46の短いお話。

□出来る後輩と出来ない先輩。
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『此処が、今日から俺の職場か……』


そう呟いた人物は、この物語の主人公。


『失礼します』


ノックして会社の一室に入る。


『初めまして! 今日からケヤキ文房具の商品開発課で働かせて頂きます、雪平伊織です』


伊織がそう言うと、その部屋にいた20人程の人間が一斉に見る。


『………………?』


「あぁ、えーと、雪平くんだったね。 よろしく」


『はい、よろしくお願いします』


「早速で悪いんだが、君の部署はここじゃない」


『へ?』


「君は第2商品開発課に配属となってる。 場所は、5階の右端だ」


『わ、分かりました…』


「では、頑張りたまえよ」


『あ、はい。 失礼しますっ』


そう言って出て行く伊織を、商品化の社員達は薄く笑って見ていた。


「課長、教えてあげないんですかー?」


「そうそう。 あそこに配属になったら、みんなすぐ辞めちゃうんだよって」


「しかも、墓場だし」


「まぁ…知らない方が良い事もあるだろう」




『えーと、第2商品開発課……あ、ここか』


プレートにそう書かれた一室の前に。


『……………ここ…?』


扉はボロい。


プレートに書かれた課の名前は手書きの上、決して上手な字ではない。


醸し出される雰囲気は、明らかに元倉庫。


『……嘘だろ、おい…なんか、陸の孤島みたいな雰囲気プンプンするけど…』


伊織は1つ…いや、3回ほど大きく深呼吸をしてから、扉をノックした。


『失礼します』


一切返事がなかったが、伊織は扉を開けて中に入る。


『ぉ………』


中にいたのは、たった1人の女性だけだった。


『え、と…初めてまして。 今日からこのケヤキ家具の第2商品開発課で働かせていただく雪平伊織です』


「………………」


『…よ、よろしくお願いします』


「……………(コクン」


女性は伊織の言葉に返事をする事なく、唇をムッと真一文字に結び頷くだけで返してみせた。


『……………あの、お名前お伺いしても…』


「……んんー………渡辺、梨加です…」


『渡辺さん、ですね…お願いします。 デスクってここで良いですか?』


梨加 「(コクン」


『……………』


梨加 「………」


『………………渡辺先輩、もうこの会社長いんですか?』


梨加 「………2年…かな…?」


『へ〜 じゃあ、色々教えてくださいね』


梨加 「………うん(コクン」


それから2時間程、ゆっくりではあるが仕事の流れを教えてもらった。


そしてお昼、ちょっとした事件が。


梨加 「そろそろ、ご飯…」


『あ、本当だ。 もうこんな時間なんですね』


梨加 「雪平くん、社食?」


『社食かコンビニか……渡辺先輩は?』


梨加 「私は、コレ」


そう言って梨加はカバンからお弁当箱を。


『あ、お弁当。 じゃあ俺はコンビニ行ってきますね』


梨加 「はい」


伊織は職場近くのコンビニへ行き、10分程で帰ってくる。


『戻りましたー』


梨加 「………はぃ……」


『……?』


デスクに戻った伊織。


向かいのデスクに居る梨加を見ると、この世の終わりの様な顔をしていた。


『…………………どうしたんですか?』


梨加 「あ、いや……」


『?』


梨加の前にある弁当箱を見ると、ご飯の入っている段と、本来おかずが入っているであろう空っぽの段が。


『まさかですけど……おかず忘れたとか…?』


梨加 「……………(コクン」


『………………あの、俺おにぎりとは別にコロッケも買ってきたんで、もし良かったらどうぞ』


梨加 「っ、いいの?」


そう言った梨加は、伊織の手にあるコロッケの入った袋をキラキラした目で見る。


『えぇ、どうぞ。 渡辺先輩、ご飯はあるんですし』


梨加 「ありがとう」


梨加は受け取ったコロッケを大事そうに握りしめた。


『つ、潰れてないっすか?』


梨加 「絶妙な、力加減」


『な、なるほど…』





入社して1週間。


梨加 「はい…はい……ごめんなさい…申し訳ありません…」


『………』


梨加 「……はい、失礼します…」


『何かあったんですか?』


電話を切った梨加にそう問いかける。


梨加 「………取引先の方が、間違えてこっちの方に電話してきて…私が取ったんだ……会う時間に変更があったんだけど、それをうちの人間に伝えるの忘れてて………待ち惚けしたみたいで、相手方が怒ってらっしゃるって………」



『あー、伝え忘れちゃったんですね』


梨加 「うん……何回目だって…怒られた……」


『………………』


そう……この人は、びっくりするくらいに出来ない人なのだ。


仕事も出来ない、プライベートもかなり出来ない。


何が出来ないって……多分、何も出来ないのだ。


梨加 「どうしよう…」


『………まぁ、なる様にしかなりませんよ。 もし俺に何か力になれる事があったら言ってください』


梨加 「………助けて」


『え、何を…?』


梨加 「顛末書、書かなきゃで…」


『………書けと?』


梨加 「書き方を、教えて…ほしい」


『まぁ…それくらいなら』


梨加 「っ、ありがとう」


『2人きりの部署ですからね…助け合って行きましょう。お互い、得手不得手がありますから』


梨加 「うんっ」


梨加がそう返事をした時、扉がノックされた。


この扉がノックされたのは、伊織が入社して初めての事だった。


『はい?』


「失礼するよ」


そう言って入って来たのは、会社の人事部長。


梨加 「じ、人事部長」


『お疲れ様です』


梨加 「お疲れ様です…」


2人は椅子から立ち上がり頭を下げる。


「うむ、お疲れ様」


『部長が来られるなんて、何かあったんですか?』


「いや、実はね、人事の内示にね」


梨加 「人事…ですか…?」


「雪平くんには、来月から商品開発課に異動して貰う」


そう言って人事部長は内示の書類をデスクに置いた。


『え…?』


「正式には来月からだが、明日から向こうに出勤して貰って構わない。 デスクも用意してあるからね」


梨加 「急に、どうして…ですか…?」


「雪平くんが此処に配属されたのは間違いだったんだよ」


『間違い、ですか?』


「確認の為だが、伊織くんの出身校は東京大学の経済学部で良かったかな?」


梨加 「え?」


『えぇ、そうです』


梨加 「東京大学……」


「やはりな…。 実は、今年の新入社員に同じ苗字が2人いてな。 君は商品開発課、もう1人の方が此処、第2商品開発課に配属されるはずだったんだ」


梨加 「そんな…」


「まぁ、そう言う事だから。 明日からは向こうに出勤してくれたまえ」


人事部長がそう言うと、梨加は俯いてしまった。


『………………』


「何か、あるかね?」


『………私が異動になったら、この第2商品開発課はどうなるのでしょう?』


「別に、今まで通りだろう。 大して仕事量もないから、1人で大丈夫だろう」


『………』


「えーと、なんだっけか……あぁ、渡辺くんだったかな。 明日からまた1人でやってもらう事になるが、大丈夫だね?」


梨加 「……………」


「どうなんだね? もし出来ないと言うのなら、もう君には出勤して貰わなくても結構だが」


梨加 「………出来ます…」


「そうか。 では、雪平くん、明日からよろしく頼むよ」


『…部長、すみませんが、その内示は拒否させて頂きます』


「なに?」


『この内示書によると、異議申し立ては四日以内と書かれています。 なので、今現在私から異議を申し立てる権利はありますよね?』


「まぁ、そうだが…正当な理由なしに内示…業務命令を拒否する事は出来んぞ」


『正当な理由はありますよ』


梨加 「っ、雪平くん……」


『先程部長が仰った、ここの仕事量なら1人でも可能という言葉ですが、それは無理でしょう。 実際、新人とは言え私が増えたにも関わらず残業は多いですからね』


梨加 「………」


『そして私は、既に入社初日に異動を命じられてます。 その1週間後に再び異動しろという内示は、流石に拒否させて頂きたいのですが』


「………」


『そして、私は東大出身だからと言うだけで優遇されるのは嬉しくありません。 あそこの学生数をご存知ですか? 余裕で1万をこえるんですよ? 私なんて、たかだかそのうちの1人です。しっかりと、私のした仕事で判断して頂けませんでしょうか? 』


「……後悔してもしらんぞ」


そう言って人事部長は出て行ってしまった。


『後悔なんてするかよバカ』


梨加 「……雪平くん、どうして…」


『この部署には俺と渡辺先輩の2人しか居ないんですよ? たった1週間だけど、一緒に頑張ったじゃないですか』


梨加 「………」


『2人で、見返してやりましょうよ。 これからもお願いしますね、先輩』


梨加 「う、うんっ!」






1ヶ月後。


コンコンと、第2商品開発課の扉がノックされる。


『はい』


「失礼しまーす」


梨加 「あ、菜々香ちゃん」


長沢 「梨加ちゃん、ハッピーなニュース持って来たよ」


梨加 「ニュース?」


長沢 「うん」


彼女は長沢菜々香、渡辺先輩と同期の方だ。


入社当初は駄目な新入社員のツートップと言われていたのだが、長沢はトントン拍子に奇抜なアイデアを出し、今や商品開発課の次期エースとまで言われている。


『長沢先輩、ニュースってもしかして…』


長沢 「うん。 2人の開発した、"アオコのふわふわもちもちシャーペン〜折れないよ 可愛いよ〜"が発売される事になりました!」


梨加 「え、本当?」


長沢 「うん! 来月の新商品品評会で正式発表されるよ」


梨加 「んん…雪平くん…」


『良かったですね』


梨加 「うん…!」


『でも、まだ一歩目です。 先輩、アオコシリーズいっぱい出したいんでしょ?』


梨加 「うん。 頑張る」


長沢 「それで、2人には今週末の商品開発会議に出席して貰うから。 もし他にもアイデアいるなら、そこで出してね」


梨加 「ア、アオコののくるくるコンパスも…?」


長沢 「うん」


梨加 「アオコの真っ白消しゴムも?」


長沢 「うん。 青いのか白いのか分からないけど」


梨加 「じゃあ…いっぱい考えなきゃ…」


『ですね』


長沢 「雪平くん、梨加ちゃんの事お願いね」


『え?』


長沢 「異動の内示断った事、本当に嬉しかったみたいだから」


梨加 「なーこちゃん……//」


長沢 「ふふw 梨加ちゃん、お礼言ったの?」


梨加 「………ん……」


『お礼とかは、大丈夫ですよ。 自分の好きな所に居るだけですから』


梨加 「んん………//」


長沢 「好きな所に居るって言っただけで、梨加ちゃんの事を好きって言ってる訳じゃないんだから照れないのw」


『あははw 渡辺先輩の事も好きですよw』


梨加 「あ………ん……」


長沢 「答えなさい」


梨加 「………………アオコも、伊織くんの事好きだって…言ってる……」


『w』


長沢 「あらら…w こんな梨加ちゃんだけど、お願いします」


『こちらこそ、お願いします』


梨加 「………はい」
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