なついろ 1
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男が刀を振り上げる。
このままでは……。
半ば無意識に、私の手は、足元に落ちている黒い物体を拾い上げる。おそらく、前のクラスが何とかの3分クッキングで使った小道具。
足が勝手に駆け出していた。
ステージのライトが眩しい。
男の真後ろで、手に持っているものを振り上げる。
ゴン
鈍い音が響く。
ふらっと男の重心が後ろに傾く。
私は左後ろのほうに避けた。
行麿が男の手から刀を叩き落とすのが目に入る。
男が倒れる。
どんっという音。
「……」
私は、手に持っているフライパンと床に伸びている男を交互に眺めた。
間に合った。
行麿がポケットから手錠を取り出す。いや、なんでそんな物騒なものを持っているんだという私のツッコミは声にならない。
カシャンと音がして、男の手の自由が奪われる。用意周到だなと思われているだろうが、こっちは命がかかっているのだ。
行麿は、その男をステージの奥のほうに放り投げ、私の横に立つ。客席の方向に体を向け、目を閉じる。
「逃げてくださいと言ったのに……」
劇中の王子様の表情を作る彼。髪が汗でグシャグシャだ。
「申し訳ありません。どうしても心配で……」
「何にせよ、あなたがご無事でよかった」
息を整えながら彼は微笑み、こちらに向かって片膝をつく。
「申し遅れました。私はリゾラート王国の王子、小石川行麿。
先日結ばせて頂いた婚約は、両国のさらなる発展につながることと国全体で喜んでおります。
もしお嫌でなければ、後日改めて挨拶に伺いたいのですが、いかがでしょうか」
台本のセリフ。上手くつなげてくれたようだ。ほっとして私も続きのセリフを口にする。
「あなたはどうなのですか。国の発展のために結婚するのですか」
「……普通、こんな王子がいたらダメですよね。10年前、ただ一度会っただけの女の子のことを忘れられなくて、親にその子の親と仲良くしておくことを勧めるなんて」
「それって……」
「あなたが好きです。私と結婚していただけませんか」
「……喜んで」
徐々に暗転する。客席から感動のため息が聞こえる。私も、安堵のため息をついた。
セットの転換のために、わらわらと大道具係が入ってくる。
次は姫が両親に謝って婚約を承諾するシーン。ただ、ステージ上には他の人に何と説明していいのかわからない大きな物体が……。
行麿が立ち上がって、私に近づく。
「……こいつは僕が何とかしておく。安心して、死んではなさそうだ。次に僕が出るシーンには戻ってくる」
耳元で囁かれた彼の声は、女子たちの「素敵ー」とかいうざわめきのおかげで、他の人には聞こえなかっただろう。彼がそそくさとステージ奥に向かう。
私は、次の出番のために上手(カミテ)に向かった。フライパンを元の場所に戻しておく。
今さら冷や汗が吹き出す。
クラスメートが学祭の劇で殺されかけて、私が日本刀を持った男をフライパンで殴った?
戸惑いのせいか、ステージが明るくなったように感じる。
「岩瀬さん、行かないの?」
衣装係の女の子に声をかけられ、慌ててステージへ飛び出す。本当に明るくなっていたようだ。
「お父様! お母様!」
「奈津! 無事でよかった!」
私は、本当は演技が上手いのかもしれない。こんな状況でもちゃんと台本どおりにセリフと行動が出てくるのだから。