1周年記念小説

□嘘のない世界。
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嘘。


辞書によるとそれは


事実ではない事

人を騙すために言う、事実とは異なる言葉


となっている。


しかし、これ自体が嘘だったら。


俺だけが持っているこの能力は、なんと名付けよう。


ここは、嘘のない世界。


もちろん、嘘のない世界に住んでいる俺がそう言っているのだから、それに偽りはない。


この世界の人には、嘘をつく、偽るという概念がないらしい。


その証拠に、ほら。


今も、テレビで言ってるよ。


金が欲しかったから賄賂貰ったんだ、文句あるかこの野郎、って。


政治家の人がカメラに向かってそう言い放ってる。


清々しいね、嘘のない世界は。


そんな中、俺は気付いちゃったんだよ。


嘘のない世界ってのは、"偽りのない世界"なんじゃない。


言った事が、"本当になる世界"なんだって。




今日1日休みの俺は、ずっと前から凄く楽しみにしていたアイドルの握手会へと来ていた。


さて、今日は何を"本当"にしようかな……。


長い数珠繋ぎになっている人達。


この人達は、みんながアイドルと握手がしたくて並んでいる。


その列の最後尾に並ぼうかと一瞬悩むが、俺は並ぶ事をせずにその列の先頭の方へと歩く。


1番前まで来て、俺は並んでいた人の前に入る。


男 「ちょっと、なに割り混んでるんですか?」


『え? 俺、ずっとここに並んでましたよ?』


男 「あぁ…そういえばそうでしたね。 すみません、こちらの勘違いでした」


『いえ』


俺は小さく会釈をして前を向く。


そして、それからすぐに俺の番になった。


スタッフ 「次の方どうぞ〜」


『はーい』


俺はスタッフの人に1枚の券を渡し、先に進むとお目当てのアイドルが。


柏木 「こんにちは〜」


『こんにちは』


俺が前まで行くと、手を差し出してきたのは柏木由紀さん。


AKB48という大人数のアイドルグループの中でも、かなり人気のあるメンバーだ。


柏木 「たしか、前にも来てくれた事ありますよね?」


『何度か、来ましたね』


柏木 「また、来てくださいね?」


『えぇ、また来ますよ』


そんな事を話していると、剥がしと呼ばれるスタッフさんが時間を知らせてくる。


剥がし 「お時間です」


『え? 俺、券は30枚出したんですけど…』


俺がそう言うと、剥がしは少し慌てたような素振りを見せる。


剥がし 「そうでしたか! 申し訳ありません!」


『いえ』


柏木 「ふふ、せっかちなスタッフさんだね」


『うん、困っちゃうよ。 せっかくゆきりんと握手してるのに、早く終わらせられちゃったら悲しいからね』


柏木 「そうだね」


嘘のない世界だからこそ、傷付く事もたまにある。


でも、そんな事を凌駕出来るのが、この能力。


『そう言えば、約束忘れてないよね?』


柏木 「え、約束?」


『あ、忘れたんだ…』


柏木 「ごめん、覚えてないや…」


『今日の夜8時に、六本木のnaomileってレストランで食事しようって』


柏木 「あ、そういえばそうだったね!」


『うん。 待ってるからね? 忘れちゃダメだよ?』


柏木 「分かったよ! 絶対忘れないね」


『ありがとう。 じゃあ、そろそろ時間みたいだから』


柏木 「うん、ばいばい!」


『ばいばい』


俺はゆきりんに手を振って、会場から出た。


さて、約束の時間まで5時間位あるけど、これから何しようかな。


つまらない映画でも観て、時間を潰そうか。




夜の8時。


六本木にあるnaomileというレストラン。


そこで待っていると、向かいの席に座る女性が1人。


柏木 「お待たせ」


『ううん、待ってないよ』


柏木 「良かった。 それより、ずっと気になってたんだけどね?」


『どうしたの?』


柏木 「あなたの名前、なんだったけ?」


『え、彼氏の名前忘れたの?』


柏木 「か、彼氏…?」


『1週間前、ゆきりんが告白してきたんだよ? それも覚えてないの?』


柏木 「あ、そうだったね。 ごめんなさい」


『ううん、気にしてないよ。 疲れてるだろうし。 ちなみに、俺の名前は充雪だから』


柏木 「うん、分かった。 充雪くんだね。 もう、忘れないよ」


『そうしてくれないと、悲しいよ』


柏木 「ふふw」


『さ、何飲む?』


柏木 「うーん、何が良いかな〜」


俺がメニューを広げると、ゆきりんはそれを覗き込むように見る。


うん、恋人っぽいな。


こうやって恋人になるって事も、なくはないだろう。





俺がゆきりんと付き合い始めてから、既に半年が経とうとしていた。


あれから、週に1回位はゆきりんとデートをしている。


この世界でも、アイドルに恋人が居るって事もよくある事だ。


ただ、それを隠すような事はしない。


聞かれたら素直に答えてしまう。


ゆきりんに彼氏がいる事も、すぐに露呈したし。


その彼氏が俺だって事も、みんなが知っている。


だから、特にビクビク隠れる必要も無いから、
堂々とこうやってデートが出来る。


柏木 「ボーッとしてどうしたの?」


『ん?』


柏木 「さっきから、何か考え事してるみたい」


そう言ってゆきりんは、俺の顔を覗き込んでくる。


『…………何でもないよ』


柏木 「それなら良いけど…具合悪かったりしたら言ってね?」


『うん、ありがとう』


俺とゆきりんは、手を繋いで街を歩く。


柏木 「幸せだな〜」


『え?』


柏木 「こうやって自分の好きな人と、手を繋いでデート出来るなんて。 幸せな事だと思わない?」


『………そうだね』


ゆきりんのこの言葉は、きっと本心なんだろうと思う。


ゆきりんは、偽るって事が出来無いから。


ゆきりんは俺の事が好きってそう言えば、私は充雪くんの事が好きなんだって認識する。


そう認識させたのは、俺だ。


もちろん、そう思ってもらえるなんて凄く嬉しい。


ゆきりんは俺の事が好きだし、恋人だからキスもするしセックスもするし。


でも、最近になって、なぜか虚しくなる時がある。


手を繋いで歩いている今も。


いっその事、全て打ち明けてしまおうかとも思った。


でも、嘘のない世界であるが故に、嘘ついてたんだって言っても伝わらないし、理解出来ないんだよな。


柏木 「ねぇ、充雪くん」


『どうしたの?』


柏木 「何か、悩んでる?」


そんな事を聞いてくるゆきりん。


『どうして、そう思うの?』


柏木 「なんとなく、分かっちゃうんだよね〜」


『……そっか』


柏木 「ふふ」


微笑むように笑いかけてくるゆきりん。


『……………』


嘘をつくのって、こんなリスクがあるんだな。


伝えたい。


全部嘘なんだって。


でも、それが分かってもらえない。


分かって貰えないのなら……俺は、本当の事を言おう。


『………ゆきりん』


柏木 「どうしたの?」


『俺…ゆきりんの事が好きだよ』


柏木 「ありがとう。 私も好きだよ」


『心の底から…ゆきりんの事が好き』


柏木 「急にどうしたの…?」


『ううん。 俺の気持ち、知っておいて欲しくて』


俺がそう言うと、ゆきりんはクスッと笑う。


柏木 「知ってるよ」


『え?』


柏木 「私…充雪くんの事なら、全部知ってるよ?」


『………そっか』


柏木 「ほら、行こう?」


そう言って俺の手を引くゆきりんは、本当に全てを知っているかのような笑顔をしていた。







FIN

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