短編

□臥待月
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はぁ、とため息をつく。窓を見ると、お月様はまだ出てこない。

それとも、建物に隠れているのかもしれない。
今日、昼間テレビを見ていたらやっていたお月様のお話。

満月の後、月が出てくるのが遅くなっていくから、一日一日月の名称が変わっていくんだって。

十六夜に、立ち待ちに、居待ちに、寝待ち、そして更け待ち。


昔の人は感情豊かだなぁって思う。現代人の私にはそんな発想はなかった。

今日は何待ちなんだろう。まだ出てこないから立ち待ちの月か、居待ちか、座り待ちか。

でもね、貴方にはもうちょっと早く帰ってきてほしいと思った。

だって、私もこれでも新婚のお嫁様なんだから。

もうちょっとイチャイチャしたい。でも、貴方の帰りは遅い。


まるで今日のお月様のようだ。


ラップのかかったおかずの皿が置いてある、テーブルに伏せて寝たふりをする。

お行儀悪いけど誰もいないからいいかな。

とろん、と眠気が襲う。寝ちゃいたい。先に寝てもきっと貴方は全部やってくれるけど、貴方も疲れてるだろうし、何より私が貴方に会いたい。貴方とお話したいから。


待ってる。

でもちょっと寝ちゃいそう。テーブルによだれ垂れたらみっともないけど、そんなことお構いなしだ。眠気には勝てない。


ガチャ、とドアノブの音。私はハッと目覚める。時計を見る。もうこんな時間。

貴方が疲れた顔で入ってくる。

ふぅ、と一呼吸。貴方の顔に生気が満ちる。

ただいま、と言って私に笑いかけてくれる。


おかえり、今日も一日お疲れ様。

そう、私は帰ってきた貴方に言うの。


本当に今日も一日お疲れ様。

貴方は笑って私に上着を渡して今日の出来事を話す。
私が上着を片づけながら笑って相槌を返す。

貴方にご飯をよそう。もう、他のおかずはテーブルの上。ラップがかけられている。

貴方がイスに座る。私は御飯茶碗を貴方の前に置いて向かい側のイスに座る。

貴方のいただきますが私の耳に優しく響く。

美味しいねって言ってくれる貴方を見てる。
でしょう?って返す私に貴方はそうだねって笑う。

私は席を立って、お風呂に向かう。追い炊きのボタンを押す。

貴方がさっきの話の続きをする。貴方が一生懸命戦っているところでのお話。

上司に怒られたこと、褒められたこと。同僚が飼ってるペットの自慢話をしてくること。


いっぱいいっぱい、お話をする。

私は冷蔵庫から二本の缶ビールを取り出す。パタン、と冷蔵庫の扉を閉めて振り返れば貴方が嬉しそうな顔をしている。私は一本貴方の前に差し出す。

プルタブを開ける。勢いのある炭酸の音。貴方は飲む前から音だけで生き返ると言う。

私はおかしくて笑う。

コップを洗うのは面倒だけど、貴方がビールを注ぐ時のトクトクトクという音で私も癒されるからコップを用意する。これだから、音だけで生き返ると言う貴方のこと、笑えないけれど。

貴方が私の分のビールも注いでくれる。私じゃ駄目なんだ。

私が注いでもちっとも癒されやしないのに、貴方が注ぐとふにゃあってなる。


貴方だけが使える魔法だ。

やっぱり、夫婦って似るのかなって思う。それとも、ただ似たもの同士なのかもしれない。


乾杯をして、今日の自分とお互いを労う。

美味しい。昔は美味しいとは思えなかったけれど、貴方と呑むうちに好きになった。不思議だね。

貴方が身体に染み渡るねって言う。私もそれには同意だ。


幸せだなって思う。

寝て待った甲斐があったと思う。

昔の人も月に対してそう思っただろうか。

ふと、私が生真面目そうな顔をしているけどどうしたと貴方が聞いてきた。

だから、今日見たテレビの内容と私の考えたことを貴方に言ってみる。

なんだぁそんなことか、と笑って言う貴方。何よ私は真剣だったのよ、と返す。
だってもっと大変なことかなって思ったんだよ、と貴方。
酷い私にとっては大変なのよ、と私は膨れてみせる。


ぷ、と貴方が笑う。私もおかしくて我慢できずに笑う。


さて今日も一日の疲れを流しますかぁ、と貴方が席をたつ。
着替え置いといたから、と風呂場に向かって言う。

貴方の居なくなったリビングで私はテレビのリモコンに手を伸ばす。
つけてもどうせ今の時間じゃ皆ニュース。

いろいろ回してあったトーク番組。

私はコップと食器を持って流し台に行く。

ここは、テレビを見るには特等席だ。まっすぐ見える。

対面式のキッチン。テレビ好きの私に貴方が探して選んでくれた間取りだ。


私は幸せものだと思う。

トーク番組を見てておかしくて笑う。


私は明日のお米を研いで炊飯ジャーにセットする。

そうして、テレビを見るには一番の特等席のソファーに横たわる。

目がトロンとして、また眠気に襲われる。

貴方が寝巻に着替えて風呂からあがった。

短髪の貴方の髪の毛はもう既に半分乾いている。羨ましい。

私は起き上がり貴方の座るところを空ける。

貴方が私の隣に座る。

時々、テレビに突っ込みを入れる貴方。

私はもう眠たくて貴方の肩にもたれかかる。

でも、私は寝てはいない。
目を瞑っているだけ。

重たいよ、と貴方がいうけど私はおかまいなしに寝たふりを続ける。

だって、今日も遅かったんだもん。罰だ。忙しいのはわかってるけど、遅くなるのメール一通くらい欲しい。いや、でも、メールを貰ったとしても私は寝ないで貴方の帰りを待っている。


あ、寝ないでじゃない、うたた寝しながらだ。

月を待つようにうたた寝をしながら貴方を待っているの。
だから、今ちょっとだけ甘やかせて頂戴。

もう仕方ないな、という貴方の諦めの声に私は内心ほくそ笑む。

んふふ、重たいだろ。これに懲りたら待たせないでよ。それか、ちゃんと電話には出て。

寝たふりをした私に、貴方が困ったように戸惑っているのがありありと想像できる。

でもね、次の瞬間私はびっくりした。
だって貴方が私の背に手をまわして、私を横に捩じって自分の膝の上に倒した。


これじゃ、膝枕。

私は思わず目を開けた。貴方の顔が近い。
貴方が私を覗き込んでくる。

おはよう、と言う貴方。

私は急に恥ずかしくなって目を瞑る。でも、貴方の膝枕が心地よくて本当に眠ってしまいそうになる。

眠いと私が呟くと、じゃあもう寝ようかと貴方が言った。

私はしぶしぶ気持ちのいいまどろみから還る。

眠りの世界に落ちそうになる私を貴方が背を押して寝室まで誘導してくれる。

ふと、その途中でカーテンに首を突っ込んで窓から空を覗いた。

空には、綺麗な右側が欠けた月が出ていた。
臥せ待ちの月だろうか。


本当に臥せ待ちだと思う。
もう眠たくて仕方ない。

ベッドに雑に入れられると、私は自分で布団に潜りこむ。

ずっと目を瞑っている。

貴方が、戸締りをしてベッドに入ってくる。

ちょっと端っこによる。

そうすると貴方が引き寄せてくれる。私はずっと目を瞑っている。

その力強い腕が嬉しい。だから、わざと必要以上に端っこに寄るのだ。

貴方が私を引き寄せて、抱きしめてくれる。

おやすみと小さな声で言ってくれる。私も目を瞑ったまま、おやすみと小さく言う。


こうして、私の一日は終わる。

この瞬間、世界で私が一番幸せなんじゃないかなって思う。

果報は寝て待て。私の果報は貴方の帰還。

これからもずっと貴方の抱き枕でいたいと、私は臥せ待ちの月に願って今日は眠る。

幸せな夢を、いい夢を、貴方が見れますように。



おやすみなさい。


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