おはなし

□つぼみお嬢様(導入のみ)
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メイド長の声が、高らかに響く。
まだ夜の明けきらない朝5時。たらい1杯ぶんの水に、たった1滴黒い絵の具を垂らして混ぜたような薄い霧で空が覆われていた。
使用人寮の真ん中に位置するホールでは木戸家のメイド・執事、コック、運転手いたるまで全員が背筋を正し使用人のなかでのリーダー、メイド長ひとりに注目している。
もう20年もこの木戸家に身を捧げたものらしく程よい緊張感を漂わせる声のおかげで、昨日の夜更かしが原因の、今にも立ったまま寝てしまいそうなほどの眠気に耐え抜いているといえるんじゃないだろうか。
べそをかきながらメイド長直々に指導されてきたこの2ヶ月、掃除からテーブルマナーに至るまで徹底的に叩き込まれそこら辺の逆境には負けない自信があった。
テレビやアニメでよく見るメイドという職業を、舐めてかかりすぎていたと思う。
舐めてかかったといえば、コルセット。
今日から初めて付けたまま働くのだが、実のところひとりできれいに付けれるようになったのが昨日。まだ二十四時間も経っていない。
本当に、ギリギリセーフだった。
木戸家では、2か月間の研修が終わったメイドはコルセットを付けて働かなくてはならない。
そんな伝統に憧れ決めた木戸家。
コルセットをつけてゆったりと働きたい、なんてとんでもないお門違いで。
コルセットはキツイしゆったりどころか走り回るしで後悔したりもした。
でも辞めないでいられたのは、時に飴をくれたメイド長とメイド仲間のおかげで。
今日から、正式に木戸家のメイドとなれる。

「昨日で新人研修を終えた人、おめでとうございます。よく続けられました。今から担当発表するから名前を呼ばれた人は前に並んで持ち場に行って。
キッチン担当、上原、杉本。本館1階、大植。同じく2階、坂本、横田──」

仲のいいメイド仲間、新人コックの名前が次々と呼ばれていく。
自分の担当が気になって、苗字を何度も頭の中で繰り返し唱える。
こい、と願ったところで私の苗字は呼ばれなかった。

「──では、最後。特館担当、木村、鹿野」

最後の最後で呼ばれたことに安堵した、と同時に衝撃が殴りにくる。
今、確かに、メイド長は、特館と言った。
動揺を隠しきれず、ワンテンポ遅れて返事をした。
どうして、私が?
頭の中は疑問だらけで、周りを一瞬たりとも見ないまま新しい持ち場である特館の方へふらふらと向った。



◇◇◇◇◇

どうやら、この特館に配置された使用人は4人だけらしい。
そもそも特館というのは、2階建ての8部屋程度の離れみたいなもの。周りは綺麗にお手入れされた庭で、使用人寮からも本館からも少し離れており、本館に比べてかなり小さいから使用人の量が少ないのも頷ける。
でもたった8部屋と言えど普通の家の3倍はあるのだ。4人という数字は、少し少なすぎやしないか。

「瀬戸幸助っす。ここでコックをさせてもらってるっす。」

とりあえず、1番お世話になりそうなコック長に挨拶。
元気よく手をぶんぶん振って挨拶をした。
もともと1人しか居ないから、コック長もなにもないんだそう。
如何にも爽やか好青年で、イケメン。
よろしくお願いします、頭を下げるあいだも爽やかな笑顔が脳裏から離れなかったけど、残念ながら私の趣味じゃなかった。
本当に残念。

私が本日2回目の大打撃を受けたのは、そのすぐあとのことだった。

「鹿野修哉です。同じ担当として、これからよろしくお願いします」


 

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