短編・その他
□ライラック
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あの日も、暑かった。
私は千葉に引っ越したばかりで、友達もできていなかった。
学校の帰り道、もちろん一人きりの私は、暑いなぁ、と呟きながら溜息を吐いた。
すぐ後ろで、ガコン、と音がした。
「名無しさん」
呼ばれ、振り返ると、隣の席のしんごくんがいた。
しんごくんは、転校してきた私に一番初めに声をかけてくれた男の子だった。
それからも隣の席だからか、とても親切にしてくれた。
「これを飲むといい」
そんなことを言いながら、彼は私にスポーツドリンクを差し出してきた。
しんごくんはもう家に帰った後なのか、なんだかカッコイイ自転車を片手で支えていた。
私が受け取ることを渋っていると、
「熱中症になると大変だろう」
そう言って笑った。
ストン、と何かが私の中に落ちた。
当時少女漫画を愛読していた私は、これが恋なのだと、そう思った。
その日を境に、私は積極的にしんごくんと話をするようになった。
けれど1年後、私は引っ越すことになってしまった。
寂しくて、たくさん泣いた。しんごくんは、そんな私の傍に、黙ってついていてくれた。
「名無しさんに、これを持っていてほしい」
そう言って、しんごくんは私にヘビのキーホルダーを差し出してきた。
それは、しんごくんがお気に入りだと言っていたものだった。
しんごくんのお気に入りをもらうなんて、と私が渋っていると、しんごくんはあの日と同じ笑みを浮かべ、言った。
「次会ったときにでも、返してくれ」
そう言って、キーホルダーを私の手に握らせ、いつものように、またね、と言って別れた。
またね、という言葉が、こんなに特別なものだなんて私は知らなかった。
いつも、引っ越すときにクラスのみんなが開いてくれていたお別れ会では、さようなら、ばかりだった。
“また”ね。
“また”、会える。
私は、キーホルダーをぎゅっと握りしめ、少し大きな声を出した。
「またね!!」
しんごくんは一度だけ振り返り、すぐに前を向いてペダルを思いきり踏んだ。
逆光でよく見えなかったけれど、振り返ってくれたとき、笑ってくれたような気がした。
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