短編

□他人(ヒト)には視えぬ刀
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「何てこともあったな」


轟々と燃え盛る炎の中で薬研はポツリとつぶやいた。
寺の中はまさに火の海。
現に薬研の周りでも炎が獣のように踊っていた。

自分はきっとここで消えてしまう。
信長は腹を切ったという。
ならば、主と共に朽ち果てるのもいいものかもしれない。
薬研はそっと目を瞑る。
本体はそろそろ熱でおかしくなってくる頃だ。
溶けるか炭になるか……どちらでもいい。

その時だった。
「薬研殿!何処ですか!?薬研殿!!」
聞きなれた女の声が響いてきた。
薬研はまだ逃げていなかったのかと慌てて声を張り上げた。
「何してんだ嬢ちゃん!早く逃げろ!!」
「そこですね。今参りますから!!」

ドカンと襖が蹴破られ、1人の女が入ってきた。
出会った頃に比べると成長し、随分と大人になった娘である。
成人してなお信長からの信頼は落ちることなく、今回もこうして本能寺への道中も共にしていた。
もっとも、今となっては不運と呼ぶほかないのだが。

「薬研殿。良かったです。ご無事で何より」
娘は薬研の元へ駆け寄ってきた。
「何で来た。早く逃げねえとお前さんは」
「逃げません!私の命は信長様のもの。あの方が亡くなった今、私は黄泉へ旅路もお供するつもりですから……でも、最期に貴方をと思ったもので」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。大将はそんなこと望んじゃあ」
「それよりあなたの本体は、ああ。ありました」
娘は『薬研藤四郎』を拾い上げた。
「っ!」
周りの熱にあてられた本体は高温で、娘の掌を容赦なく焼いていく。
「もういい、離せ!そんで、お前さんだけでも逃げ…」
「薬研殿。今から安全なところまで運びますから。だから」

付いて来てください。

娘はそう言って炎の廊下を駆け抜けた。
薬研も慌ててそれに続く。
薬研藤四郎は付喪神。依代となる物さえ無事ならばこの世でまだ生きていられる。刀が歪んだのなら整えればいい。再刃すればいい。娘はそれを知っていたから、何とか薬研だけでも逃がそうとしたのだった。

遠くに外らしき空間が見える。
娘の顔が安堵で緩む。
薬研も、これなら、と思った。




その瞬間______


(バリバリバリ!!!


「嬢ちゃん!!」


(ドーンッ

柱が2人の頭上に倒れてきたのだった。
「嬢ちゃん!大丈夫か!!」
「うぅ…」
幸いに娘は無事だった。
しかし
「あ、な、無い!?薬研殿の本体が!」

衝撃で娘は『薬研藤四郎』を放り投げてしまったようだった。
娘は慌てて立ち上がって探そうとしたが、先ほど足を痛めてしまったのか立ち上がることがままならない。

「そ、そんな……」

薬研も今の状況に軽い絶望を抱いた。娘が立てるようなら今すぐにでも逃がすつもりだった。見つからない自分はもう仕方ないと言って。
しかし、娘の足は2人の願いも虚しく全く動こうとはしてくれない。
「ど、どうしよう。このままでは薬研殿が…」
「嬢ちゃん……」

その時、薬研は遠くで人の足音を聞いた。きっとこっちに向かっている織田軍の武士だろう。
娘はきっと助かる。
だからこれで最後。


薬研は娘をそっと抱きしめた。
といってもお互いに触れることのできない付喪神と人間。あくまで抱きしめる『形』だが。
それでも娘はわずかな温もりを感じた気がした。
「大丈夫だから。お前さんはきっと助かる」
「い…い、や…嫌です。薬研殿が、薬研殿がいない世なんて嫌です!!」
どうやら娘も足音に気がついたようだ。
それが何を意味するのか分からない程娘は愚かではない。
「お前さんにはこの俺っちの加護がつく。きっとな。だから安心していいぜ」
「薬研殿!!」

薬研が娘から離れたのと、仲間がやってきたのはほぼ同時だった。

「無事か!すぐ助けてやるからな」
「私はいい。『薬研藤四郎』を見つけて!この近くにあるはずだから!!」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。今更刀なんか心配してられっか!いいから逃げるぞ」
娘はやってきた男に抱えられた。
泣きながら抵抗するが大の大人に敵うはずもなく外に連れて行かれる。
薬研はそれを見て満足そうに頷いて言った。
「またな。嬢ちゃん。今度会うときは前に言ってた団子屋にでも連れて行ってくれや」



男が何とか外に出たときまた柱が崩れた。
もう中には戻れない。
娘は外に出てからも狂ったように泣き喚き、やがて糸が切れたように眠ったという。



『薬研藤四郎』はこのときを境に行方が分からなくなった。





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