長編・金木犀
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大会の日。
スタートする前、名無しさんさんは俺の前に一回だけ顔を出した。
といっても、声を掛け合ったわけではない。ただ、視線が合っただけだ。
もうすぐ、大会が始まる。
風を切って走って行く。
もうすぐ、山頂。
俺が名無しさんさんにオススメの場所として示したのは、ここだ。
ここなら、クライマーの一番カッコいい所を見せることができる。
俺は、一番で名無しさんさんの前を通り抜けた。一瞬だけ合う目。
名無しさんさんの声はしっかり俺の耳に届いた。
さぁ、あとは下りっショ!!
調子は最高だった。
このまま、一番で走り抜ける!
大会が終わった。
優勝は、俺だ。ブッチギリの、一位。
大会が終わり、片付けも終わった。
丁度、その頃合いを見計らったかのように、名無しさんさんは俺のところへ来た。
「巻島君、おめでとう」
自分のことのように喜ぶ彼女に、俺はトロフィーをもらったときよりもうれしくなった。
「これ、約束の・・・」
名無しさんさんが自分の首からそれを外す。
「ちょっと、しゃがんで」
名無しさんさんの言われた通り、俺は少ししゃがむ。そうすると、彼女は一生懸命に腕を伸ばして、俺の首にその香袋をかけた。
「トロフィーには劣るけど」
はにかむ彼女に、俺はどうしようもなく伝えたくなった。俺の、この気持ちを。
「・・・名無しさんさん、俺、名無しさんさんに伝えたいことがあるっショ」
ヤバイ。大会前よりも緊張してる。
名無しさんさんにも、俺の緊張が伝わったのか、少し強張った顔で俺を見上げてくる。
「好き、ショ・・・。俺、名無しさんさんが、好き、だ・・・」
そう言った俺の顔は、赤くなっていたと思う。
名無しさんさんは一瞬目を見開いて、すぐに花が咲いたように笑った。
「私、も。私も、巻島君が好き!」
END