【短編】現代(白澤×鬼灯)

□『ありがとう』の意味は、
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暗い闇の中を裸足で歩く幼子。

どこから歩いてきたのかも分からない。

気付いたら、一人だった。

ただ一つ、覚えていることと言えば・・・

父と母に見捨てられたこと。

親の顔を知ることの無い儘、育った。

何も知らない、何も分からない。

何故自分は生きているのか?

この先、誰かに必要とされることなど、あるのだろうか?

幼いながら、そんなことを考えていた。

そんな時、私はある村の長夫婦に引き取られることになった。

何も知らない私には主人である夫婦に従い、言いつけを一から十まで守ることしか出来なかった。

「丁、昼までに薪を割っておいておくれ。」

「はい。」

「丁や、明日までに籠を五つ編んでくれんかね?」

「分かりました。」

「丁、・・・」

「丁や、・・・・・・」

名前が無かった私は、『丁』という名を与えられた。

『丁』が示す意味、それは『召使い』だ。

何の知識も持たない幼子には『丁』に込められた意を知る由もない。

ただ、己に与えられた初めての名に喜び笑う。

そして、

「丁、いつも助かるよ。」

「お前は本当に物分かりが良くて感心するよ。」

「ありがとう。」

「ありがとうね。」

私が仕事をひとつ終わらせる度に、夫婦は私に礼を言ってくれるようになった。

頭を撫でて褒めてくれるようになった。

「・・・・・・。」

初めてのことに戸惑ったが、それが己への褒美だと理解するのにそう時間は掛からなかった。

『ありがとう』と言われることの心地良さを知った。

息をするのと同じように至極、当然の如く仕事をこなす。

何も変化の無い日々を送ってきたが、初めて『ありがとう』という言葉を聞いたその日から、私の生活に色が差した。

礼を言われ、褒められると自分の存在を認めてもらえているような気がする。

些細なこと、と思われるかもしれないが闇の中で手探りで生きてきた私にとっては大層なことだったのだ。

この夫婦にとって私は必要な存在なのかもしれない。

こんな自分にも僅かながらの愛が注がれている。

「お前が居てくれて本当に良かったよ。」

嬉しかった。

頑張って生きるのも悪くない。

暖かくて、喜びを見つけながら生きる

そんな日々がいつまでも続いてゆくと、

信じていた・・・・・・









































目が覚めてまず感じたのは、

寒い。

痛い。

苦しい。

何だ、これ・・・

重い体を何とか起こし、辺りを見渡す。

聞き慣れない言葉。

香と酒の匂い。

私を取り囲む大人たち。

尋常でない違和感に目を見開く。

そして、知った。

聞き慣れない言葉は、経。

香は線香。

酒は神酒。

自分は今、祭壇にいることに気付いた。

血の気が引いた。

この祭壇は、雨乞いの儀式の際に使われるものだと聞かされていた。

生贄を捧げて三日祈り続けると雨が降るのだと。

その祭壇に私が居る。

それが意味することなんて・・・・・・

目の前には私を引き取った夫婦。

「あ、の・・・」

喉が焼けるように痛い。

「あぁ、丁や、起きたかい?」

「お前に頼みたいことがある。」

良く知った声と表情。

それなのに、怖い。

自分にこれから告げられるであろう言葉が何なのかは言うまでもない。

言わないで、やめて。

「丁、今夜の雨乞いの儀式の生贄はお前に決まった。出来るな?」

全てが裏切られた気がした。

唯一信じられる人にこうも簡単に死ねと言われるなんて。

一体、誰が想像するだろうか。

頭が真っ白になる。

思考が完全に停止する。

何も言葉が出てこない。

「丁。」

「丁や。」

優しく名を呼ぶ二人を見上げる。

「それも・・・仕事、ですか・・・?」

絞り出すように、言葉を紡ぐ。

「そうだよ、大事な仕事だ。」

「丁なら出来るわよね?」

嗚呼、もう答えは一つしか無いようだ。

「分かり、ました・・・」

重い頭を縦に振る。

二人の表情が綻んでいく。

「ありがとう。」

「お前が居てくれて本当に良かったよ。」

この先は死が待っているだけなのに、心が満たされていく。

やっぱり、心地良い。

最後なのだから・・・もっと、もっと褒めて。

もっと聞かせて・・・

私が大好きな『ありがとう』っていう言葉を。

























薄れゆく意識の中で大人たちの声を聞いていた。

「せっかく小間使いが来たってのに、良かったのかい?」

「面倒見るのが億劫になっていたから丁度良かったよ。」

「わたしらの子だと思われでもしたら堪ったもんじゃないしね。」

嗚呼、それが貴方たちの本音なのですね。

信じていたのに・・・

あの『ありがとう』は全て偽りだったのですね・・・

結局、私は独りなのだ。

浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。

捨てられて、裏切られて・・・

こんなに悲しいことは無い。

もうすぐ、この生は終わる。

その前に、お礼を言わなくては。

ここまで生かしてくれた神様に・・・

「ありがとう、ございます・・・・」

そうして、私の短すぎる命は終わった。

もう、何を信じていいのか分からない。

大好きだったはずのその言葉は、一瞬にして私を死の淵に突き落とした魔の言葉となってしまった。



























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