08/20の日記
02:52
コラボ小話
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10周年祝いに書き始めたはずがまとまらなかった文アル勝手にコラボのお話です。
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「役者は図書館にて」
今日、僕は死のうと思います。
一週間前に大事な存在を喪いました。
ですので、後を追うことにしました。
久しぶりに髪を梳かずに、久しぶりに地味な装いで、久しぶりに窓から屋敷を抜け出して。
早朝の香りが立ちこめた、人もまばらな街へ出かけたのでした。
さて、巷で自殺の名所と有名な橋の上にやってきました。
これから飛び降りて、水面に身体を叩きつけてきます。
水死体――いわゆる土左衛門はとても醜いと本で読みました。
ですから、この身を朽ち果てさせるならそれがよいように思いました。
すぅっと息を吸うと、ほんのり冷たい空気が肺を満たします。
頭から突っ込めば早く死ねるでしょうか。
たとえ水とはいえ、高所から落ちれば地面と変わらないとも聞きます。
頭蓋骨粉砕で脳漿が飛び散るというのも一興でしょうか。
骨はどれほどの衝撃で砕けるのでしょうか。
とりとめのないことを考えながら、橋の下を覗きこみます。
それはまさしくあの世へとつながっているかのような、昇りゆく朝日が映る美しい群青色の水面でした。
今からこの身体をぐちゃぐちゃにしてしまえると思うと、妙な昂ぶりが胸を突き上げてきます。
「……愛しい子。今、会いに行きます!」
現世に別れを告げた瞬間。
「……おわぁぁぁっ!」
耳障りな金属音と共に、静寂を切り裂く間の抜けた男の声が空に響き渡りました。
俗世間を捨てようとしたところでしたが、まだ僕は人間です。
叫び声が聞こえたら振り返るほどの常識は持ち合わせていました。
「どいて、どいてくれーっ!」
「……え」
なんということでしょう。
二輪車が高速で突っ込んできます。
「――っ、がふっ」
なんということでしょう。本当になんということでしょう。
ハンドルが胸元に食い込みます。タイヤが弁慶の泣き所を強打しました。
吹っ飛ばされた衝撃で、身体が地面を離れようとしています。
数瞬の後、橋から落ちたようです。このまま水の中にダイブするのでしょう。
あまりにも滑稽な過程の死に方です。ああ、これも運命――。
「させ、るかぁ!」
「……え」
右手が痛いです。誰かが僕の手を万力のごとき力で握り締めています。
骨が折れそうです。なぜ僕の身体は重力に逆らっているのでしょうか。
身体のそこかしこが痛くて、僕の意識は徐々に暗転していきました。
――目が覚めたのは、見慣れない部屋でした。
薬品の臭いがします。医務室、あるいは病室でしょうか。
天井が白くて、壁も白くて、ベッドも真っ白。
起き上がると骨が軋みました。
足と胸にも真っ白な包帯が巻かれています。
「起きたか!」
カーテンを開けて入ってきたのは、快活そうな青年でした。
「すまねぇ!」
開口一番、彼は手を合わせて深々と頭を下げました。
突然のことに混乱していると、彼の後ろからまた見慣れない顔が現れました。
長い髪を二つに括って、粋な格好をしています。
「よかった、目が覚めたんだね。
志賀が迷惑かけてごめんね。
私からも謝らせて」
「身体の方は大丈夫か?
一応医者にも見せて、命に別状はないって話だったんだが」
「まだ起きちゃダメだよ。
お医者さんを呼んでくるから待っててね」
「シロ、俺、水を持ってくるよ。
あんた、他に欲しいもんがあれば……」
「あの……それではお言葉に甘えまして」
なんとなくベッドの上で正座をして、なんとなく背筋を伸ばしました。
身体が悲鳴を上げましたが、それでも彼らの前では礼儀正しくあらねばならない気がしたのです。
「情報をください。
なぜ、そのように謝るのですか?
僕は……ここに至るまでのいきさつを、思い出すことができないでいるのです」
二人の顔がさっと青ざめた。
「あのう……僕は何者なのでしょうか?」
失礼のないように、至極真剣に問うたつもりでした。
それなのに、志賀と呼ばれた青年は泡を食ったように部屋から出ていきます。
呆然とその後ろ姿を見送っていると、もう一人の彼? 彼女? は眉を寄せて僕を見つめました。
「……大丈夫だよ。大丈夫。
責任取って、私達が必ずなんとかするからね」
「は、はあ」
なぜだか、僕の心は憑き物が落ちたように晴れやかです。
なぜだか人生がとても素晴らしいもののように思えてきます。
いっそ小躍りしたい気分です。
それなのに、胸の中にぽっかりと穴が空いたように虚しいのです。
真逆の感情に翻弄されますが、余計な心配をさせないために真顔を続けました。
すぐに志賀という男が、森という医者を連れて戻ってきました。
しばらく医者と二人きりになって、いくつかの質問を受けます。
奇々怪々なことに、僕は自分の名前も、生まれた場所も、家族も友人もなにも思い出せません。
どの質問にも分かりませんと答える度に、医者はこめかみに手をやって小難しい顔をします。
問答の後、軽く検診をして医者は去っていきました。
どうやら僕は記憶喪失というものらしいです。
またさっきの二人が部屋に入ってきて、神妙な顔つきで僕の前に座りました。
「ええと、森先生から状況を伺いました。
僕はあなたとぶつかったんですね」
「まあ、そんなところだ。
今日に限ってブレーキが利かなくてな……反省してる」
「君のご家族やご友人が見つかるように、私達も尽力するよ。
不本意かもしれないけど、それまでお世話させてくれる?」
「不本意だなんてとんでもありません。
僕の方こそぼうっとしていたんでしょう。
迷惑をかけてすみません」
「お前にはなんの非もねぇよ。
っと、紹介が遅れたな。俺は志賀直哉。
こっちは清水白都だ」
二人の名前は聞き覚えがあるような気がします。
親の名前など一切思い出せないのに。
「よろしくね。
君は……なんて呼べばいいかな?」
「……名無し。ナナシでよいかと」
「え、そんな雑な決め方でいいの?」
「仮の名前に過ぎませんので」
「いや、大事だろ。特に人名は」
「そうだよ。人の名前を決める時は慎重によく考えなくちゃ」
「……名づけにこだわりがあるとは。
もしやお二人、ご夫婦でいらっしゃるので?」
「ばっ……そんなわけないだろ!」
何気ない問いでしたが、志賀さんは頬を桃のように薄紅に染めています。
一方の清水さんは、愛想笑いを浮かべていました。
「いやいや、こう見えても私は男でね」
「それは失敬を。
息もぴったりでしたので、つい」
「話を脱線させんなよ。
ナナシなんて名前、俺が認めねぇぞ」
「はぁ。では、城崎なんてのはどうでしょう?」
「……は? きのさき?」
「ぱっと思いついたのですよ」
呆けた顔をしている志賀さんの隣で、清水さんは得心がいったように頷いた。
「電車に跳ね飛ばされた、とかけてるのね」
「それ、俺が書いた冒頭文か?」
「彼はそれとこの状況を重ね合わせたんじゃないの?」
「ってことは、俺の小説は覚えてるのか!?」
志賀さんは驚いた様子で僕に詰め寄ってきます。
先ほどから、俺が書いた、俺の小説などと言っていますが、どういうことでしょうか。
「分かりません。思いつきですので」
「ということは、昔、志賀の本を読んだのかもしれないね」
「本が記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないってことだな!
よし、図書館で俺の本を集めて持ってきてやるよ!」
「あ、志賀! まだ話の途中……」
清水さんが制止しようとするも、志賀さんはあっという間に部屋を出ていきました。
彼は活動的でバイタリティーあふれるお方のようです。
「騒々しくてごめんね」
「いえ、僕のためにお手数をかけてすみません」
「君が気に病むことじゃないよ。
それで、苗字は城崎でいいと思うけど……名前はどうするの?」
「……ナナシでいいですよ」
「本当に?」
念を押すように清水さんが確認する。
「ええ。名前があれば、そう在るように求められる。
ですから、名がない方がよいのですよ」
「小難しい言い回しをするんだね」
「考えて言っているわけではなく……自然と言葉が紡がれるというか……。
カラスと名乗れば、黒く在らねばカラスと認められない。
そんな感じでしょうか……?」
「屈折した性格の持ち主だってことは分かったよ」
「あはは、すみません。
これからお世話になります」
頭を下げると、清水さんは小さく息を零しました。
柳眉を寄せて、なにやら複雑な表情をしています。
「名無しと名乗ることもまた、そう在るように求められるんじゃない?」
「自分で決めたものならば、堂々と名を纏ってみせましょう」
「……そう。じゃあ、私はもうなにも言わないよ。
よろしくね、城崎ナナシさん」
――その頃、街では号外が盛んに配られていた。
華やかなる帝国劇場で不動の人気を誇っていた役者が行方を絶った、と。
彼が主役を務めた演目、「向日葵」の大千秋楽を迎えた矢先の出来事であった。
次回作の主演も決まっていたにも関わらず、神隠しのように忽然と姿が消えたと世間は大騒ぎ。
花形スターの前触れなき失踪は新聞にも大きく取り上げられ、警察だけでなく熱心なファンも大勢捜索に加わっているという。
一方、俗世から切り離された図書館は静穏を保ち、司書と転生した文豪達は粛々と本を修復していた。
愛しき存在を喪ったスターは、彼らとの交流でなにを想うのだろう。
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00:04
拍手お返事
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ichikoさま
初めまして。
お返事遅くなり申し訳ございません。
ご訪問ありがとうございます。
それだけでなく、ご感想もいただけてとても嬉しかったです。
あ、実は夢主の名前はちょっと考え中でして(笑
ランキングに登録させていただいたにも関わらず、見切り発車ですみません。
まったり更新になるかと思いますが、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
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