まつろわぬ。

□鬼むかし《乙(木の弟)》
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「何でうちの子はああなのかしら、あんな風に変な子、鬼の子と……」
母上の声が通りすがった部屋から聞こえた。西の広い家のなかで、俺は昔から居場所がなかった。仕方がない。仕方がない、俺はただそう自分に言い聞かせた。それが、自分の存在がただただ憎かった。
苦しいなんて、辛いなんて、言える訳もなかった。
「行ってきます」
小声で言ったがやはり誰も聞いちゃいなかった。
俺はそんなときいつも岩穴に籠った。
暗いところは落ち着く。こうして、日の目を避けて生活している、蝙蝠達が羨ましかった。
いや、蝙蝠も俺と同じだ。彼奴らは鳥でも鼠でもない。俺と同じだ。
「お前らも、お天道様が嫌いか」
蝙蝠達は何も言わず、ただキイキイとだけ鳴いている。
「俺は嫌いだ。お天道様は全部照らしている。見せてしまう。俺は何も見えない方が良かったなぁ」
こいつらは目が無い。それでも、見えているんだ。だけど、お前らは俺にそっとしていてくれる。だから、好きだ。
夕暮れになって薄暗くなってやっと俺は洞窟を出た。
お月様が天に出ていた。青白い月。
月は好きだ。満月の日はちょっと嫌いだけど。欠けてくれるから。欠けたままでいいのに。
月が満ちてしまうのは悲しい。その日その日見れば少しは欠けているから気にならないけれど、満月の日は完全にまんまるで、悲しい。
月に、なりたかった。満ちていても欠けていても、いや、いない時でも見えない時でも、愛される月になりたかった。
屋敷に帰ると兄貴がいる。田んぼから帰ってきたところだった。
「ただいま」
「また、岩穴に籠っていたのかい」
「うん」
「たまには外で遊ばないのか、村の子たちと」
「あいつらは嫌だ、俺をいじめる」
「そうか。そうだ、こんな月夜だ、物語を聞かせてあげよう、母上には内緒だぞ」
「うん」
兄上は好きだった。西のあんにゃ。村の人々はそう言って、誰からも慕われる兄上。
兄上はときどきこうやって物語を聞かせてくれる。俺はその物語が好きだった。
俺と兄上は田んぼのあぜ道に座って話をした。
「あるところに、女の人がいました。それは、それは美しい人だったのだけれど、ただその女の人は髪の毛が赤かったんだ。それで、その女の人は人々から嫌われて、山奥に住んでいた。それでも、やはり自分が嫌いで、山にある真っ黒い沼に身投げしようと思っていたんだ」
「……」
「でも、いざ身投げしようとした時だった。ある男の人が現れて後ろから抱きしめられた。馬鹿な真似はおよしなさいってね。男の人は何も考えず引き留めたんだけど、抱きとめてみると彼女はとても美しかった。男は一目惚れしたんだ。男はその場で女の人に想いを告げて、二人は夫婦になった。女の人は初めて人から愛された。嬉しくて女の人は男に身を尽くした。どれほどの月日が流れただろう。ある日、男は彼女に留守を任せ出掛けた。男はそれきり帰らなかった。女は悲しみにくれた。それで、女はあの人に愛された幸せな記憶だけを胸にあの沼に身投げしようとした。ところが、その沼では先客の女がいて、沼の水で髪を洗っていた。美しい黒髪だった。女の人に気づいた先客の女は、神からのお告げでこの沼で髪を洗えば赤髪が黒髪になれると言った。女は、その日から毎日毎日黒髪になる様に髪を熱心に洗った。だけど、女の髪は黒くなるどころか、縮れ、見るも無残な姿になってしまった。まるで化け物みたいに恐ろしい姿にね。そこにある日、黒髪の女がやってきて言ったんだ。お前の前の亭主は自分の亭主だと、お前の姿が醜くなるようにこの沼で洗わせる様に言ったんだと、あの人は私のものだと」
「酷い…」
「女は怒り、鎌片手に男の元へ行った。男は命乞いをして、怯えた。怯えた目で女を見ていた。女はそこで正気に戻った。そうして、今度こそ死のうとあの沼へ向かい、飛び込んだ」
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