◆ 雪月華【2】斎藤×千鶴 (本編沿)

□おけら火
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【おけら火 2】



途中までは人の姿もまばらだったが、門前に市が並ぶ辺りまで来れば、たくさんの人で賑わっていた。

その中の一件で、斎藤と千鶴は早々に火を貰うための縄を買った。
「あ、これ、藁じゃないですよ、斎藤さん!」
斎藤は千鶴の手元を覗きこむ。
灯りはあちこちで灯されてはいるが、人垣と夜のせいで、暗すぎて見えない。
手を伸ばして指で触れてみる。
「……何だろうな」
「そりゃ、竹ですわ」
横から、商人風の男が気軽に教えてくれた。
千鶴が目を輝かせて斎藤を見上げた。
「竹! 面白いですね!」
「あんたさんら、お上りさんかい?」
「はい!江戸から出て来ました。ここには初めて来たんです。夜なのに人が多くて驚きました」
千鶴も気軽に受け答えする。
「そうかいそうかい。この先はもっと混むから、懐にも気をつけなさらんとあかんよ」
「え!は、はいっ」
「お兄さんはお武家はんか。絡まれんようにな。最近、西からぎょうさん、けったいな……」
「おとうはん!」
男の向こう側の息子らしき人がたしなめるような声を出した。
「おっと」
「すんまへんな、ほな楽しんで」
息子が父親をそそくさと引っ張って行った。

「……どうしたんでしょうか?」
「どこで誰が聞いているか わからぬ故、警戒したのだろう」
長州勢の跋扈は勢いを増しているらしい。
「あ……そうですね…」
自分も気を付けなくちゃ、と、千鶴は手で口許を覆った。

「道の中程に来てしまったな。端へ行こう」
斎藤に促されて端へと行けば、並んだ店に、千鶴はつい目が奪われた。
千鶴の歩みが遅くなるのに合わせて、斎藤は時々足を止める。
それを何度も繰り返した後、斎藤は足を止めたついでに買い物をした。
「斎藤さん?」
何を買ったのだろうと千鶴が興味を示すと、斎藤はそれを千鶴の首に巻き付けた。
「土産代わりだ」
斎藤の手で赤紫の襟巻をされて、千鶴は、ほっこりと笑った。


そのままゆるゆる歩き、途中で千鶴はカエルの根付けを1つ買った。
「お礼です。お仕事から無事お帰りになりますように」
受け取った斎藤は、そのカエルを黙々と下緒を通す金具に付ける。
千鶴は嬉しそうにそれを見守った。


千鶴から贈られたカエルを斎藤は複雑な気持ちで見やる。
斎藤には、伊東の元から、新選組へ無事帰るように、と聞こえてしまう。
その日が遅く来て、早く終ると良いと思った。



自分が新選組に戻る頃、千鶴はどうしているだろうか。
いや。
そもそも無事に戻れるかもわからない。


ふっと斎藤は思った。
千鶴は年齢的にはそろそろ嫁に行ってもおかしくは無い。
だが千鶴は新選組の秘密を知っているし、鬼とかいう者にも関わっている。
普通の娘のような生活は難しいように思えた。



「千鶴」
「はい」
にこにこと、楽しそうに斎藤を見上げてくる。
「あんたは、何かやりたい事や好きな事はあるか?」
斎藤はかつて知り合った、絵の好きだった男を思い出して千鶴に尋ねた。

「そうですね……」
小首を傾げて可愛らしい思案顔をする。

「新選組の皆さんのお役に立ちたいです。
えっと…最近土方さんが手紙の草案をやらせて下さるので、土方さんのお手間をもっと減らせると良いなと思います。
あと、沖田さんが最近また食が細くなってきているので目新しいお食事を考えないと。

それから、先日、怪我の手当てをした方にお礼だと言って手拭いを頂いたんです。お手当、もっと上手になりたいです。
最近は山崎さんが色々と教えて下さるのですが、山崎さんもお忙しい方なので……」
「千鶴、それは…」

千鶴がやりたい事ではなく、やる仕事の予定だろう、と、斎藤は思わず苦笑いになった。
「え? えっと…?」
千鶴は、何か間違った答えをしたらしいと焦る。

「いや。ずいぶん色々とやっていたのだな」

千鶴は、剣技などの目立つ一芸は無くとも、手近に居れば使い勝手の良い人物なのだろう。
伊東は好きにはなれないが、能力は高い。人を見極める目もある。
自分の他に平助を口説いているのを知っている。
幹部から引き抜きをするなら、辛うじて籠絡できるのは平助だろう。

何にせよ千鶴がそれだけ動き回っていたのなら、伊東が目をつける筈だと思った。


「そんな事無いです。皆さんに比べたら……」
千鶴は小さくなって答えた。

「千鶴は、伊東さんは嫌いか」
突然変わった話題に、千鶴は戸惑いながら答える。
「……あー……独特な方ですよね……」
好きでは無い、と、わかりやすく顔に出ていた。

斎藤は思わず笑った。
珍しくはっきり笑った斎藤に、千鶴は益々小さくなった。
恥ずかしさに、千鶴は襟巻を引き上げて顔を半分隠す。
斎藤は、原田たちがよく千鶴の頭を撫でる気持ちが解った気がした。



**********



人波に乗って神社の中へと進み、千鶴と斎藤はおけら火を手に入れた。
「……藁と違って、ゆっくり燃えるようです」
移した火を見ながら千鶴が言う。
「どれくらい保つのだろうな。予備の縄を買っておくか」
「そうですね」

帰りも、ゆるゆると二人で歩いて行く。
「斎藤さん、ありがとうございます」
何に礼を言われたのかわからず、斎藤は千鶴を黙って見た。
「私に合わせてゆっくり歩いて下さって」
にこりと千鶴が笑う。

いつの間にか、千鶴との道行きを長引かせたいという思いが歩みをゆっくりにさせていた。
斎藤は、わずかに赤くなって千鶴から前方へ顔を向けた。


明るく人の多かった門前から離れると、人も灯りも減った。
静かな中、二人の歩く音が妙に耳につく。
闇の中で二人だけの気配が満ちているのは、斎藤には心地よかった。

だが千鶴の足音が小刻みになり、さっきより斎藤に近付いて歩いている。

闇への恐怖があるのか、はぐれる事への怖れなのか。
「千鶴?」
「はい……」
千鶴の返事は思ったより細かった。
斎藤は歩みを止める。
「提灯は千鶴が持て。俺の方が夜目が効くようだ」
暗い場所でものを見るにはコツがある。
見たいものの少し上を見て、視界の端で見るのだ。

だが千鶴はそんな事は知るまい。

斎藤は千鶴の手からおけら火を取り、提灯を持たせる。
「これならあんたを見失う事は無い」
「はい。すみません」
「謝る事ではあるまい」
提灯の灯りを映す千鶴の顔は、まだ不安げだ。

斎藤は少し考えて、口を開いた。
「……もし、だが」
「はい」
「人もだいぶ少なくなったし暗い。
周りを見る者も多くは無いだろう。
今のあんたは男の格好をしているから、男同士では奇妙に思われるかもしれぬ。
だが仮に誰かが見ていても、それが誰かの判別はつくまい。
夜道は、足下も危ない」
長々と言いながらも要点がわからない斎藤の言葉の続きを、千鶴は斎藤をまっすぐ見て大人しく待っている。
「闇が怖いのなら……その……手を……繋ぐか?」
普段の斎藤とはまるで違う、消え入りそうな声だった。

手を差し出すと言うよりは、右の手のひらを見せただけのように、斎藤の手はささやかに動いた。

沖田の、手を取って当然と言わんばかりの差し出し方とも、
原田の、労るような差し出し方とも、
土方の有無を言わさぬ手の取り方とも違う斎藤の動き。

沖田のイタズラからかばってくれる時は平気で強く抱き寄せるのに、
こんな時には千鶴の意思を優先させ、恐ろしく遠慮がち。
千鶴は、斎藤の在り方を、とても得難い大切なもののように感じた。


実は、闇がかなり怖かった。
千鶴は、おずおずと差し出された斎藤の手を、強く握った。
握り込めない程に大きくて、骨張った指と固い手のひらだった。


斎藤は驚いて握られた自分の手を見る。
「……そんなに怖かったのか。気付かずにすまなかった」
「……置いていかれたら道もわかりませんし…この暗さは……」
千鶴の手の力が増した。
「京に来て初めての夜みたいで…」



ああ。
羅刹たちが屯所を抜け出した時か。



斎藤は、遠くなりかけていた夜を思い出した。
「今夜は、大丈夫だ」
斎藤は歩き出した。
千鶴もついて行く。
斎藤の歩みはずいぶんゆっくりだ。

斎藤の声に、千鶴は、前を向いたままで表情がわからない斎藤の顔を見上げた。



斎藤さんが来たから、あの時は生き延びた。
今は、斎藤さんが居るから、大丈夫。



「……そうですね」
千鶴が安心を感じて力を緩めた分、斎藤の指に力が入った。



転んでも、闇からお化けが出てきても、斎藤さんはきっと、手を離さない人。
手を差し出して、歩く早さを合わせてくれる、優しい、優しい人。



千鶴は闇への恐怖を忘れ、屯所を出る時の浮き立つ気持ちを取り戻した。
わき上がる斎藤への温かな気持ちが、指先、髪の先まで満ちてきて、千鶴の口許には輝く笑みさえ浮かぶ。



夜道を歩くおけら祀りに連れ出したのは失敗だったか、と落ち込みかけていた斎藤だったが、
盗み見た千鶴の顔が世にも幸せそうに変わったのを見て安堵した。



何がそんなに嬉しいのだろうな、あんたは。



斎藤には、千鶴が今考えている事がどんな事か、欠片もわからない。

尋ねれば教えてくれるかもしれない。
だが斎藤は、今千鶴が笑っているだけで充分だった。
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