パラレル
□SEE YOU
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灰色の壁に囲まれて、俺達は毎日ひしめき合っている。
クラスの誰もが、進学や就職を考えて日々邁進しているのに、俺だけが取り残されでもしているように、冷え切った気持ちで教室に佇んでいた。
この気持ちはどうしたのだろう。
外で体育の授業を受けているクラスメイト達を眺めては、俺は机に突っ伏してため息を吐く。こうやって授業をさぼったとしても、決して気持ちが晴れるものではない。それは分かっているのに、どうしてもみんなと一緒に居られる気がしなかった。
冷たい机の表面に、自分の吐息でできた結露が広がっていく。
それを横目で見ながら、目を閉じていく。
ああ。
どうかしてくれよ、この俺の気持ち。
まさか、ここまでとは思っていなかった。
自分の気持ちに気づいてしまってからは、後悔の連続だったがそれでもなんとか心に蓋をすることで乗り切ってきた。
それももう限界だった。
ぎんぱち、と呟いてみる。すると不思議と、心の重みが取れたような気がする。その代わりに奥底に甘酸っぱいような、不思議な感覚が出現していた。
教室の引き戸が開いたのを、俺は薄目を開けて見る。
誰かが入ってくるー。
そう、俺達の担任、坂田銀八だった。
何故ここに来たのだろう。
現代文の授業は終わって、今皆は外で元気にサッカーをしているのに。
「どーしたの。土方」
俺は顔を伏せる。
見られたくない。
「具合悪ィの?めずらしいじゃん」
これはアンタの所為だと、言ってやりたい。
近くに来たのが分かる。衣擦れの音。そしてー
そっと触れられる指先が、自分の髪の毛であることに俺は歓喜した。
「はは。すげー真っ黒な髪、な。羨ましい」
その後は額に当てられる掌。俺はどうしても顔をあげる形になった。
「熱は無さそうだけどな」
覗き込まれたその銀八の顔。思わず目が合って、俺はたじろぐ。
途端に早鐘の様に鳴る心臓。
「ちょっと…そんな恥ずかしそうにすんなよ、オイ」
銀八は手を引っ込める。それを残念に思いながらも、安堵している自分がいた。
はあ、と一回ため息を付く銀八は、持っていた書類を隣の席に置いた。
「まあ…だるくなる時もあるわな。お前はさァ、いっつもまじめだし。たまにはいいんじゃねーの。俺なんか万年サボり魔だったからなァ」
息抜きしろよ、と銀八は言う。
俺は複雑な気持ちのまま、そっと伏せた顔をあげてみる。
「…なんで、そんな泣きそうな顔してんの」
言われて、俺は自覚のないことに気づく。
泣きたいくらい、先生のことを考えているかもしれない。
「先生。…辛い時は…どうしたらいいんですか」
「辛い時?そうだなァ…」
好きなモン喰うとか?と言って銀八は自分の好きなものを羅列する。パフェとか、大福とか、ショートケーキとか?と言うので、俺は胸焼けしそうになる。甘いモノは苦手だ。
「…気持ち悪…」
「お前何、甘いモン喰わねーの?勿体ねーな。人生の半分は損してるぞ」
屈託なく笑う銀八に、俺はつられてくすりと笑った。
すると銀八はいつになく真剣な表情で言う。
「はは、やっと笑った。しばらく見てなかったよ、お前の笑い顔」
ポンポン、と俺の頭を叩いて、銀八は書類を取る。ああ、もう行ってしまうのか。二人きりの時間は、たったこれだけ。
「あんまり思い詰めるなよ。何かあるならいつでも聞いてやっから。その替わり甘いモン寄越せよ」
「生徒からせびるんですか、みみっちいな」
銀八は掌をひらりと翻しそのまま教室を出て行く。
その様子を、俺はじっと見つめていた。
銀八の後姿は、銀髪に白衣で、ブルーのシャツが少し透けて見える。その背中は大きくて、とても追いつけない…ような気がする。
乾いた引き戸の締まる音を聞きつつもう一度机に伏せる。
何だか泣きそうになって、鼻の奥がつうんとしてくる。
進路が決まって、卒業したらもう、先生に会えないのか。
あの髪の毛に触れてみたい。
あの大きな腕に包まれてみたい。
叶わない夢を見るように、俺は銀八の感触を想像する。
絶望的な恋の結末を覚悟して、一粒の涙と共にまどろみの中へ滑り込んでいった。