おはなし

□I lost myself in love U
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I lose myself in love U

スマートフォンからイヤホンを引き抜くと、自動的に音楽は止まる。
音を立てないようにリズムをとっていた足もピタリと止まった。
まだ駅には2、3分時間がある。でもお気に入りの曲が終わるか、キリのいいところで終わらないと朝から気分が悪い。
ちゃちなスピーカーを外すだけで、この世界は一変する。
何もない世界、存在するのは色だけで自分以外の人も蟻の1匹も居やしない。縛り付けるものなどない。そこに在るのは、色だけ。

自分だけの世界からもとの世界に強制送還されたキドは車内の騒音に眉をしかめた。
音なく舌打ちを零す。
ギターのメロディが恋しくなって、外すのは片方だけにすればよかったと後悔に襲われる。
女の子の悪口トークに耳を傾けるなんてごめんだ。気分が悪くなるもなにも最初から機嫌は絶不調だということに、苛立ちを募っている本人は気付かない。
まだ残暑も明けきらない秋だというのに冬の制服を着た女の子たちの話し声も、出勤中のサラリーマンが新聞を折りなおす音も、服が擦れる音でさえ今のキドには不快でしかなかった。
現実逃避と言われても構わない。本望だ。
現実はどうして一色で表せないのだろう。あるいは2色。どす黒い色とキラキラした色、憎悪と憧れ。むしろそのふたつだけならいいのに。
ああ、うるさい。
1度は外したイヤホンを付け直すのも癪で、スクールバッグポケットにふたつを乱暴に放りこんだ。

ガタン、ゴトン。電車特有のゆったりとした音が、荒波だったキドの心を落ち着ける魔薬になる。騒音の合間に聞こえるこのリズムがキドは好きだった。なんだか、とても安心するのだ。お腹の中にいる時に、よく聞いた音かもしれない。この時ばかりは赤子の気持ちに戻ることが出来た。
──いつもお世話になっている物に、八つ当たりしたのは悪かったかな。
登下校中に、毎日お世話になっているスマートフォンとイヤホンに心のなかで謝る。
悪かった。
無機質なアナウンスが、高校の最寄り駅を告げる。
女子高生グループがドア付近に移動した。
いつの間にか話題はイケメンの先輩に切り替わっている。
青いネクタイだから、二年生。同学年の生徒はいるかな、と興味本位に見渡して見たけど、キドとおそろいの緑のネクタイの生徒は見受けられなかった。
他に乗っていた同じ制服の人たちも椅子から腰を上げ始める。
キドも、定期を取り出そうとカバンの中を探った。
紺色のレザー生地に猫のワンポイント。
入学祝いに姉さんからプレゼントされて以来、キドのお気に入りである。
でも、肝心の定期が見つからない。
記憶を掻き集める。最寄り駅から電車に乗って、一回乗り換えてこの車両に乗った。その時まではあった。そして一番手前のポケットに入れたはず。
それはキドの毎朝の一連の流れだから、今日の記憶かと問われれば自信はない。
かという間にプラットフォームへと人が吐き出されていく。
定期がカバンの中にあると信じて、ホームに出てから探そうとキドも流れに逆らわず出ていこうとした。財布も持っているのでなんら問題ないだろう、と。
現実は思惑通りに動くことの方が少ない。
足は確かに動かしたはずなのに、身体は動かなかった。
不自由な身体が鬱陶しく感じた。理由も合わせて。
キドの陶器と表現するのにふさわしい腕が、ゴツゴツした、それでも細い手に掴まれていた。
睨みつけながら振り向けば、同じ制服に身を包んだ少年がキドの定期を、二の腕を掴んでいない方の手で挑発するようにひらひらと振る。
取り返すのも忘れて、キドは惚けた。
赤いネクタイ。三年生。一年生のキドとは遠い存在。どうして自分が?
俺の定期、スったのか。
名の出てこない少年は胡散臭い笑顔で、誘ってみせた。

「ねぇ、このまま海に行ってみない?」


◇◇◇◇◇


「ねぇ、このまま海に行ってみない?」

午後、二時。
人気の少ない平日の電車内で、キドはいつかの日を思い出した。5年くらい前のはなし。
目の前の猫目の男は、ねえねえ行こうよ〜と媚びるような目で見つめてくる。
ロイヤルレッドのマキシスカートに、肩が剥き出しの黒いニットを合わせた服に身を包まれたキドは、ふぅ、とため息に似たものをひとつ落とした。

「さっき水族館に行ったばっかじゃないか」

キドが怪訝に文句を言うと、カノは頬を膨らませる。仮にも自分より二つ年上なのに子どもみたいだ、とキドはぼんやりと考えた。
キドの興味が他に移ったことに目敏く気が付いたカノは断られることのないように言葉を選んだ。

「青春時代を思いだそうよ〜ねえ、」

いいでしょ?と幼さの残る顔でお願いされるとキドは断れないことをカノは知っている。
キドは押されると弱い、それゆえに雑用を任されることも多かった。有効活用だ、とカノは自己満足する。
キドを動かすのは、
自分が断れないことキドもわかっていた。
何も口に出さないけど、行動では示す。その証拠に次の目的地である猫カフェがある駅を、水族館でカノにプレゼントしてもらったペンギンのぬいぐるみを抱きしめながら通過した。出発する時の振動でスマホに付いたおそろいのウッドストラップが揺れる。

「好き」

そっぽを向くキドの頬が薄い紅に染まる。世間一般的に、このような人をちょろいと言う。扱うのに苦労がない人。騙されやすいのは百も承知だ。
これじゃ自分がいつか悪い男に騙されても文句は言えないなとキドは思う。あの日も、そうだった。
知らないオトコにたぶらかされて、馬鹿な自分はあろうことにその誘いに乗った。タイミングが悪かっただけ。普段の自分なら絶対に断っていたと意味のない言い訳をする自分に呆れつつ、

「ばーか」

長いまつげをゆるりと閉じて隣の男に身体を委ねた。
電車は次の駅も追い越していった。

◇◇◇◇◇
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