君の隣に尺八
□幻の尺八
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「『あの山岸家』と言われましても……」
「いやいや、わかるだろう。あの、幻の尺八を持つと言われる山岸家だよ!」
「幻の尺八……?」
ま、まさか、それは……!
といろいろ考えてみたが、全く心当たりがないので聞いてみる。
「何すか、それ」
「え、知らないの!?」
須藤さんは、どさくさに紛れて尺八を奪い返し、うっとりと触りながら、ドラマチックに説明してくれた。
約千年前、日本では天災や流行病が多発し、人々は絶望の中にいた。そのとき、都に一人の僧が現れ、こう告げた。『これは、物の怪が悪さをしているためだ』と。その僧は、物の怪を退治すると言って懐から尺八を取り出し、高々と吹いた。その後、何ということだろう、すっかり災いは治まり、平和が訪れたというのだ。
僧はすぐに姿を消してしまったが、倒幕以降のごく最近、山岸と名乗る子孫がその話を尺八とともに伝え聞いていたことが判明し、人々はこの家の者と尺八に敬意を払った。しかし、世界大戦の混乱でこの尺八は再び行方不明となってしまった……。
「ということなんだよ! すごいんだよ、とにかくこれ!」
「千年も前からあるわけないでしょ、これ!」
これ、とだけ須藤さんと俺の声が被った。
普通に考えておかしい。
こんな脆そうな竹の棒が千年も劣化せずに残っているわけがない。話自体も、昔の人が頑張って考えたんだろうなあという感想しか抱かない。
とにかく、目の前にいるこの須藤悠助という男、頭がおかしいとしか考えられない。
「帰ります、返してください」
彼から尺八を奪い取る。
得体は知れないが、一応うちの物だ。写真を撮って、親にでも聞いてみよう。
竹の棒を手にし、リュックにしまおうと軽く振り向いたとき、
「!?」
『それ』が視界に入った。
「なっ、何だよ、これ……」
「どうしたの、淳平くん?」
俺を止めようと近づいてきた和泉さんが、不思議そうに顔をのぞき込む。
自分の顔から、みるみる血の気が引いていくのがわかった。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
須藤さんの呑気な声も聞こえる。
なぜだ。
なぜ、この人たちは、これを見て何とも思わないんだ。
「だっ……て、あの……。て、天井に張り付いてる、デカくて黒いドロドロした物体……」
震える指でさした先にある、直径1mほどのスライムのような物体がニュルリと動く。
ヒッと声がもれる。
その瞬間。
「うわーーー!!!」
それがこちらに向かって落ちてくる。
突然のことで動けない。
腕で頭を庇う。
不気味な感触を覚悟する。
「……?」
ところが、しばらくしても、何の衝撃も訪れない。
恐る恐る、目を開ける。
「須藤さんの話、本当だったみたいだねえ。さっきまで、全然見えてなかったのに」
黒い物体は、畳の上に落ちていた。
それに貼り付けられた一枚のお札。
それを貼った人が、淡々と言葉を発する。
「物の怪と目が合っても、下手に刺激しちゃダメだよ。悪くないやつでも、びっくりして襲ってきたりするから」
ニコッと彼女は笑った。
「さて、あたしはここまでしかできないから、あとは幻の尺八とやらにやってもらおうか、淳平」
お札をヒラヒラと手の中で弄んでいるのは、たけはる先輩だった。