混植

□Estrus
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 家に着いた***は、ベッドに座りカバンの中からタイコンを取り出す。ビューガが玄関の鍵を閉める音が視界の外から聞こえてくる。そしてカバンを置くと、部屋着になろうと立ち上がった。その時。──突如として白くて青くて黒い獣が、認識するよりも先に襲いかかってきた。
 乱暴に押し倒され、背中のベッドが死に際じみた悲鳴を上げる。自分を組み敷く『それ』の正体にようやく気付く、ジャークパワーでカミズモードになったビューガであると。その時には彼の両腕両脚が***の身を全力で包み込み拘束していた。
(えっえっ)
 今にも骨が折れそうな熱すぎる抱擁に、***は原因が分からず戸惑うばかりだ。ビューガの柔らかい髪が耳に当たってくすぐったい。そしていつもと比べるとどこか獣臭いように感じる。これはカミズモードの時の匂いを今まで嗅いだことがないので、もしかしたら普段からこうかもしれないが。よく耳を澄ますと、ビューガが浅く呼吸をしているのが分かった。さっきカミズモウが終わった時にも、大した相手ではなかったにも関わらず息を切らしていた。今日はどうも様子がおかしい。
 つい人間の感覚で医者という選択肢を考えてしまうが、神の体調不良などどこに診せればいいのだ。──止まぬ思考が一瞬途切れた。ビューガの青い舌が***の頬を通ることで、思案すら少し舐め取ってしまった。べっとりと舌が痕跡を残していく。唾液に空気が当たってつめたさを感じる、その前に次の舌愛撫が降ってきた。今度はより目に近かった。反射的に目を閉じた。それを待っていたかのように、さらに次は瞼の上を熱く湿ったものが通った。
「…………」
 ***は一度思考を放棄して、実家で犬を飼い始めた時を思い出した。あの頃はテレビなどで見る飼い主と愛犬の姿に憧れていて、その一つとしてよく顔を舐めることを許していた。親には菌がいるからだめよと言われていたが。
 どんどん顔中が涎まみれになっていく。だが昔の思い出を蘇らせることで、今の状況の原因が掴めてきた。ビューガは耳の質感や今の行動からして恐らくは犬科のイメージが入っている。そしてこの痩せた体、あのファイトスタイル、何よりも犬科最強。イメージの元は狼と断定して間違いない。
(そして冬の狼と言えば……)
 発情期だ。そうすれば合点がいく。
 答えは出せたが、状況は何ら変わらない。それどころか悪くなってきた。ビューガの股間部の鎧の下の何かが、苦しげにそれを押し上げているのを感じる。まずい、犬が飼い主の脚にマウンティングするとか、そんな可愛らしい次元じゃ絶対に済まない。何よりそんなことになった場合、冷静さを取り戻した後のビューガの気持ちはどうなる。
(どうにかしないと……)
 まず抵抗の意思を示すために、片腕をなんとか引き抜く。ビューガは止まらない。だが少し拘束に緩みが出たので、手で彼を制しながら、大きな声を出す準備をする。
「ビューガさん!」
 思わずさん付けになってしまったし、思っていたより声が出なかった。しかし手で避けられたのも手伝って、ビューガは***から顔を離した。
 『?』という感じでビューガが首を傾げている。スモードの時の縦長の目とは違う、カミズモード特有の丸い瞳が、純粋に***を見つめている。
「っ……!」
 こんなビューガを見るのは初めてだ。普段の打算を含んだ態度も勿論好きだが、こんなに真っ直ぐ見られたら耐えられない。こんな楽しげな彼を止めるだなんて、いいのだろうか。
 そんな一瞬の逡巡の隙さえあれば、ビューガが再び顔に舌を這わすには十分だ。今度は右半分が唾液で塗られていく。
 ああ、もう、いいかな、と***は諦めかけたが、そうはいかなかった。ビューガが脚を滑らせ、自分の脚に絡ませてきた。ビューガの長い脚が、爪先まで全て使って巻きついてくる。だが位置関係が悪く、ビューガの膝から下の長い骨に、***の膝がやってきた。つまり、このままでいると膝が反対側に折れる。流石に緊急事態である。膝がミシミシと音を立てそうなほど圧力がかけられている。その感覚で***の顔から血の気が引いていく。しかし蛇のように絡んできたビューガの脚は、左右どちらも離れる気配がない。
「あ、あの、ビューガさ、」
 ビューガはすっかり顔を舐め終えて、***の首筋に目標を変えていた。敏感な部位を舐められてさっきよりもくすぐったい。顎下まで丹念にビューガは舌を動かしている。
 恐らく、ビューガに決定的に効く言葉じゃないと、先程のように自分が絆されてしまう。そう推測して、***は言葉を考える。ビューガは普段自分の神通力が目当てだ。つまり彼の不利益に言及すればいい。膝が悲鳴を上げている。逆に折られるガラケーの気持ちが今なら分かる。ふわふわの銀髪と耳が目の前で揺れている。
 ***は意を決して叫んだ。
「カミズモウできなくなるよ!!」
 その言葉にハッとして、ビューガが顔を上げる。
「膝、このままだと折れるから……」
「ひざ……?」
 そう***が付け加えて、ビューガは自分の脚元を見る。防具を着けた脚が***の貧弱な脚に固く絡んでいる。確かにこのままの状態でいれば、***は確実に立てなくなっていた。
「っ…………!」
 咄嗟にビューガが体を離す。手の甲で口を隠すようにして、言葉も出ないまま、自然とスモードに戻っていく。ビューガは玄関を開けると外へ走り出してしまった。
「あっ! ビューガ!」


 ***の家に程近い川で、ビューガは流れる水面を見つめていた。
(なんであんなことを……。まさか俺があいつを『そういう意味』で好んでいるとでもいうのか?)
 実際は、ジャークパワーの副作用によって感情の抑制が減りつつあるなど、様々な外的要因が存在した。だがビューガはそれを知らない。
 確かにさっきまであった昂る熱が、ほのかに余韻を体に残している。ビューガはそれが、自分の行いをむざむざと見せつけているかのようで、随分と苛立った。
 川に飛び込む。冬の水の冷たさが身を突き刺す。だがお陰で鬱陶しい熱を拭い去れた。
(そんな訳がない。いつもあいつがベタベタ触ってくるから、少し魔が差しただけだ)
 ビューガは川から上がり、全身を激しく振るって水を払う。
 一瞬、まだ家に戻らない方がいいのではないかと思った。だがそう考えてしまうことこそが、失態を犯したと認めることになる。そんな事実はない、そして自分はあくまで神である。親方であろうと媚び諂って顔色を窺う必要はない。そう思い直して、ビューガは***の家へと帰路を進み始めた。

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