アヤカシ恋草紙

□カミノニエ9
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森に入って暫くして血痕を見失った。闇が濃く、目を凝らしても殆ど何も見えない。携帯は森へ入ってすぐに使い物にならなくなった。
もうすぐ12時になってしまう。一番濃い闇が訪れてしまう。

「泰牙…っ泰牙」

呼んでも反応はない。神力を感じない。遠くにいても感じた筈の力強い泰牙の気配を、今は全く感じられなかった。
月のない夜、森はいっそう暗い闇に覆われている。あんな夢を見た後では、余計に恐ろしかった。でも、そんな事よりも、泰牙を探さなければ。恐怖に震える足を、気力で前に進めていた。

「泰牙っ!」

いつも呼べばすぐに来てくれた泰牙は、何度呼んでも呼びかけに応じる事はない。八方塞がりだった。
しゃくり上げそうになるのを必死に堪える。涙が溢れないように、闇を睨みつけた。

「どこにいるんだよ…わっ」

何かにぶつかった。

「いった…………あ」

祠だ。溢れるような強い神力を感じた筈のこの場所も、今ではすっかり静まり返っている。それが不安に拍車をかけた。泰牙は死んでしまっているかもしれない。

「助けてよ神様なんだろ」

なす術もなく、祠に縋る。
泰牙は鎮守神に願いを叶える力はないのだといった。
それでも仮にも神だというのなら。

「ひっ…く…、なんで、泰牙なんだよ……」

ダンっと祠を叩く。
バサバサと何かが雪崩のように祠の中から崩れ落ちて来た。

「…っ、これ」

紙の束だった。
最初にここに来た時にも見た。
あの時泰牙は、お願い事が書いてある紙だと言った。

「こんなに沢山」

願っても願っても、神様が願いを叶える事はない。
いや、そもそもを間違えているのかもしれない。

「……縋っても、意味ないんだ」

神様は決して人の味方ではないのだ。事実山神は祟る。
よろよろと立ち上がり、背筋を伸ばした。

だったら。

「……聞こえてんだろ。ここで前にお前を見た、いるんだろ!巫女!」

ザワザワと森がわななく。何十、何百もの人がひそひそ話をしているような音が重なりあい不協和音を奏で出す。

そして心臓に、冷たい刃物で貫かれたような憎悪を感じた。

「………巫女」

いる。

暗闇から憎しみを感じる。
姿は見えないが、いる。
鼓動がじっとしていても耳にうるさい。胸が苦しくて息を吸うのもままならない。硫黄の匂いがする。

死者だ。

汗がどっと吹き出した。でも、逃げ出すわけにはいかない。

「何で、泰牙を狙うんだ」
『………ワタシノ警告ヲ 何故キカナイ』
「警告…?」
『ケモノ 悪イモノ』
「なぜ?」
『ワタシヲ ダマシタ 山神ト オナジ浅マシイ ケモノ… 命惜シクバ、ケモノヲ殺セ。巫女ニハ ナッテハナラナイ』

殺せ…ということは、泰牙はまだ生きている。

『ワタシ オ オ マエ ワタシ キレイ』
「……?」

どもりながら話していたが、段々と口調が怪しくなっている。

「お…おい」
『……キレイ チカラ』
「巫女…?」
『ミコ』
「どうしたん…だよ」
『ドウシタ』

おうむ返しの返答にぞっとした。
これ以上は危険だ。
葵には身を守る術は何もない。早急にここを立ち去った方がいい。

「…っわかった、もう用はない」
『ワタシ ミコ 山神ノ ニエ』

巫女を刺激しないように、そろそろとその場を後ずさる。

『ミコ ワタシ 山神 オマエ 山神 オマエ ニエ』
「…」
『ケモノ ミコ ヨラナイ ワタシ ガ ホシガルカラ』
「…っ!」

隙を見て一気に駆け出す。逃げ切れるのだろうか。車に張り付いて追って来たようなものを。

『ホシイ ヨコセ ホシイ ヨコセ』

声は一定の距離の所でずっと聞こえる。追い付く事も追い越す事もせず、ぴったりと後ろについて来ていた。襲わないのではない。追い付けないのでもない。走り回らせて弱り切った所を襲いかかる気だ。転けたり走るのをやめれば、きっと襲いかかって来るだろう。

「くそっ…どうしよう、先生の所まで走れるかなっ」

とりあえず、泰牙が無事なのだ。新堂に応援を求めるのが最善だと思えた。

しかし暗闇では思うように走れない。
湿った葉か苔か何かに滑り、全身を地面に打ち付ける。

草食動物の気持ちはこんなものだろうか。最後にもう一度、泰牙に会いたかった。

「……いや、駄目だまだ死ねないっ!!」
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