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□哀れな硝子玉
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「……」
すぐに目を逸らし、ぺこりとお辞儀をして出て行った。
なんとなく、見てはいけないものを見た気がした。だから来た道をパタパタ引き返した。
「……唯は。」
「はい。」
「唯は、家族とかいないの……?」
少し、間があった。
唯はその僅かな時間と同じぐらい、少し戸惑ったかのように眉間に皺を刻み、彼女だけの矛盾をしばし考じたあと、
「私にはわかりません。」
うそつき。
とは言わなかった。マダムは瞼を閉じたまま思う。
嘘は、ついていないのである。彼女は決して。
ただ、考えようとしないだけで。
多くの人間は恐らく、自分に与えられた幸せを心行くまで満喫すれば
その幸せについて、なにか不満をもったり、飽きたり、懐疑することがあるだろう。
だが唯の場合は違った。
彼女の幸せを感じる心には、飽きと言うものが無く、不満なんて勿論持たず、
それ以上その幸せと言うものに対して考えるなんていうまでもなく しないのだ。
それが本当の意味で『幸せ』と呼べるのは、かなり難しいところだが。
何せ、向上心がどうしようもなく欠如し、今いる場所が最底辺だとしても全く何も感じないのだから。
不満も。不平も。文句さえ言わずに、ただただ自分に与えられた幸せを凝視し続ける。
恐いな、と思う。 何もない時間よりも、唯の方がよっぽど怖い。
彼女は明らかに欠陥があるのに、それを受け入れすぎているのだから。
「マダム。」
「ん…?」
「マダムにはご家族がいらっしゃいますか?」
「いないわ。」
即答だった。それじゃあこの前いらっしゃった方は? と思い覗き込むと、硬くひび割れた視線と目があった。
「みんなね、お空にいっちゃったのよ。」
白く柔らかい腕を天井に向けて指さす。
その頼りなく細い指は多分、どこにも向けてなかった。
「私をおいて。」
ぽつりと零した呟きには、何かがきっと含まれていた。
それが何なのかは分からなかったが、それでもマダムの指とか、手とか、どこもかしこも、
例えば心だって、目に見えないところも、緩く、静かに、でも確かに震えていることだけは、分かった。
「マダム。」
「……。」
「自殺しないでくださいね。」
ぶほっ、と吹き出した音が聞こえ続いてせき込む声も。
何かあったのか。睡眠を邪魔したことを怒っているのか。と思っていると、膝の上から呆れきったため息が吐き出された。
「ばかねえ。するわけないじゃない。」
「しそうでした。」
「しないわよ。だって自殺なんてしたら、神の国にいけなくなっちゃうんですもの。
そしたら、姉さんやあの人や旦那に会えないじゃない」
そうなんですか? と返すと、そうなのよと短い返事が返ってきた。
どうやらこの国では、魂は皆 神の賜物であるからにして、人間ごときが勝手な自己判断で奪ってはいけないらしい。
そんなきまりがあることにも驚いたが、もっと驚いたのはマダムがそれを信じていたからだ。