おはなし

□香に導かれて
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香に導かれて


溜息が、コンクリートに激しく打ち付ける雨の音に消される。傘なんて持って来ていない。
天気は雨。天気予報では、雨などと言っていなかった。
もちろん折りたたみ傘なんて気のきいたものも、荷物が増えるからと持ってきていない。
駅の中から、色とりどりの傘が咲いて行く。濡れたアスファルトから、雨独特の匂いが立ち上っている。

ーー今日ぐらいは、雨が降りそうだからと傘を差し出したカノの言うことを聞いておけばよかった。


そもそも事の発端は、この前受けた任務だ。
ある大手の本屋から、時間がないので代わりに感想を欲しいと本を預かった。
俺たちの書いた感想は、少し編集されて「今話題の本」のPOPになっている。
それからというもの、読書の楽しさに目覚めてしまい、今や活字中毒となりつつある。どうしてもっと早く目覚めなかったのか。

もともと読書家のいなかったアジトに、山になるほどの本があるはずもなく。
遠にアジトにある本は読破してしまった。
だから今日は新しい本を求め、遠出していたのだ。
マリーはたくさん本を持っていたのだが、「自分の読んでいる本を知られるのは恥ずかしい」と言って貸してくれない。

いつもなら、雨が降っていても走って帰るのだが、今日は帰れない。
本は濡れるとページが波打ち、状態が悪くなってしまうし、またカノに怒られてしまう。


このまま突っ立っているのも、と思い、駅の中にある店をまわった。
コンビニで安い傘を買ってもいいが、セトが必死に働いたお金だ。無駄にはできない。
丁度カノの傘が古くなってきていたから、しっかりとした新しい傘を買っていけば無駄にはならないだろうと傘を売ってそうな店を探す。

急ぎ足で歩いていく人の中で、一人ゆっくりと歩いていく。
バターの香りが漂う、シンプルなパン屋。煌びやかなアクセサリーショップ。古本屋を見つけ、そちらへと進もうとするが、右肩の本の重みに気付き、足を止める。

店が途切れたが、結局いい傘を売っている店はなかった。晴れてくれてればいいんだが、と外へ行こうとすると、見て行ってよ、と言うように柔らかい花の香りが鼻をかすめる。

ふと視線を下へやると、小さな女の子が俺を見上げていた。


「おねえさん、おはなやさんはみないの?」

子どもには珍しい、薄い紫のワンピースを着て、黒目の大きい、くりっとした目をこちらに向け、鈴なるような可愛らしい声で尋ねられる。

「花屋?そんなものあったのか?見落としていたな。」
「お姉さん、すごくかっこいい話し方だねぇ!」
「あ……怖くないのか?」
「ぜんぜん。スミレ、いいとおもうよ。」

スミレ……あぁ、この子の名前か。服とぴったりだな。
喋り方がカッコいいと言われたのが嬉くて、つい口角が上がる。
スミレ、という少女に連れられ、花屋へと向かった。さっき通った店と同じ通りにあり、どうして見落としたのかが不思議だ。

店内は、白を基調としたこぎれいなスタイルで、色とりどりの花が引き立っていた。

***


ーーキド、まだかな。
くぅ、と何かを食べさせろと自己主張するお腹をさすり、眉を寄せる。

午前中に、本がどうしても欲しいと言って傘も持たずに行ってしまった。

今頃、困ってるだろうなぁ。

窓の外を見ると、さらさらと霧のように微かな優しい雨が降っている。さっきまでは激しく降っていた雨もだいぶ落ち着いてきたみたい。

「迎えに行こうかなぁ。」

呟いて、黒い傘を傘を一本取り、いや、本が濡れてはいけないと思い直し、紫の傘も取り、合計二本持ってアジトを出た。
相合い傘、したかったなんて言えない。

朝聞いた駅名を頭を捻ってなんとか思い出し、二十分ほどかけてやっと目的の駅に着いた。
行く前に電話はしたんだけれども、マナーモードにしたままなのか、または音楽を聞いているのか出てくれない。

倹約家のキドのことだから、ビニールの安い傘を買わずに、買い物しているのかな、とその辺を散歩してみた。


「おにいさん!黒いおようふくのおにいさん!」

小さな男の子の声が、僕を呼んだ。周りには黒い服のお兄さんなんていないし、おそらく僕であっているだろう。

見ると、元気いっぱいの五歳くらいの男の子が僕を見上げるようにして立っている。

「おはなやさんにね!おにいさんのさがしているお姉さんがいるよ!」
「っ!……もしかして、緑の髪の、美人さん?」

食いつくように尋ねると、ははっ、と軽く笑って、男の子が答えてくれた。

「そうそう!とってもきれいなひとだよ!おにいさん、もしかしておにいさんのこいびと?」

最近の子どもはませている、っていうのは、案外そうなのかもしれない。僕がちっちゃい頃なんか、そんなこと考えもしなかった。

「内緒。ねぇ、そのお花屋さんに案内してくれる?」
「うん!いいよ!ぼく、キョウ!」

ダッシュするキョウくんに、小走りで連いていき、キドのいるであろうところに向かう。

……どうして、僕がキドを探してるってこと、分かったんだろう?

 * * *



「なんでも、いくらでも取っていいんだよ!」

とことことリズムよくついてくるスミレが、色々な色のチューリップを弄ぶ。

ここで、ふと、気になったことがある。
気になるというか、不思議な。

本来居るはずの店員がいないのだ。
レジスタもなければ、花に値札すらついていない。
スミレなら、なにか知っているかもしれない。

「スミレ、人はいないのか?」

その質問には答えてくれず、笑顔で誤魔化された。

「ここにあるお花、お姉さんなんでもえらんでー!」
「そうだな……」

店をサッと見渡して、目に留まったのは、紫色が散らされた、不思議な花だった。

「この花はなんだ?」
「それはね、アガパンサスって花だよ!それがいい?ほかにある?」
「もう、いいよ。これで十分だ。」

そっか、と呟き、スミレは慣れた手つきで花束を作ってくれた。
小さいのに、それを感じさせることがなく、てきぱきとやってのける。

「できた!はい、どーぞ。」

ありがとう、と言って財布を出そうとすると、スミレは、ううんいいの、と首を振った。

「わたしからのプレゼント。お姉さんにあげるよ。」
「いや、悪いよ。」
「あげる!」

ちょっと怒った感じで頬を膨らませ、ずい、と花束を差し出された。
ここまで言われては大人しく受け取るしかない。ありがたくもらおう。

「ほら、おねえさんにおむかえが来たみたいだよ。」

何のことかと後ろに振り返ると、スミレと同じくらいの男の子とカノが、店の入り口に立っていた。

「お姉さん見ーつけた!スミレちゃん、つれて来たよ!」
「キョウくん、ありがとう!」

子ども同士できゃっきゃと話すすみれ達を横目に、なぜかここにいるぼんやり突っ立っている猫っ毛を捕まえた。

「カノ…何でここにいる」
「キド、帰ってくるの遅いから迎えにきたんだよー。お腹空いちゃった。そこにいるキョウくんが案内してくれたんだよ。……その花束は?」
「あぁ、スミレがくれた。アガパンサス、って名前の花だって。」

ふぅん、綺麗だね、とじぃっと花を見つめるカノが面白くて、それを眺めていた。

「あ!お姉さん、お姉さん。」

スミレが思い出したように声高に俺達を呼び、俺にスミレが、カノにキョウが手招きする。


スミレの身長に合わせるように屈むと、内緒話をするように、スミレはこう言った。

「アガパンサスのはなことばはね、こいのおとずれ、だよ。」


どこか嬉しそうに、スミレが言った途端、店はまるで蜃気楼のように消え去り、何処を見渡してもスミレもキョウもいなかった。
ただ一人隣に紫の小さな玉がついたような花を一束抱えたカノだけがいた。
さっきまでの出来事が嘘だったかのように。俺とカノが抱えている花だけが本当に合った出来事だと証明している。

「……その花は?」
「ムラサキシキブ、だって。愛され上手って言われたよ。」

ふ、と力の抜けた笑い方をして、カノは俺に花束を持っていない方の手を差し出した。
さっきまでのことを考えていても仕方ない。アジトに花瓶はひとつしかないから帰る途中にあるホームセンターにでも寄ろうか。

「ほら、帰ろ。僕、お腹空いたなぁ」

素直に手を取り、外に出ると、雨はすっかり止んでいて、綺麗な七色の大きな虹がかかっていた。


fin.

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