混植

□降臨
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 ***は大学三年生である。下宿先から大学に通い、日夜生活に直接結びつかない観念的な分野を研究している。興味のあることばかり考えられて、楽しくはあった。だが、***の中には、常に何かが燻っていた。


 ビューガはスパイクの神である。自分の力に絶対の自信を持ち、そして自分の力に見合う親方を探していた。ビューガはゴウリキシンにしてジャリキシンである。先日、ある他の神から勧誘を受け、ジャリキシンを『兼ね始めた』。ある他の神は言ったのだ、
「ジャークパワーだけでも、お前は十分強いだろう。だが親方探しは続けるといい。ジャークパワーと神通力、どちらも持てばお前の最強の座は更に確実だ」
と。ビューガは勘違いしていた、ジャークパワーと神通力は両立できないと。無理もない。ビューガはこれから初めての、ゴウリキシンにしてジャリキシンとなるのだから。
 人間界で目覚めた場所が悪かったのか、ビューガはまだ気に入るような人間はおろか、神通力を持った人間すら見つけられていなかった。コンクール、音楽フェス、ライブハウス、少し方向を変えてスポーツ大会など、めぼしい人物がいそうな場所にはあらかた訪れた。だが、誰も彼を視認できなかった。神を見ることができるのは、親方として必須の神通力を持つ人間だけである。ビューガは場所を変えることを視野に入れ始めた。しかし、神が目覚められる場所ということは、神と人間が繋がる可能性が高い地でもある。そのため、通常ならゴウリキシンは現出した地域で親方を探す。カミズモウという、真の最強を決める競技でのパートナーとなる、親方を。


 ***はその日読む予定だった論文を読み終わり、帰宅しようと立ち上がった。***が片付けをしている横で、数人が駄弁っている。
「レポート終わったしメシ行かない?」
「行こ〜」
「いつものとこにする?」
そんな彼らを横目に見ながら、***はドアを開けた。
 ***が階段を降りたところで、ポケットのスマホが振動した。見てみると、アプリゲームからの体力回復通知だった。***はスマホを持ったまま、休憩室に行き先を変える。歩きながらイヤホンを取り出して、椅子に座ると先端を耳に嵌めた。アプリを起動すると、動物の耳が頭に生えた男女が***を迎えた。
 人間に興味が持てなかった。***に辛い過去やトラウマはない、だが人間がどうでもよかった。だから***は自分のこの特性を『生まれ持ったもの』として割り切っていた。いわゆる普通の人間社会からは外れていたが、不幸ではなかった。……悩むことが全くないかと問われれば、そうとは答えられないが。
 スマホの画面では、三つのレーンに夥しい数のノーツが降っていた。***はそれらのノーツを漏らさずタップしている。所謂音楽ゲームである。達人級に上手い訳ではなかったが、***は平均より音楽ゲームが得意だった。


 ビューガはその日、気まぐれに地域で最も大きな大学に足を運んだ。神通力を持つ者は、精神的に成熟した人間よりも未成熟な人間の方が割合が高い。まさに社会人の卵として最後の段階にいる大学生は、強さと未完成さを持ち合わせているかもしれない。……とはいえ、あまり期待しておらず、半分は暇潰しだった。半日ほど歩き回って、探索して、ビューガはやはり成果なしかと肩を落とした。日も暮れて、人がまばらになり始めたので、今日はこれぐらいにしておこうと撤退しようとしていた。
 最後に立ち寄った建物で、一人の生徒がスマホゲームで遊んでいた。イヤホンをしていたが、ビューガの耳は漏れ出る音を拾った。軽快な音楽、そしてノーツをタップした時のタンバリンの効果音。画面上では、獣の耳が生えた少女がタップに合わせて跳ねていた。
 その生徒はゲームを楽しみながらも、表情には何か空虚なものがあった。現状に満足していない、飢えた者の目だ。ビューガはそんな生徒の飢餓感を、同じものを抱えているからこそ見抜いた。
 ビューガは端正な顔の口元を歪め、微笑んだ。

(スタミナ消費終わったし、帰ろ)
 ***は何回か音楽ゲームをプレイすると、アプリをタスクキルした。そして元のようにスマホとイヤホンを仕舞って、学部棟から退散した。外に出た瞬間、冷たい風が襲ってくる。夏も終わり、すっかり秋の独壇場だ。
 その時、***の目の前に一つの影が舞い降りた。
「おい」
 その一言だけで、影は横柄な性格であろうと声色から分かった。
 明らかに普通じゃない状況に、***は本能的に恐怖を感じた。周りは日が没して、ほとんど夜に近い。街灯はあるが、あまり人が見当たらず、何かあったら間違いなく発見は遅れる。腹の奥が冷えるような感覚の中、影が立ち上がる。影はよく見ると、濃い紫のマントを纏っていた。
 影は***よりずっと大きく、成人男性としても余程背の高い方だった。こんな緊急事態、咄嗟に何か行動できればよかったのだろうが、体格差からして明らかにどうしようもなかった。その代わりに、***は影の姿を目に焼き付けることにした。そして影は遂に、フードを被った顔を上げた。
「俺の親方になれ」
 影は低い声でそう言った。しかし、***の頭には内容が入らなかった。何故なら、その人物が明らかに人間ではなかったからだ。青みがかった鮮やかな緑の肌。その滑らかさはボディペイントなどでは出せない自然な肌艶だった。更に仮面を着けており、仮面に生えた二本の角がフードを持ち上げ顔を露わにしている。その水色の仮面の奥には、白目の部分が黄色で、黒目が赤と白の二層になっている瞳がある。少なくとも***はこんな複雑な色を持つカラーコンタクトを知らない。
 明らかに『異物』との出逢いだった。待ち望んでいたこの機会を、***は疑うよりもとにかく信じたかった。
 呆然とする***に、影の人物はまた言葉をかけた。
「仕方ない、先に自己紹介してやるよ。俺はビューガ。スパイクの神だ。俺の親方として、共にカミズモウの頂点になれ」
 しかも神、神と言ったか? ***は最早笑い出したくなった。自分がまさに望み、焦がれ、日夜研究している対象が、実在する上に自分の元に現れるなんて。
「かみ、さま」
 ビューガは右手を差し伸べていた。その手の肌もまた緑色であり、爪は長く、紫色をしていた。
 ***に、断る道理などはなかった。
「何だってします! させてください! 」
「……そうか、俺の親方になるってことでいいんだな?」
「はい!」
 先程ビューガが話した内容で、ビューガが頼んでいることの全容など分かる訳がない。だが、ビューガはそんな***の、向こう見ずで欲に素直な選択を気に入った。
「カミズモウとは神達が行う相撲だ。そこでお前は神太鼓を叩き、俺に神通力を送る」
 ビューガが説明しながら、エネルギーの塊のような姿になった。それは小さく小さく圧縮していき、遂には***よりも小型になった。そして、また人のような形に成った。
「ま、家までの道で説明してやる」
 小学校低学年ほどの姿になったビューガが、片目を閉じ人差し指を立てて言った。
 仮面から角がなくなり、目が縦長の瞳孔に変わった。ライダースーツに似たハードな服が、幼い体躯に不釣り合いに映る。背伸びをして着ているみたいだ。銀髪がポニーテール状にまとめられて、原理は不明だが串に刺さった団子のような形となっている。その先にアクセサリー?の棘がついている。というか服の至る所に棘がついている。そして何より、頬に猫のようなヒゲと、頭に獣の耳がぴょこんと生えている。
「かわっ…………!?」
 ***はそう言い残して、気を失った。



 目覚めた時、***は自分の家にいた。
「はっ!?」
 とても良い思いをした気がする。だが頭がぼんやりとしているため、夢だったのだろう。
 楽しい気持ちを残しながらも残念に思う***に、声をかける人物がいた。
「ったく……神とはいえ、人一人運ぶのは面倒なんだぞ。急に気絶するな」
 部屋の片隅に背を預けて、獣の耳が生えた人外が文句を言った。
「………………」
「やめろ! 気絶し直そうとするな!!」
 起こした上半身がそのまま倒れそうになる***を、ビューガは咄嗟に受け止めた。
「夢じゃない……」
「そうだ。お前は俺の親方になったんだから、しっかりしてもらわないと困るんだよ」
「親方……」
 ***は気を失う前、何があったか思い出した。
「なんで小さくなったんですか?」
「これから説明する。敬語やめろ、親方とゴウリキシンは対等なんだからな。特にお前はその方が自分の立場を分かって良さそうだ」
「はぁ……」
 神様でこんなにかわいいのに敬わずにいられるだろうか。
「まずは、これからお前がすることになる親方の業務からだ────」

 カミズモウについてあらかたの説明が終わり、そして親方の適正について話し終えた。
「なるほど、だから選ばれたんですね」
「敬語やめろ」
「あっ」
 ***は自分に神と繋がれる力があったことがとにかく嬉しかった。しかも、こんなに愛らしい。
「質問はあるか?」
 テーブル越しに、ビューガは***に問いかけた。***は何かそわそわしながら、期待に満ちた目でビューガを見つめている。
「なんだ、思ってることがあるなら何でも言え」
「え、えーっと……初対面で、こんなこと失礼だろうけど……」
 ***はなるべく前置きをして、ビューガを不快にさせないようにと配慮しながら、ずっと思っていたことを口にした。
「耳触らせてください!!」
「は?」
 とはいえ、ビューガには心当たりがあった。***がしていたアプリゲームには、様々な獣の耳を生やしたキャラクターが登場していた。要は、ビューガの見目は***にとって『好み』なのだろう。これから付き合っていく親方なのだ、少々許してやってもいいだろう。
「少しだけならいいぜ」
「やったあ!!」
 さっきの気絶っぷりはどこへやら、***は元気よくビューガの隣にやってきた。そしてゆっくりと、指先をビューガの耳に触れさせた。
「わ、わぁ〜〜〜〜!!」
 さす、さす、と***の手がビューガの耳を撫でる。付け根から先端まで、余すことなく感触を楽しんでいるようだ。ビューガも特に不快ではなく、甘んじて受け入れていた。だが、耳の先を急に湿ったものが襲った。
「おい!!」
 ビューガは焦って***から後退した。片方の耳が***に食まれて、唾液で濡れている。
「食うな!! 耳を!!」
「あっ!! ごめん!!」
 ***はフローリングに埋まる勢いで土下座した。さらに頭を擦り付ける。
「ついやっちゃって……。ごめん……本当にごめん……」
「いや、分かればいいんだ……」
「ほんとに?」
 顔を上げた***は涙目になっている。***の精神の危うさに自分の身で直面することで、ビューガは驚いた。
(親方をこいつにして大丈夫だったのか?)
 カミズモウを行う前から、ビューガに不安が湧き始めた。

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