主のイロハ
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上手く行ったように思うのに、いつも、すぐにすれ違ってしまって上手く行かない。
俺と恭一はそもそも性格も価値観も合わない。
だけど、上手く行くんじゃないかって心のどこかでは思っていた。
ここに来て、恭一が自分より親しげにする人間がいる。
その事実が自分でも思ったより、俺の気持ちを沈めた。
授業終わり、申請書を出しに行った2人の背中を見ながら、俺は学食でぼうっと座っていた。
ショックを受けているんだという事にも、少し驚いていた。
「…バカバカしい。何を思春期のガキみたいな事を考えてんだ俺」
そう、頭を振って呟いたときだった。
こつっと何かが俺の後頭部に直撃する。
「てえ!なんだ!?」
振り返っても人影は見当たらない。
下を見ると、食堂のつるりとした床の上に丸めた紙が落ちていた。
「誰だよ、俺はゴミ箱じゃねーって…の……」
ゴミにしては大きい。
丸めた紙はどうやらゴミではなさそうだった。
中を開いて、文字を認める。
俺はもう一度ハッと振り返った。
必死で投げつけて来た犯人を捜したが、それらしい人物は見当たらない。
「冗談…きついぞ…」
震える手の中に、よく刑事ドラマなんかで見るような新聞の切り抜きを張り合わせた文字で綴られたそれは、俺のさっきまでの悩みを吹き飛ばした。
" オマエ ノ チチオヤ ハ 殺サレタ ”
「…殺された?そんな筈ない、父さんは…」
見たくはないのに、目は手紙の文字を追う。
止められなかった。
” 後継者 ハ 望ムナ ”
" サモナクバ チチオヤ ト 同ジ運命ヲ 辿ル事ニナル ”
" コレ ハ 警告ダ ”
…立派な脅迫文だ。
俺が後継者になる事を望まないものがいる。
俺を憎んでいる人間がいる。
「……何で、俺ばっか、こんな」
頭がぐるぐるする。
父さんが殺された?
誰に??
俺も殺される?俺が後継者になると困る者?
「これ以上俺から、何を取り上げようってんだよ!!」
父も、母も、家も失くして。じいちゃんには否定され、必死に縋り付いた居場所さえ…
「…居場所」
恭一の顔が浮かぶ。ポチや千奈美ちゃんや茉莉や美紗子さんがいる。
「……っ」
俺は食堂を飛び出した。
とにかく必死で、人通りのある所を避けて、避けて、避け続けた。全速力で走って人目のない講堂の裏にまで辿り着いて、俺は、やっと歩みを止めた。
いつの間にかあの屋敷は、俺の、たった一つの、居場所になっていた。心の拠り所になっていた。
いや…違う。
そうじゃない、あの屋敷じゃない。
「恭一だ、恭一なんだ…俺の…居場所を作ってくれるのは」
ずるずると壁を背にして、地面へ座り込む。
恭一と出会わなければ俺は今頃路頭に迷っていたかもしれない。
一人寂しく死んでたかもしれない。
ここへ連れて来て、強引なところもあるけれど、だけど、全部俺の為で。俺の事をいつも考えてくれている。
俺を必要だと言ってくれる。
こんな俺を慕って俺の存在を必要としてくれる。
世界中探しても、そんなのは恭一だけだった。
母さんがいなくなってからは、ずっと一人だった。
それが普通になってしまっていたから、気がつかなかった。
「俺は……家族が欲しかったんだ…」
傍にいてくれる人が。
無条件に味方になってくれる人が。
後継者になれないのなら、俺は、あの場所を出て行かなければならないんだ。
ずっと寂しい一人のご飯が、今は茉莉と一緒に食べたり、たまに恭一も混ざって三人でこっそり晩餐を楽しんで。
夜はポチと一緒に寝たり、恭一とお酒を飲んだりする。
それは些細な幸せだったけれど。
「……地位なんていらない、金なんて、財産なんてどうだっていいんだ」
贅沢な暮らしがしたいんじゃない。ただ、皆と…恭一と一緒にいたかった。
「俺の、俺のささやかな幸せを脅かさないでくれ…」
たとえ、僅かな間だけなのかもしれなくても。
たとえ、いずれあの場所を出て行かなくてはならないのだとしても。
ずるずると鼻水をかんで、自分の頬をピシャリと叩く。あふれそうになった涙を必死に誤摩化して顔を上げた。
戻ろう。
恭一の所に。
俺の事をずっと待っていてくれる人の所に。
立ち上がりかけてハッとする。
辺りはしんと静まった、暗くて人目につきにくい場所だった。何故なら、俺が人目を避けた場所に来たからだ。
『すぐ、戻りますからここにいてくださいね』
食堂を出る前、恭一は俺にそう言った。
『絶対に一人で人気のない所には行かないでください』
恭一の警告を今、思い出していた。
じわりと、汗が滴る。
後ろに下がろうとして、壁がある事を思い出す。
「東雲…敦也、だな?」
いつの間にか俺を取り囲んでいた数名の男が、薄く笑った。