ヒカルの碁
□幽霊なんか怖くない
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「おい、進藤!来週の合宿、お前も出るだろ?」
「あ、熱川行くヤツだろ?
行く行く!バナナワニ園見たい♪」
「あのな、遊びに行くんじゃないんだぞ…(汗)」
和谷は呆れた顔でヒカルを窘めたが、本人は浮かれてまるで聞いていない様だ。
毎年この時期開催される森下門下の囲碁合宿。二泊三日で温泉付きなのだが、ヒカルの楽しみは他にあった。
『ヒカルぅ〜、やめましょうよ、肝試しなんて…
囲碁の合宿なんですから囲碁だけ打ってればいいんですよ』
「何だよ佐為、お前自分が幽霊みたいなもんなのにオバケ怖いのか?」
『こ、怖いとかそう云うんじゃなくて…折角碁を打ちに行く旅行なのに余計な事をしては時間が勿体ないですよ…』
(こいつ…ホントにオバケが怖いんだ)
佐為の目が泳ぐのを見てヒカルは確信した。
もともと肝試しは和谷が云い出した事だが、ヒカルの後ろでにわかに落ち着きがなくなった佐為の様子を見て参加を決めたのだ。
(もしホントにオバケが出たらお互いどんな反応するんだろ?
オレは佐為で見慣れてるから別にオバケ怖くないし♪)
遠足前の園児よろしく一週間も前から合宿の準備を始めるヒカルをよそ目に、佐為はそわそわと落ち着きがない。
祖父の家で碁盤に憑いた烏帽子を被ったオバケ呼ばわり迄されて、自分がオバケだと云う自覚がないのか…
「さて…と、着替えは三日分詰めたし…
後は当日じゃないと用意出来ない物だけだな。
佐為、メシ迄まだ時間あるし一局打つか?」
『ブツブツ…大体趣味が悪いですよ…
ブツブツ…もし血だらけのオバケなんて出て来たら…
ブツブツ…』
「…………佐為?」
『あ、はい、何です?ヒカル』
(こいつホンっトに恐がりだ…
オレが初めて佐為に逢った時よりビビってるんじゃないか?)
ヒカルは当日が益々楽しみになった。
一週間前でこの反応なのだから、実際肝試しの時が来たら一体どれ程怯えるのだろう…
ヒカルは知らず笑みがこぼれた。
「お〜い、全員集まったか?」
「師匠、進藤の奴がまだ…」
「道理で静かだと思いました(笑)
進藤君、確かプロ試験の時も一度研究会さぼりましたよね。
また何かに夢中になってて忘れてるんじゃ…」
「仕方のない奴だな…
おい、和谷!ちょっと自宅に電話入れてやれ」
忘れていた訳ではない。集合場所のもうすぐそこ迄来ているのに、佐為が駄々をこねて動こうとしないのだ。
ヒカルの足をしっかり掴んで。
こうなるともう、佐為は自縛霊状態だ。
傍目にはヒカルが接着剤か何かで貼り付いた足を、力任せに剥がそうとしている様に映るだろう。
(マジ頼むって、佐為!遅刻しちゃうよ。
みんな待ってんだよ!)
『だってヒカル、行ったら肝試しにも出るんでしょう?
嫌ですよ、私!絶対行きません!!』
(もう、わーったよ!
合宿には行くけど肝試しには出ないから!!
みんなに迷惑かかるだろ!
は・な・せ・よ!)
《肝試しには出ない》その言葉でやっと佐為はヒカルの足を離した。
しかし霊の身であり乍ら何故ここまでオバケを怖がるのか…
『私…見た事あるんですよ…』
「は?見た?何を」
『ですから…オバケを…』
「はあ?」
佐為の話はこうだ。
まだ秀策が虎次郎と名乗っていた頃、やはり同じ年頃の子供に誘われ肝試しに行った時の事だと云う。
『虎次郎…こんな夜中に危ないですよ。ホラ、こないだも辻斬り騒ぎがあったじゃないですか』
「こんな山道に辻斬りなぞ出はせぬよ、佐為。それよりこの先の祠にある札を取って来れば肝試しも終わる。早く済ませて帰って一局打とう」
『まさか野盗なぞ出やしないでしょうね…おや?』
「あ、あれは―――?」
『い、いぃやああぁぁぁぁ!?』
「おおお落ち落ち落ち落ち武者あぁぁ!?」
それは自らの首を抱えて歩く血だらけの落ち武者であった。
『敵は…何処だ…我が主君は…』
『ひ、ひ、ひ、ひぁ、ひゃ…と、と、とら、とらじ…』
「さささ、さい、さい、佐為…!」
『そこかあぁぁぁ』
『ぎぃやあぁぁぁぁ!!』
『…とまぁそんな訳であの時の恐怖と云ったら…』
「あのなぁ佐為…虎次郎の友達に侍の子いなかったか?」
『あ、いました。肝試しの時も』
「子供が親父の鎧着たらデカ過ぎて頭出ないんじゃないか?生首なんて人形でいいんだし」
『え…』
「肝試しなんてなぁっ、脅かす役ってのがちゃんといんだよっ!」
『えぇっ!?じゃあ私と虎次郎が見たのは…』
「本物なワケねーだろ!」
すっかり遅れて到着したヒカルは罰として荷物持ちをやらされる羽目になった。
おまけに嫌がる佐為をよそ目に肝試しも強制参加…幾ら偽物だと説明しても佐為の悲鳴が耳元から止む事はなかった。
「よぉ、どうだった?進藤。やけに早かったけどビビって走って逃げて来たんじゃないだろな?」
「(佐為の悲鳴がうるさくて早く戻りたかっただけだよっ)
もう散々だったよ。古井戸のとこでいきなり足掴まれて転んじまった。見ろよ、この膝!
あ、あの井戸のオバケ、アレ白川先生でしょう!」
「え?いや、私は進藤君の次に出発したんだよ?それより井戸って?」
「コースにんなもんねェよ?」
コースに井戸はない…しかし確かにヒカルも佐為も井戸を見ている。
大きな杉の木の傍に獣道の様な細い道があり、その先には小さな鳥居。
鳥居をくぐったすぐ右手に古びた石造りの井戸があって、そこから色白で30代位の男が…そう説明すると旅館の女将が気になる事を云った。
「古い井戸ねぇ…埋め立てられて随分になるけど確かに昔鳥居の傍にあったそうよ。
昭和の初め頃病気を苦にして身投げした男の人がいて、それで埋めちゃったって話だけど…」
『え…』
「それじゃオレが見たのは…」
「ホ、ホンモノ!?」
「うわぁ〜、エンガチョ!
進藤がオバケに足掴まれたぁ!」
「し、進藤君、足首に手の跡の様な痣が…!」
「し、進藤、おまっ、お前、お祓い!お祓いした方がいいんじゃないのか!?」
「(冗談じゃない、お祓いなんかされたら佐為までどっか行っちゃうじゃないか)
はぁ…何んて事ないですよ師匠、これ位」
こんな時一番うるさい筈の佐為が静かだと思ったら、ひっくり返って失神していた。
(チェ…足掴まれたのはオレだぞ。
何で佐為がひっくり返ってんだよ…
それにしても慣れって怖いよなぁ)
「ししし進藤!ナニ落ち着き払ってんだよ!
ホンモノ!ホンモノだぞ?お前!!」
「(だからオバケは佐為で慣れてるんだってば)
和谷、うるさ過ぎ」
結局その夜は怯えきった佐為に一晩中しがみつかれ、ろくに眠れなかったヒカルだったが…合宿中、幽霊騒ぎに動揺する和谷達を寝不足にも負けず蹴散らした。
そしてヒカルはその囲碁の腕と共に《幽霊を恐れぬ男》として森下門下生に末永く語り継がれる伝説の男となったのである。
《終》