君の隣に尺八

□尺八と新入部員
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「ちわーっす」
「あ」

陽気に部室の戸を引くと、テンションの低い一文字が返ってきた。

「あ、ってなんだよ、あ、って! 同じ尺八部の新入部員同士、仲良くしようぜ」

靴を脱いで畳に上がる。

部室で一人練習をしていたらしい金澤は、ムスッと俺を見上げる。

「まさか、あんたが入ることになるとはな……。幻の尺八なんぞに心を惑わされている山岸家の末裔が」

金澤が、尺八に、紐と石のついたガーゼを通す。布が竹の中を通り抜けるシュッという音がする。

一連の動作を追う俺に、彼はメガネの奥の目を光らせた。

「ああ、これ? 露切り。西洋楽器でいうスワブ。ずっと吹いてると中が結露してくるから、寒いときは頻繁に通せよ」
「さ、さすがにそのくらい、先輩に教えてもらったぞ」
「まあ、当然だな。それくらい知っていてもらわないと困る」

金澤がこれ見よがしに露切りをシュパッと通す。

俺は彼に背を向けて、カバンから尺八を取り出した。

ひんやりとした竹の感触にも少しは慣れた。

何も押さえないヒの音を出してみる。
よし、今日は一発で出たぞ。大成長だ。
そのまま、裏穴を押さえてハの音を。あれ、出ないな。もう一度ヒに戻って……。

「おい」

奴が音を発していないことには、気づいていた。俺に突き刺さる視線も、何となく感じていた。

あえて無視していたというのに。

「何だよ。こっちは、経験者で素晴らしい腕前をお持ちの金澤くんに少しでも追いつけるように練習してるってのに」

思いつく限りの嫌味を口に、振り返る。

金澤は案外俺の近くにいた。手には一本の棒を持っていた。

「これ、吹いてみろ」

彼が差し出していたのは、当然の如く(と言っていいのかわからないが)尺八だった。

「え? 俺、尺八あるけど」
「いいから吹け」

渋々彼の手から尺八を受け取り、ヒの音を鳴らす。思ったよりも大きな音が鳴った。

そのまま、ヒからハに下がる。音は掠れない。左の人差し指を下ろしてチの音に。薬指を下ろしてレ……。

「こ、この尺八、吹きやすい!」
「当たり前だろ。幻の尺八とやらはクセが強すぎる。初心者向けじゃない」

金澤が、片目をつぶって俺の尺八の中を眺めている。

「やっぱり、これ、地無しっぽいな」
「じなし?」
「中に漆を塗ってない尺八のことだ。竹本来の音が出るから愛用者は多いが、個人的な感想としてクセは強いな」
「へえ」

尺八って中に漆が塗ってあるのか。
一つ勉強になった。

彼は、唄口から中を見たまま、それをクルクルと回し始めた。大きな万華鏡のようだった。

「なあ。もし、お前が尺八を極めようとするなら、そのうち、六寸管欲しいとか、七孔欲しいとか、抱いて寝る用の尺八欲しいとか言い出すぞ」
「まじで? 抱いて寝てるの?」

何故か須藤さんが可愛いパジャマを着て尺八と添い寝している場面が浮かんだ。

「そうなったとき、あれだ、このクセの強い尺八に慣れてしまうと苦労するぞ。だから、その……」

抱き尺八については華麗にスルーされてしまった。

彼が尺八を回すスピードが上がっていくのがわかる。そんなに回して大丈夫なのか。

「だから、何だよ」
「それ、貸してやるって言ってんだよ」

二度見した。
まだ尺八を回している。

「え、だ、だって、高いんじゃないの、尺八って」
「それは二束三文の練習用だ。高いものなんか初心者に貸せるか」

突然そんなことを言うなんて、尺八の万華鏡の中は、よっぽど不思議な世界が広がっているに違いない。

「なんで急にそんな……」
「この由緒ある尺八部に入ったからには、それなりの腕前になってもらわないと困るからな」
「お前も入ったばかりのくせに」
「あ?」

ようやく回転が止まる。

「ま、何はともあれ、サンキュー。一緒に頑張っていこうな!」
「尺八は己との戦いだ。一緒に頑張る必要なんてない」

難しい奴ではあるが、少しだけ仲良くなれた気がするのは、気のせいではないと信じたい。



「いやあ、困ってたんだよ。その尺八吹いてるとなんか霊が見えちゃってさ……」
「やっぱり返せ」
「何でだよ!」
「除霊のために尺八を使うなど、言語道断」
「……」

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