赤降小説

□before the dancer 第一の手記
1ページ/2ページ

この手記が読まれている頃には、僕は既にこの世にはいないでしょう。
この手記は、僕の懺悔の独白であります。なぜ今になってこのようなものを書いたのか、それは僕が自分の罪悪感に耐えきれなくなったからに他なりません。

今でこそ昭和の文豪と世にもてはやされるような立場になった僕ですが、若い頃はと言いますと、それはもう平々凡々を絵に描いたような男でした。ちまちまと書いては応募した小説は良くて佳作止まりでしたし、級友たちとつくった同人雑誌も一度きりで終わりました。

官立の高等学校文科甲類に入り寄宿していた際も成績は中の中で、実家が田舎でそれなりの名士でなかったなら、学など志さず農夫などをしていたことでしょう。

そう、僕を物書き好きの凡夫から文壇の一員へと変えたのは、他でもないかの世界的文学賞受賞作、『dancer』であります。本作は知ってのとおり、恋人との死別による傷心を抱えた主人公が故郷の田舎で踊り子と出逢い恋に落ちるも、亡くなった恋人のことが忘れられずに葛藤し、結局は離別する物語です。

そして僕は、この物語を自分の体験を『いささか』脚色した話だと公言して参りました。しかし、そこには嘘があったのです。

踊り子と会ったとき、恋人は亡くなってなどいませんでした。

踊り子と落ちたのは恋などではなく、自分自身の心の弱さでした。

どこの誰とも知れぬあなたよ、この老爺の独白にお付き合い頂ければ幸いです。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ