アヤカシ恋草紙

□カミノニエ15
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蝉の声がする。


葵は部屋の中で、ぼんやりとベットに寝転がっていた。
今が何日なのか、何曜日なのか、そんな事もどうでもよかった。

何もかもどうでもいい。

無機質なバイブレーションの振動がマットレスを伝って身体に響いた。
携帯の着信だ。

気だるそうに、通話ボタンをタップした。

「…はい」
『もしもし、葵くん?御森だけど』
「……御森、くん」
『今から出てこれる?』
「…なんで」
『待ってる』

ぷつっと電話が途切れる。

ここずっと、総や智己からの電話が絶えなかった。
2人とも葵を心配して、交代で電話をかけて来る。

もう、夏も終わる。

葵の心だけを取り残して、季節が移ろいで行く。

いつもなら、断る誘いの電話だったが、今日は御森で、しかも待ってるという。
仕方なく葵はのろのろと身体を起こして、部屋を出た。

階段を降りると、母親が少し驚いた顔をする。

「ちょっと…そこ出て来る」
「…そ、そう!いってらっしゃい」

嬉しそうな母の姿に、少し罪悪感が芽生えた。
ずっと部屋に引きこもっていたのだから、心配をかけているだろう。

サンダルを引っ掛けて、玄関のドアを開ける。
眩しい日差しに、目を細めた。

家の外に出るのは、果たして何日ぶりになるのだろう。

庭には入らず、門の前で御森が葵を見つけて手を振った。

「久しぶり…!おはよう。ってもうお昼だけど」
「…久しぶり」
「元気だった?」
「……何の用」
「これ」

御森が、手に持っていた鞄から袋入りの何かを取り出して、葵に差し出した。
渡されたのは、色紙だった。
葵にはよく覚えのある物だった。

「泰牙くんの」
「……寄せ書き」
「うん、急だったから……お別れ会もしないままだったし。新堂先生が届けてくれるって」
「……うん」

いつも書いてもらう側だった。書くのは初めてだった。
元気でね、とか、向こうでも頑張ってね、とか当たり障りのない言葉ばかりが並べられている。

でも、結局月日が経てば、皆の中で忘れられていくのだ。

「……大丈夫?」
「えっ?」
「……泰牙くんの事」
「…うん…気にしないで」

御森がそう、とだけ短く返事をして、後ろを振り返る。
青が濃い空の下で、山の裾野に緑が生き生きと広がっている。

「……おおかみ森も随分変わっちゃったね。以前はもっと不思議な感じがしたのに、今は全くそんな感じはないし。本当に普通の森だ」
「おおかみ森??」
「うん、古くからこの町にいる人はそう呼んでた」
「…そう、なんだ」

狼なのか大神なのか。どちらにしろ、おおかみはもうあの森にはいない。

「…祠も崩れてなくなっちゃったんだって」
「うん、みたい…だね」

御森の眉が下がる。何を言っても上の空のような葵の返事に、困ったのかもしれない。

「これ、君で最後だから。明日、始業式…忘れず持って来てね」
「……うん」
「それじゃ…頼んだよ」

ポンッと腕を叩いて、御森が帰っていく。その背中をぼんやり見送った。
もう、明日は始業式なのか。

この夏、葵はどこにも出掛けなかった。ほとんど自分の部屋の中で無為に時間を過ごした。
日にちを数えたくなかった。
過ぎ去る日々が辛かった。

日差しがきつく照り、森が陽炎のように揺らめいた。

すべて、幻だったのかもしれない。そう思えればきっと楽だった。

「……学校」

もしかしたら。
もしかしたら、明日学校に行けば、何でもないように、朝、隣の席に座っているのかもしれない。

屋上でのんびり昼寝をしているかもしれない。

けれど、心の底ではわかっている。


泰牙の神力を、もう、感じられない。



最初の数日こそ、泰牙を探して走り回った。
山の中も、森の中も駆けずり回った。

泰牙の住処はまるでそこには誰もいなかったかのように、ただの洞になっていた。
泰牙と歩いた森の道も、祠の跡も、神聖な空気もなにもかも消えてしまった。

オオカミはいなくなってしまった。
ここはもう、オオカミの森ではなくなってしまったのだ。


(ずっと、一緒にいるって言ったのに…)


あれは、最初で最後の、泰牙の嘘だった。
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