さ…消える時どんな気持ちだった?」
「ヒカル、それ夢の中でも聞いて来ましたよね(笑)」
「あ、やっぱりアレお前だったんだ!
ホントに逢いに来てくれてたんだ!でもあん時お前何にも云わねぇんだもん!…でさ、どんな気持ちだった?」
「もう、いいじゃないですか、そんな事…それより打ちましょうよ、ヒカル」
「そうだな…打とうか!
オレさ、強くなったんだぜ?お前の事だって負かしちゃうかも♪」
「お?強く出ましたね?ヒカルがどれだけ神の一手に近付けたのか早く見せて下さい♪」
変わらぬ笑顔のヒカルの真っ直ぐな瞳が嬉しくて――もう、本当に待ったんですよ?思ったよりずっと長く待たせるから…でもこれからはずっと一緒です。
そう、ずっと―――
《終》
2005/01/15