10/23の日記

21:49
いただきもの(コラボ)
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零斗様よりいただきました。
文アルコラボの続きです。



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人恋しき寂寞の。



図書館に新しい人間が増えた。
彼は転生した文筆家でも錬金術師でも、ましてや図書館の関係者ですらない一般人だ。本来ならば有り得なかった出会い。それに名前を付けるとすれば
…矢張り"奇妙な縁"と言うものになるのだろう。

…何故そんな事になったかと言うと、暫く前の事になる。ある日、朝から出掛けてくると意気揚々相棒の自転車と図書館を出て行った志賀が帰ってきた。しかも唯ならぬ様子で、ぐったりとした青年を背負ってだ。
何事かと問えば自転車のブレーキが利かず人にぶつかった、直後は意識があった様だがそれから気を失ってしまったのだと言う。とんだ事故、その上巻き込まれたのは一般人。そして尚悪い事に、いざ青年の目が覚めてみれば…彼は、記憶を飛ばしていていた。
自分の名前も家族友人自宅の場所、全て分からないのだから身元を確認するには時間が掛かる。そんな彼は一先ず帰る場所が分かるまで、"城崎ナナシ"と云う仮の名前を持って図書館で預かる事になったのだった。

***

「あれ、今日は出掛ける予定だったのでは…?」

「その予定だったんだけどねぇ…」

人もまばらになった食堂のカウンター越しに彼が問う。
現在午後七時前、本当なら今日は久米君と六時から公演の劇を観に行く心算だった。五時半頃に待ち合わせをして、確かに一度出掛けたには出掛けたのだ。他愛のない話をしながら十五分程前に劇場に着いて、そこで予期せぬ事が起きてしまった。劇場の入り口に張り出さていたのは大きな"公演中止"の文字。
私も久米君もここ最近はそんなに熱心に新聞を読んでおらず、何となく流し読みをしていたものだから…巷では噂になっていたらしい「花形役者の失踪事件」を詳しくは知らなかった。勿論自分達が観に行く予定だった演目がその役者が主役を務める予定になっていたことも。

「と言う訳で帰って来たんだよ。転生してこっちに来てから初めての観劇だったし、楽しみにしてたんだけどなぁ」

「そ、そうだったのですか…」

「まぁこればっかりは如何しようもないものね。最近物騒な話も良く聞くから、城崎さんも気を付けるんだよ」

「…はい、善処します」

少し困った様に苦笑いをして、彼は厨房から出て来た。記憶が無いのだから不安もあるだろうに、そんな中食堂の仕事を手伝いたいと申し出た彼は本当に殊勝だと思う。彼はとても整った顔立ちをしているから、和服の上から支給された白い割烹着を着た姿は最初こそ不思議だったけれど…それも数日の内にすっかり見慣れてしまった。尤も以前からそう家事は得意でなかったのか不慣れさを披露している様ではあるけれど、一生懸命に働いている人を誰が責められようか。寧ろ食堂のマダム達の間では人気者にすらなりつつあるらしい。
するりと仕着せを脱いだ城崎さんに良かったらどうぞと目の前の席を勧めれば、彼は一言断って席に着いた。

「ところで清水さん、夕食は摂られたのですか?」

「うん。このまま帰るのも何だし、折角だからって久米君が気に入ってるお店に連れて行ってもらったの」

「そうでしたか。僕も食堂で働かせてもらってから気付いたのですが、清水さんは丸一日此処にいても姿を見ない日があるので…少し心配になりまして」

「ふふ、有難う。でもそんなに心配しなくても大丈夫だよ。此処の人達は気紛れが多いし、時間にルーズな人も多いもの。私もその一人って言うだけだから。あ、そんな事より今日連れて行ってもらったお店なんだけど…」

まだ少し疑わしげに私を見るものだから、大丈夫大丈夫と笑って話題を変える。…此処二三日、潜書先で少しばかりやんちゃをして補修室の世話になっていた事は黙っておこう。補修自体は数時間で終わっても、侵食者は魂や精神と言った見えない部分にこそ害をもたらす。その見えない傷の修復には思ったより時間がかかるのだ。
見かけこそ唯人と変わらないが、転生した文筆家の体の中身は常人のそれと異なる。その造りや仕組みは錬金術と云う特殊なものが関わっている以上彼に話すことは出来ない。尤も、彼は人を良く見ている様だから薄々違和感を感じているかも知れないけれど。

暫く店についての話をすれば、彼は時折返事を返しながら話を聞いていた。そこでふと思い出して、テーブルの端に置きっぱなしだった紙袋を手元に寄せる。

「そのお店、昼間はカフェとして営業してるんだって。外来品も扱ってるみたいでね、面白そうなお茶を教えてもらったから買って来たんだけど…折角だから開けちゃおうか。時間があるなら…一寸付き合ってくれる?」

「お茶なら…是非」

「じゃあ用意してくるから待っていてね!」

話している内に就業時間を過ぎたのか、すっかり人の姿がなくなった厨房で湯を沸かす。時間外は皆好きに使っているものだから、勝手知ったるなんとやらで二人分の茶器を揃えた。冷蔵庫から拝借した檸檬を彼の待っているテーブルに持っていけば城崎さんは酷く驚いた顔をしていて、それがまた少し面白い。

「これは…何というか…お茶、なんですよね?」

「店主に聞いたんだけど、外来品のハーブティーらしいよ。真っ青って凄いよね、乱歩さん辺りが喜びそう」

カップに注いだ液体は日本茶の色でもなく珈琲や紅茶の色でもない、目にも鮮やかな青。確かに聞いた筈なのに、なんと言う名前だったかは忘れてしまったけれど…蝶々みたいな名前だった気がする。

「そんなに独特な味じゃないみたいだから城崎さんはさも飲めると思うよ。見た目はちょっと奇天烈だけど」

「う…ではその、頂きます…」

カップに口を付けたのは二人共大体同じ頃だった。カップの中のお茶は見た目に反してそう濃い香りもせず、味も思っていたよりかなり薄く飲みやすい。寧ろ味が薄過ぎて良く分からないぐらいか。

「…思っていたよりずっと普通でした」

「そうだねぇ…。あ、薄いと思う時は紅茶みたいに檸檬を入れると良いって聞いたの。だから用意したんだけど…ちょっと試してみようか」

くし切りにして小皿に二人分盛っていた檸檬を摘み、少し指先に力を入れてその果汁を水面にぽたりと落とす。…するとカップの中は波紋が広がる様に、果汁が広がった場所からこれまた鮮やかな赤紫に色が変わった。

「わ、すごい!」

面白いお茶だとは聞いていたけれど、まさか最初だけではなかったとは。びっくりしてはしゃぐ私の前で、彼はまるで色水みたいだ…と妙に真顔でぼやいている。

「でも檸檬の酸味でさっきより飲み易いかも…城崎さんもやってみる?」

そう言って勧めてみれば、彼は頷いてから神妙な面持ちでカップに檸檬の果汁を落としていた。まるでそれが失敗したら爆発でもする薬品を扱っているみたいな顔だったから、なんだかそれが面白くてその様子を見守る。

「うわ、本当に変わった…。志賀さんや武者さんが見たらびっくりしそうですね」

「二人とも面白がってくれそうだよねぇ。明日志賀達が帰って来たらまた皆でお茶にしよっか!他にも幾つか見繕って来たから、楽しみにしてて?」

「じゃあ明日はお茶菓子も用意しないと」

「やったぁ、志賀達も昼過ぎには帰ってくるだろうし明日が楽しみだね!」

それから此処数日あったことや最近熱心に読んでいるらしい本の感想を聞いていると、時間は直ぐに過ぎてしまった。楽しい時間はあっという間に過ぎると言うけれど、気付けばすっかり夜も半ばだ。

「もうこんな時間ですか…早いものですね」

「わ、本当。じゃあそろそろお開きにしようか。城崎さん、明日も朝から食堂のお手伝いでしょう?」

「ええ。…明日はちゃんと来てくれますか?」

「んー、どーしよっかなぁ」

「志賀さんに言い付けますよ?」

「それだけはやめてよー!うぅ、明日はちゃんと行くって…君に会いに行くと思えば良いんだもんね」

「些か趣旨が変わっている気もしますが…まぁ良いでしょう。では清水さん、また明日お待ちしています。それとお茶、御馳走様でした」

「はーい。それじゃあまた明日ね、おやすみなさい」

踵を返した彼にひらりと手を振って見送ってから、テーブルに残された茶器を片付け始める。
…片付けを手伝うと言ってはくれたのだけれど、彼の皿割り実績を聞くに食器棚の中身は触らせない方が良い気がして断ってしまった。

「んー、片付けもお終い!…ってもう誰もいないんだ」

ふと見渡せば、さっきまでは少ないながらに数人がいた食堂からは人影が消えて、静かながらりとした広い空間に椅子とテーブルが並んでいるだけだ。
普段たくさん人がいて賑わっている場所に誰もいないのはなんだか不気味で、一人取り残された気になって足早に食堂を出る。…早く明日にならないかな、といつもの見慣れた光景がふと恋しくなった。

20200829

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