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□決意と覚悟
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 眩しい光が窓から降り注ぐ。その光は真っ直ぐと伸び、常盤台中学の冬服をキッチリと着こなし、長い茶髪をツインテールに纏めた少女を照らし出す。

「お姉様、おはようございます。朝ですの、起きてくださいまし」
「ん、うーん…」
「お姉様? もう支度されませんと遅刻しますわよ?」
「う〜ん……」
「そ・れ・と・も。黒子に手伝ってほしくてわざとしてますのねぇぇぇンギャッ!!」
「あ、朝っぱらから何やってんのよっ!!」

 声を掛けても揺すっても起きない美琴に、チャンスとばかりに飛び掛った白井。その怪しげな気配と身の危険を感じた美琴は、接触寸前の所でベッドからするりと抜け出す。勢い余った白井はそのままベッドに顔面ダイブする羽目となり、額を端にぶつけてしまった。

「ホンット、アンタは懲りないんだから! もっと普通に起こせんのかっ!!」
「ひ、ヒドイですの、お姉様ぁ〜。わたくしは最初普通に起こしましたのぉ」

 額を摩りながら身を起こす白井。少し赤くなっているようだが傷もなく、問題はなさそうだ。
 その様子を横目で見ながら、小さく安堵の息を吐いた美琴は身支度を始める。

「それでお姉様?」
「んー? なーにー?」
「ここ一週間わたくし達とずっと一緒ですが…その…よろしいんですの?」
「なにがー?」

 寝ぼけているというわけではないのだろうが、間延びした声ですっとぼける美琴。白井に背を向けている為、表情は分からないが、きっとこちらに振り向いた時には何でもないような顔をするのだろうと溜息が漏れそうになる。

「あ、そうだ。一週間前って言ったらさー、あのチョコケーキ本当はどうだった?」
「もっちろん絶品でしたわ! 何度聞かれても答えは同じ、決してお世辞ではありませんのよ! わたくしは今でも忘れられません。甘すぎず苦すぎず…なにより黒子への愛情がたっっっぷり感じられましたのー!!」
「あはは、愛情込めて作ったことは事実だけど、黒子にだけじゃないわよー」
「いいえ! あれには黒子への愛しか感じられませんでしたのっ!! わたくしの舌は正確ですの!!」
「随分と都合の良い味覚ね…」

 どう言っても良いようにしか捉えそうにない後輩に、呆れて否定するのも面倒になった。実際自分で口にした通り、一週間前彼女達に配ったチョコケーキには感謝の気持ちと愛情を込めたつもりだ。それは当然“友”としての“愛”なのだが、テンション最高潮の彼女に何を言っても無駄だろう。それは一週間前のバレンタインから今朝までずっと続いていることなのだから。
 それにしても、そんなに美味しいと褒めてくれるのなら遅くなったが妹達にも作って届けてあげようかなと未だヒートアップして何やら喚いている白井をお構いなしに美琴は考える。

「――――ですから!! ってお姉様聞いてますの?!」
「んぁ? ああ、聞いてる聞いてる」
「本当ですの〜?」
「ま、まぁそれよりもさ、アンタからもらったチョコは正直得体の知れない物が入ってそうでまだ食べてないんだけど、初春さんのデコレーションカップも佐天さんのトリュフもとっても美味しかったわよねー」
「な、な、な、なぜわたくしのチョコを一番に食べてくださりませんのお姉様!!? どうりであの日から今日まですんなりお眠りに…じゃなかった、感想を言ってくださらないと思いましたわ!」
「ちょっと待て。すんなりお眠りってどーゆーことかしら?」
「わわっ、わたくしにはなんのことだかサッパリ……」
「か・く・ご・は、できてるわよね? く・ろ・こ♪」
「………ぁ、あい」

 白井に軽くお仕置きをし、あのチョコは後で絶対に捨てようと心に決めて、美琴は着替えを持つと脱衣所に入って行った。どこぞの変態に朝から襲われない為に。
 部屋に取り残された…というより床に這い蹲る形で放置された白井は、その後ろ姿をコッソリと目で追う。ここ最近はテンションこそ高いままだが、胸中はずっと複雑な思いでいっぱいだった。

「お姉様……」

 一週間前、二月十四日。世間でいうところのバレンタインデー。
 その日、あれ程チョコをあげるかどうかと悩んでいた美琴は、いつもの仲良しメンバーで、これまたいつものファミレスにいた。
 差し出されたのは前日、白井と一緒に寮の調理場を借りて作ったカップケーキ。ハート型で両手に収まる程度のそれは、誰もが大絶賛する極上のものだった。ちなみに白井は涙を流しながらちまちまと完食したらしい。
 とても三人分では収まらない材料を買い込んでいた為、作った個数も結構多く、メイド見習いの土御門舞夏を始めとする友人達やら寮監やら、更にはあすなろ園の子供達の分まであった。それでもまだ残っているチョコケーキに「お姉様はどれだけ大量生産したら気が済みますの?」と呆れ口調で言ってしまった程だ。
 あははと苦笑いを返す美琴に、白井は当然その内の一つは想い人に渡すんだろうと思っていた。特別に作らなかったのは恐らく相手に対しての気遣いだろうと。

(あんなに材料を買い込んでいたのは元々類人猿のため。本当ならば色々な種類を作ってみて一番上手くいったものを渡すつもりだったのでしょう。レシピ本にいくつもチェックが付いておりましたし)

 だが、校内や寮内や学舎の園内、更には歩く道すがら、大きな紙袋五つ分にもなるチョコをもらった美琴は、事も有ろうか「お返しに」と残りを先着順で配ってしまったのだ。放課後に渡す予定の分を除いて。
 美琴が他のチョコを作っていた形跡はないし、どこを見ても本当にそれ以外持っていない。その事実を知った白井は思わず「何考えてますの!?」と叫んでしまったくらいだ。
 しかも何を思ったのか、一日携帯の電源を切ったまま、終始自分達と行動を共にしていたのだ。
 事情を知っている初春飾利も、その初春から聞いて知っていた佐天涙子も口にはしなかったが複雑な表情を浮かべていた。

「…このまま諦めてしまわれるのでしょうか…」

 ポツリと口の中だけで呟いた言葉は明確な音にすらなっていない。
 きっと大丈夫だと思った。何となくそう思わせるものを二人に感じていた。悔しいくらいに。

「だというのに…」

 白井はあの日の夜、涙を必死で堪えながら帰って来た美琴を思い出していた。
 勢い良く部屋に入って来たかと思ったら、入口に突っ立ったまま俯き震える美琴。自分の声掛けにも反応を示さない彼女を見て、白井には結果が分かってしまった。
 だから優しく声を掛け、今にも崩れ落ちそうな弱々しい彼女を包み込むように抱き締めた。自分が彼女にそうしてもらったように。花飾りの少女にそうしてもらったように。
 白井にそうされて、美琴の無理矢理止めていた時間が一気に動き出した。「分かってたから」と繰り返し唱えながら泣きじゃくり、白井を抱き締め返す。それは“縋り付く”と表現しても過言ではないとさえ思えた。
 正直、彼女のこんな姿を初めて見た白井は嬉しかった。普段、絶対に弱い姿を見せようとしない彼女がその姿を見せてくれている。
 後輩だから。心配を掛けちゃいけないから。
 そんな優しさからいつも迷惑掛けないようにと隠されていた彼女の姿。不謹慎だと分かっていても、これを喜ばずにはいられない。

(同時に悔しくもありましたけど…。気丈なお姉様をただの弱い女の子にしてしまうんですから…)

 今でも思い出すと心が痛む。
 それは嫉妬からくるものだけではない。弱さを晒してくれたくれたこと自体は嬉しくも、やはりそんな彼女を見ていると辛いのだ。
 結局その日は落ち着いた美琴がそのまま泣き疲れて寝てしまい、白井が経緯を知ったのは翌日の夜のことだった。前の晩の取り乱した様子は一切なく、悲しそうな表情のまま淡々と話してくれた。
 ちゃんと上条に告白出来たが、返事は先延ばしにしているということ。
 その返事が良いものではないと悟ったこと。
 今日の帰り道に上条と出会したが、上条がとても困っていると知ったこと。
 上条の言葉が見つかるまでは会わないようにすると決意したこと。
 聞きながら白井は何度も衝撃を受けた。どこの誰かは知らないが、その人物との間に上条が交わしたという『約束』を白井は知っていたから。

(自覚しているかどうかは別として、あんな約束をするくらいだからそれなりの好意はあると思ってましたの。その好意が恋愛としての“好き”ではないとしても、お姉様を悲しませるような態度は取らないと…。買い被り過ぎだったのでしょうか……)

 上条だって完璧なヒーローというわけではない。美琴にとって彼がそういう存在だったとしても、極普通の男子高校生なのだ。女の子に告白されれば動揺するし、困りもする。

(そう分かっていても釈然としませんの…)

 モヤモヤとした気持ちの悪い感情に苛立って来る。自分勝手かもしれないが、なまじ上条のことを認めていた分、美琴の想いの大きさに気付いている分、納得がいかないのだ。
 悲しそうな笑顔で「アイツの言葉を受け止める覚悟はもう出来てるから。もし友達にすら戻れないとしても…」と言っていた美琴だが、きっと彼女は諦めないだろうから。否、簡単に諦められないだろう。自分と同じように。

(だからバレンタインには絶対チョコを渡すと思ってましたわ)

 なのに彼女はチョコを渡さなかった。渡すチャンスすら作らなかった。
 それが美琴なりの覚悟の表れだったのかもしれない。
 けれども白井は知っている。みんなでワイワイ騒いだ夜、携帯の電源を入れた美琴がその画面を見詰めながら嘆息を漏らしたことを。

「はぁ…、お姉様もお姉様ですが、あの類人猿も類人猿ですの。お姉様が断っても気まずくしないとおっしゃってるんですからさっさと言いやがれですの!」

 今度の言葉は静まり返った部屋に少しだけ響いた。無意識に募っていった苛立ちがそのまま声量に反映されてしまったようだ。咄嗟に白井は自分の口を両手で塞ぐ。扉の向こうにまで聞こえているとは思えないし、今更なのだが何となく。
 もう一度「はぁ…」と溜息を吐くと口を塞いでいた手を目元まで動かし、そのまま突っ伏した白井はたった今自分が発した言葉を思い出してまた頭を悩ませる。
 勢いで「さっさと言え」と言ってしまったが、それはそれで良くない方向に転じてしまうかもしれないと。
 だが、向こうも好きならその場で直ぐ返事をしただろうし、それがないということは断るという選択肢しかない。
 確かに断ることは二人の関係性を考えると些かしづらいかもしれないが、譲歩した提案をしているみたいだし、もしそれでも気になるなら少し距離を置くという手段だってあるはずだ。なのに相手は受けることも断ることもせず宙ぶらりんのまま放置という最悪の状態。
 ここに『悩んでいる』という選択肢もあるはずなのだが、白井はそれを認めない。「愛するお姉様に告白されて悩むなど言語道断!」といったところだろうか。

「それに……」

 白井は美琴がもっと落ち込むと思っていた。引き篭る…とまでは言わないが、貼り付けた笑顔を向けられるだろうと覚悟していた。
 けれどあの大泣きした翌日から今日まで、彼女は普通に笑っている。空元気かと疑りもしたが、そんなこともないらしい。時折寂しそうな顔で気になる反応を見せる以外、今までと何一つ変わらない。
 大泣きして気が済んだのだろうか。それとも何か他に思うところが……?

「まさかとは思いますが…あの方のことですから外に?」

 有り得ない事ではないと思う。しょっちゅう厄介事に巻き込まれては『外』へ行き、帰って来ては病院送り。その間の欠席を補う為の補習が忙しいとか、課題が山積みだという話を『借りを返す』という尤もらしい理由で彼との親睦を深めようとした美琴から幾度も聞いたことがある。決まってその日の夜は嫉妬と苛立ちとその他諸々と美琴の寝言で眠れなくなるということを彼女は知らない。
 とまぁそれはさて置き、仮に上条が学園都市内にいようとも何かしらに巻き込まれてやはり病院送りという可能性もある。最近事件らしい事件は起こっていないが、風紀委員とて全てを把握しているわけではない。

「少し調べてみますか…」
「何を調べるって?」
「お、お姉様!? いつの間に…」
「どうでもいいけど黒子。いつまでそうやって床に寝っ転がってる気?」

 美琴はクスリと笑って白井に手を差し伸べた。その手を取って立ち上がる。と、白井の制服をパタパタと美琴が手で払い、折れ曲がっていた所をピシリと直してくれた。
 普段、自分がどんなに口煩く注意しても豪快な動作で動き回ったり、制服着用のままベッドに寝転んだり、短パンやお子様下着や可愛いものから卒業出来ない彼女だが、こういった気遣いはマメで然りげ無い仕草が本当に淑女らしい。
 白井がついついその仕草に見入っていると「さて」と声を掛け、美琴が鞄を手に取った。ともすれば次の行動は決まっている。

「じゃ、行きましょうか」

 ブツブツと言っていた独り言をどこから聞かれていたのだろうかと内心ドキドキしていた白井だが、美琴の様子から「調べる」ということ以外聞かれていないようだ。
 ホッと一安心し、自分の鞄を持って美琴の後を追い掛ける。今日は非番だから久しぶりにお姉様とゆっくり放課後デートでもと思っていたが、同じく非番の同僚と一緒に、愛する彼女の幸せの源を探し出そう。
 そして見つけ出せたら有無を言わさずドロップキックをお見舞いしてやる。そう心に決めて。

「あぁんお待ちになってぇ〜お姉様ぁ!」
「ちょっ、もっと普通に言いなさいよね!? あと引っ付くな!!」
「少しくらいよろしいではありませんの〜、ただのスキンシップですわよ?」
「アンタのはただのスキンシップってレベルを越えてんのよ! ほら、歩きづらいでしょうが」
「それでも無理に振り払わずわたくしを待ってくださるお姉様のツンデレな愛情に黒子は…黒子は!!」
「やっぱ強制排除(ちからわざ)しかないかしらねぇ?」
「…ささ、お姉様急ぎませんと」
「あ、こら! 引っ張るなー!!」

 パタリと扉が閉まる。騒がしい主達のいなくなった部屋の窓から差し込んで来る日差しは、春のように暖かかった。

 
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