主のイロハ

□9
2ページ/3ページ


大学では恭一は普通の学生をしていて新鮮だ。
恭一が留年したので学年は上だが何人か友達もいるみたいで、時々話しかけられたりしている。

そんな時、俺は少し戸惑ってしまうんだけど。

授業前、俺たちが並んで席に着くと、後ろに座った学生がバシッと親しげに恭一の背を叩く。

「新妻ー!お前ひっさしぶりだなあ元気してたかよ!」

はたかれた背中を眉を寄せてさすりつつ、恭一は怒ってはないようで、軽く睨む仕草も気のしれた間柄である事を思わせる。
たった数ヶ月前に会った俺なんかより、よっぽど普通に、親しげだ。

「仁川も進級出来てよかったな」
「相変わらず言う事が可愛くないなお前…あ、お前こいつの新しい友達?」

突然話を振られて、俺は勢いに飲まれた。
友達、という響が、少し嬉しい。

「あ、ああ」
「ういっす!よろしく〜!」
俺にちらっと挨拶をして、仁川はすぐ恭一に向き直った。
「あ、なあなあお前さ、ドイツ語取れた??俺去年単位落としてさ〜〜しかも今年抽選ハズレたんだよな〜〜そんで、中国語取ろうかと思ってんだけど、馴染みなくて難しそうだし一緒に取らね??」
「…いや、俺は」

恭一がちらりと俺を見る。

「なんでだよ〜〜いいじゃん。お前語学得意だろ?語学系の講義は一通り受けたいって言ってたじゃん?助け合おーぜ、友達居ねーと寂しいし、他の奴らドイツ語行っちゃっててお前しかいねーんだよ」

両手を合わせて懇願する仁川を見て、恭一は少し困った顔をする。
恭一は俺と行動を共にするから、恭一だけその時間を別の講義を聞きにいく事は出来ない。俺のせいで恭一の行動が制限されている。それはまぎれもない事実だ。
ここでは、対等だって言ったじゃないか。

「行って来いよ、中国語」
「えっ」

思いもよらない所からの援護射撃に恭一が面食らった顔をする。
口には出さないものの、どうしてそんなことを言うんだと非難する声がひしひしと伝わってくる。

「その時間は俺だけ別講義当たっちゃったろ?お前空いてるじゃん、丁度いいだろ。2コマ目だけ家に帰るって訳にも行かないし」
「だから、その時間は講義に潜り込んで一緒に聞いていると…」
「受けたかったんだろ、語学」

自由にして欲しい。俺のせいで縛りたくない。せっかくお金を出してまで学びに来てるんだ。恭一のしたい事をして欲しい。

「…んじゃ決まりでいいってことか?まじ助かるわ恭一」
「まだ、良いなんて言ってない」
「でも、空いてんだろ?まさかびったり一緒なんて女子みたいな事してる訳じゃないよな?」
「……」

ちらりと恭一が俺を見る。
不安げな面持ちで。

だから…俺は

「…まさか。息苦しいだろ、そんなの」

そう言って突き放した。

少し、傷つけるかもしれない。
けど恭一は、それで、無駄な時間を過ごす事もない。有意義な時間を、気心の知れた友人と過ごせる。
恭一の為に。

「………」
「よし!決まりだな!!俺申請しといてやるよ!お前の学籍番号って俺の一個前でよかったよな」

ケラケラと笑って仁川は貰って来たらしい申請書を二枚分、早速書きはじめた。
恭一は一言も発する事はなく、瞳だけが揺れていた。
戸惑っている。

突然、飼い主からだだっ広い野原の真ん中に置き去りにされた犬ってこんな感じかもしれない。

「恭一」

優しく呼びかけると、恭一は不安そうに俺を見返してくる。

「…は、い」
「恭一、本当に行って来いよ。俺に構わず、お前の好きな事していいんだ。いや、むしろそうしてくれ。お前の世界もちゃんと大事にしろよ」
「……はい」

これは善意だ。
厳しいようだけど、恭一の事を想っての事だ。

きっと。

でも、もしかすると、あるいは、俺は大人げなく拗ねていたのかもしれない。

恭一があんまり普通に仁川に接するものだから。
俺が恭一に固執するのは、きっと俺に他に友人がいないからだ。
だけど、そうやって恭一を束縛するのはよくない。俺も、別行動して大学で友達を作ろう。今はあまりにも、俺の傍には恭一しかいなかったから。

だから、こんなに黒くていやな感情がじわりと一瞬顔を覗かせたんだ。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ