主のイロハ

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某然とする俺の目の前に、ダンッと重そうな音を立てて積まれたのは数十センチはあろうかという本の山だった。
俺は山の一番上の本の端をつまみ上げ、パラパラと横から覗き込む。

「何これ」
「本よ」

茉莉が横から何でもないようにそれを一冊手に取って、ソファーに座り込む。
なんと、その分厚い辞書のような本を読みはじめた。

俺も試しに手にとった本を開いて、面食らった。
なんと、全ページ英語だ。

「敦也様にはまだ早いかと」

そう言って、恭一が何冊か山の中から選び出す。

「こちらを」
「……へえ」

俺に差し出されたのは、子供用の絵本だった。可愛らしい絵と、あまり多くない量の英文が添えられている。

「最初はこれから始めましょう。絵があるので、それほど難しくありませんし、分からないところは聞いてくださって構いませんので読んでみてください」
「おおー!これなら読めそう!」

いきなりあの分厚い洋書を読めと言われても、土台無理な話である。

「えーっと、それで、大学って?」
「はい。僭越ながら、高等学校での敦也様の成績表を拝見させていただき、まずは英語を……」
「待った!ちょっと待った!さっきから何言ってんのかわかんないんだけど、大学?俺が?」

俺は恭一の説明を中断させ、もう一度尋ねる。どういうことだ、大学に行けっていうのか。

「はい」
「…いや、俺今更大学とか、別に行きたくないって」
「いいえ、行っていただきます」

恭一は眉一つ動かさず、そう言い放つ。主だなんだと言いながら、こいつはいつも勝手だ。俺の事を思ってしてくれるのは分かっているが、決める前に相談ぐらいしてくれてもいいんじゃないのか。

「あのさ、俺は後継者になるって決めたわけじゃないし、大学なんて行ってられる金なんかないんだよ」
「学費は全額東雲家から出させていただく約束を取り付けてまいりました。学費の面は心配には及びません」

俺は首を振る。

「それは、駄目だ。後継者にならないのに、学費だけ出してもらうなんて出来ない。正直、寝食だけでもだいぶ甘えてるのにその上、大学なんて」

何百万とする学費を払ってもらうことは出来ない。
一族の茉莉ならいざ知らず、後継者にならないかもしれない俺に投資してもらうには金額が大きすぎる。大学に行っている間、東雲家の影をずっと背負っているのは耐えられない。

恭一がわずかに困ったという顔をする。
それまで黙って聞いていた茉莉が本から顔を上げて口を開いた。

「立派ね。言ってることだけは…だけど」
「な……!」
「いいじゃない、大学。家の力だって金だって、自分のいいように利用してやればいいのよ。それに、恭一はあんたの為に頭を下げに行ったのよ」

そう言われて恭一を見れば、恭一は目を伏せて、視線をそらしてしまった。

「……後継の有無にかかわらず、敦也様には大学に進学していただきたいのです。もし、別の道を歩まれることになったとしても、大卒資格があったなら、以前よりはいい暮らしになるかと思いまして」
「……恭一」

じん、と胸の内が熱くなる。
こいつは一歩も二歩も向こう側で、俺の事を、俺の最善を選んでくれる。俺はやっぱり、自分のことばかりだ。

「……感動してるとこ邪魔して悪いけど、もう手続き済んでるんでしょ?そんな悠長なことしてる暇ないわよ」
「え?」
「ええ、特別に試験の機会を設けていただきました。一ヶ月後が入学試験です」

嫌な予感がする。この家の事だ、普通の大学なんかじゃなくて……

「ちなみにどこ大学?」
「青藜学院です」

ほら来た!
青藜学院といえば、超有名私大だ。
俺ごときが入れる訳が無い。

「だーッ無理無理無理!偏差値いくつだと思っ…」

恭一がガシッと俺の肩を掴む。目が笑っていない。

「絶対に合格させてみます」
「…ハイ」

かくして俺の地獄の受験戦争が始まった。
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