アヤカシ恋草紙

□カミノニエ9
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ぐるっと寝返る。まさに今襲いかかって来る黒い闇が見えた。視界が闇に覆われる。黒い影、女の悲鳴が耳にこだまする。
このシーンを葵は知っていた。

「ああそうか、さっきの夢は、お前の…これは、お前の記憶なのか」

では、殺したのは泰牙ではない。山神だ。こんな時だが、葵は良かったと息を吐いた。

(よかった…やっぱり泰牙じゃない)

暗い。息もできず、酷い硫黄の匂いで頭がクラクラする。
手を広げて、女を抱きとめた。捕まえた。

「分かるよ、怖かったんだろ。お前は巫女…山神の生け贄だったんだな…怖かったね」
『ニエ』
「俺見たよ、黒い影が襲うの。痛かったろ…だけど、俺を食らったって痛みは消えない。山神と同じようなものになるだけだっ」
『…イヤダ、イヤダ』
「だろ…」

正直息を吸うのも苦しい。頭がガンガンと割れるようにいたい。丁度酸素不足に陥ったときの感覚と似ている。

「だから、やめよう、こんな事、君も人間なんだろ……俺が浄化する。大丈夫」
『ニエ』
「っ」

女の口ががぱっと開いた。口の中には何もなく、ただ闇が広がっている。死の世界なのだ。

「駄目か…頼む、話を聞いて」

飲まれる。そう思って目をつむる。

ガブリ。


生暖かい。痛みはない…いや、少し牙がいたい。
腹の辺りを咥えられる。

ふわりと体が浮いて、次の瞬間心地よい風が吹き抜けていた。

「……!」

葵を咥えていたのは巫女ではなかった。
白銀の毛並みを輝かせ、風のように駆ける大きな、大きなケモノ。

「泰牙」

なぜ、泰牙だと思ったのか葵は自分自身よく分からなかった。
人間の姿の泰牙とは似ても似つかない。何倍も大きく、ましてや人の姿などしていない。

けれどもそれは泰牙だと確信していた。ケモノの放つ優しい気をそうだと思ったのかもしれないし、金色に光る瞳を見てそう思ったのかもしれない。
とにかく、それは泰牙だった。

「泰牙……」

声が掠れる。
堪えていた涙がぽろぽろと溢れた。

「よかっ…生きてた…」

ケモノが跳躍する。
葵の部屋の窓をくぐり抜ける瞬間、ふわっと、ケモノの姿が消える。

突然空中で放り投げられて、葵は部屋の中にゴロゴロと派手に転がった。

「いってて……っ、泰牙!」

すぐに飛び起きる。泰牙はいた。人の姿で部屋の壁際にぐったりと体をもたげている。切り傷…いや引っかき傷だろうか、かみ傷まである。血だらけだった。

「泰牙!」

慌てて駆け寄る。ぐったりとして動かないので、すぐに胸に耳をあてて鼓動を聞く。
トクトクと規則正しい音を聞いて、ひとまず生きている事を確認した。一見して今すぐ命に関わりそうな傷はない。

「よかった、生きてる…」

顔を上げると、金色の瞳が葵を見ていた。

「……怖く、ないのか」
「何言ってんだよ!…痛む?」
「…さっきの、見たろ?」
「見たよ!でも、そんな事言ってる場合じゃ」
「…部屋を…出るなって、言った、のに」
「お前が出てったら、俺も出てくって言ったろ!」

泰牙は傷が痛むようで、ほんの僅かだったが…それでも確かに微笑んだ。

「……跳ねっ返り」
「うるさいな!傷、みせて…手当てするから」

確か、前に泰牙からもらった塗り薬がある。引き出しにしまっておいた筈だ。葵が、立ち上がろうとすると、腕を掴まれ引き止められた。
熱い手だった。熱があるのかもしれない。

「これは…傷じゃない…障りだ………薬は効かない」
「じゃ、どうしたらいい?」
「一晩寝れば…平気だ」
「そんなわけないだろ!こんな、ボロボロで…」

引っ張られる腕の力が強くなる。葵は泰牙の腕の中に倒れ込んでしまった。

「わっちょっ…」
「葵」

そのまま泰牙に抱きかかえられるようにして、なだれるように二人とも床に横倒しになった。

「少しだけ…このまま」

すぐ近くで、泰牙の声が響く。非常時でも、心臓は正直に鼓動を早める。泰牙の体温が熱い。

「あ…う……ちゃ、ちゃんと説明しろっ」
「……お前をここに運んですぐ、あれが入り込んで来た…迂闊だった。お前が気を失って、家の護りが揺らいだんだ。紫陽花のおかげで、何とかなったが」
「紫陽花…」
「…それで、ここを飛び出して…それからは防戦だ。朝まで耐えれば何とかなった」

ぎゅうっと泰牙の抱きしめる腕に力が入る。痛いくらいだった。

「…苦しいって」

抗議しても、泰牙の力は緩まるどころか、いっそうきつく葵を抱き寄せる。
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