ホストクラブダンガン愛ランド

□その1
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「落ちろ…落ちろ…」

薄暗い照明に照らされた広い部屋。
そこには人が5〜6人座れそうなコの字型のソファが多数あり、各々薄いカーテンで仕切られ半個室状態になっている。
その一角からボソボソと不気味な声が響きわたっていた。

ソファの前には、如何にも値段が高そうな低く黒い光沢のテーブル。その下には、これまた値段が張りそうな白い毛足の長いラグが敷かれている。
なんでもこのラグは、トルコからの輸入品らしく、大型家具販売専門店でも売ってない特別品との事。
なまじ安くは無いものなので、すぐに交換するわけにもいかず、汚れや欠損が生じた場合には修正対応が必要な代物だ。
と言うより、汚れたら捨てて、新しいものを購入する、なんてサイクルは、どうかと思う。
勿体無いのは勿論だが、モノに有り難みを感じていないのが何より嫌だ。消耗品でもないし、況してや高いものなのに…

四つん這いの格好でラグにへばり付き、洗剤を染み込ませた布をトントンと必死に叩いては乾拭き、叩いては乾拭きを繰り返し、格闘すること数時間。
絶望的に赤黒かったシミが、俄に信じがたいくらい綺麗に汚れが落ちた。
本来の白さを取り戻した事を目視で確認すると、日向は満足げに頷き、曲げていた体をゆっくり起こす。
背中や膝に鈍い痛みを感じると言うことは、それだけの時間この染みと格闘していたということだろう。
ううーと唸りながら、腰を両手に当て軽く仰け反って体を解していると、後方から店の扉の開いた音がした。

『日向くん、おはようございまちゅ!』
「おはようございます、オーナー」
日向はすっと立ち上がり、姿勢を正す、そして目の前に現れたウサギのヌイグルミ…ならぬ、店のオーナー兼マスコットキャラクターであるウサミに挨拶した。
オーナーがヌイグルミであることは、最初こそ圧倒されていたが、店で働くこと早2ヶ月。今やすっかり慣れてしまい、何の違和感も無く対応出来るようになってしまった。しかし、いい年の男が、ウサギのヌイグルミと普通に話をしてあるなんて、知らない人間から見ればさも滑稽だろう。
因みに、誰がどうやってこのヌイグルミを操っているのかは一切謎。それを聞くことすら店のタブーと言った雰囲気である。

『[先生]でいいでちゅよ!今日も早くから出勤ちてくれて、ありがとうございまちゅ!日向くんがこのお店に来てから、先生本当に助かってまちゅー!』
うふふと、ウサミは嬉しそうに微笑んだ。
オーナーが先生で、従業員が生徒と言ったこの店ならではの設定も謎だ。
接客中は特に意識することはないようだが、ウサミの中では、そういった関係性が必要らしい。
ここのオーナーはしょっちゅう自分を先生と呼べと言うのだが、この店の新人である日向が易々と言われるがままにそのように呼ぶ事は、あまりにも恐縮すぎて現在まで出来たことはない。

困ったように笑い、返答を誤魔化していると、ウサミが何かに気付いたように日向の足元に目をやった。
『はっ!昨日お客様が溢したワインの染みが無くなっまちゅーー!』
とてとてと、先程まで日向がへばり付いていたラグに近付き、ウサミが感嘆の声を上げる。
「こんなことしか出来ないんで」
『こんなこと、何かじゃないでちゅよ!モノを大切に、丁寧に扱う事の出来る子はとっても偉いでちゅ!染みも全然分からなくなってまちゅし、日向くんは素晴らしい生徒でちゅー!』
ウサミはラグと日向を見比べ、拍手をしながら絶賛した。本当に心から喜んでいると言った様子。

そんな風に手放しに褒められると、落ち着かない。どうしていいか分からなくなる。次に発していい言葉は、ありがとう?すいません?お礼を言うのはおかしいかな…その褒め言葉を当然とばかりに受け入れてるのかと思われたら図々しいし、かといって悪いことをした訳でもないので、謝るのも検討違いな気がする。
考えた挙げ句、日向は恥ずかしそうにウサミから視線を逸らすと、「き、恐縮です…」と小声で呟いた。

そのとき、再度店のドアが開く音がする。

「二人とも〜!おはよう!」
『おはようございまちゅ!花村くん』
「おはようございます、料理長」
「日向くん硬い!硬いよ〜!硬いのはアソコだけで十分だって!」
当然のように放たれる花村の下ネタ。
これも店に入って慣れたことのひとつである。
日向はこれに動じることも無く、花村へと視線を向けた。
彼の両手にはビニール袋が下げられており、その白い袋からうっすらとカラフルな色の物体が見える。これらは恐らく本日のフルーツ盛り合わせの材料だろう。
通常店で多く使用するものは大量に仕入れるようにしているが、料理人としての才能がある花村輝々は、毎日必ず、何かしら手を加えゲストに料理を提供している。常連に関してでもフードに飽きがこないよう、食を楽しんでもらう為の配慮とのことだ。

日向は花村に、「運びますよ。」と言い、手を差し出した。
花村は嬉しそうにお礼を言って、手元のビニール袋を日向へ手渡す。
結構重い。小さい体で、苦労して店まで荷物を持参するところが、さすがと言ったところか。

『みてくだちゃい!日向くんが昨日の染みを取ってくれたのでちゅよ!』
「ええ?!あのワインの?!あれ落とすのって至難の技だよね?!日向くんスゴい!それが君の才能なのかい?!」
「ま、まさか!たまたまだって!」
今度は二人ががりで褒められ、日向あわあわとふためく。
何が"たまたま"なのか、発言した日向自身もよく分からなかったが、もう兎に角自分が大したことをしてない事が二人に伝わればそれでよかった。
しかし、そんな日向の思いを感じとる事無く、喜んでいるのか、はたまた恥ずかしがる日向をからかっているのか不明だが、ウサミと花村は『すごいすごい♪』と軽く歌いながらラグの周辺を楽しそうに回り出した。
日向は何とかして二人を宥めようと、落ち着けと言わんばかりに両手でジェスチャーしてみるも、効果は無し。

ああもう本当にいいから…!!何だよこれ!早く誰か来てくれーー!!

そうやって日向が頭を抱え始めた時――

「ふ…闇夜に誘われし魔人共が揃っているようだな…」
「素直におはようが言えねぇのかお前は!」

日向の思いが通じたのか、店のキャストが次々に店内へ入ってきた。
ああ、漸くこの話題から抜け出せる!そんな期待から日向は、ほっと胸を撫で下ろす。

「よーっす!日向!」
店のキャストの一人、左右田和一が日向に駆け寄り、ガバッと右手を日向の肩へかけた。
そのまま何か話し掛けようとしたが、開かれた口からは何の言葉も紡がれない。
そんな様子を見て、日向は不思議そうに首を傾げた。
彼の目の先には、先程まで日向が掃除したラグがある。
昨日、大口の客が酔っ払って倒した数百万のワイン。その染みが、ものの見事に無くなっていたのだ。
数秒間そこを凝視した左右田であったが、次の瞬間には何事もなかったかのように日向との会話を始め出した。

「貸したマンガ読んだか?あれマジヤベーだろ!」
「ああ、巻数多いけど、内容が面白くてもう半分まで読んだよ。お陰で寝不足だ」
「だろー!!やっぱさぁ、あの主人公が敵の中に乗り込んでいくシーンが…」

「ちょっと」

楽しそうにマンガ談義を始めようとした二人の真後ろから突然、不快と言わんばかりの声が響く。
日向は心の中で「しまった」と呟き、目を瞑った。

「ねぇ、キミみたいな雑用係がさ。馴れ馴れしく一流のホスト達と会話していいと思ってるの?」

いきなり投げ掛けられる辛辣な台詞。
しかし日向はこれに怒ることもなく、申し訳なさそうに左右田へ視線を合わせる。
それを受けた左右田は、またかよ、と言わんばかりにため息をつき、残念そうに日向から離れた。

日向はゆっくりと振返り、声の主に体を向ける。
ふわりとした白髪、人の手で彫って造られたのではと思うほどバランスの良い顔立ち、それに似合う白い肌を持つなんとも神秘的な青年が、両腕を組み日向の目の前立ちはだかっていた。
その整った眉の間にはシワが刻まれ、心底気に入らないと言う雰囲気で日向を見下ろしている。
身長は恐らく日向と変わり無いのだが、見下ろしているという感覚になるのは、彼の威圧感によるものであろう。

「……すいません…でした。」
「まったく。これだから、覚えの悪い凡人は困るよ。昨日言っておいたボクの靴、ちゃんと磨いてくれてるわけ?」
「はい、磨いてロッカールームに。」

間髪入れず日向が答える。
これ以上この男のご機嫌を損ねない為にも、笑顔を作り、穏便な会話を試みた。

そんな様子を値踏みするように見ていると、ふと日向の足元のラグに気付く。
一瞬で状況を判断したようで、今まで不愉快と言わんばかりに険しかった顔がニヤリとした表情へ変化した。

「ふぅん。さすが、この店の主体な業務をしていないだけのことはあるね!細々とした仕事はそこそこ出来てるみたいだし。そうやって今日も独楽鼠のようにくるくると働いてよ、雑用係クン」
語尾にハートでも付いているのかと思う口調。
そこまで言って、漸く満足出来たのか、彼は上機嫌にロッカールームへ歩いて行った。

その後ろ姿を見送りながら、日向は深い溜め息をつく。
日向が入店して2ヶ月、この男からの嫌味も大分慣れてきたが、言われる度に心底思う。
狛枝凪斗は、俺の事を相当嫌いなんだろうな、と。
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