◆ 雪月華【2】斎藤×千鶴 (本編沿)

□特命出たぞー
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【特命 2】



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土方が用意したのは、余裕のある商家の隠居した主がのんびり暮らす屋敷の並ぶ一角にある家だった。
ここなら浪士がうろつけば目立つし、事件も起きにくいだろうという読みである。



引っ越し当日、井上が斎藤と千鶴を連れて両隣へ挨拶に行く事にした。


「江戸からこちらに移る事になりまして、その機に元から倅と恋仲だった娘さんを嫁に貰うことが出来たまでは良かったんですがねぇ。
周りが何かと気にしすぎるもので、暫くは二人きりにしてやらねば子も出来まい思いましてね。
短い間ですが、よろしくお願いいたします」
土方の作った設定を井上がすらすらと、隣家の主に語っていく。
井上の後ろで新婚夫婦の役を拝命した斎藤と千鶴が、まるで子作りの為の引っ越しような言われ様に、居心地悪そうに赤面して俯いていた。

ここで斎藤も挨拶するはずだったのだが、どうしたものか、斎藤が赤くなって俯いたまま動かない。
井上は、珍しげに斎藤を見たが、やんわりと隣家の主に話し続けた。

「この通り、大人しい二人でねぇ。
太一郎、挨拶を」
一拍遅れて斎藤が我に返ったように顔を上げ、よろしくお願いいたします、と言葉を添える。
隣家の主は、人の良さげな笑顔を斎藤に向けた。
「うちは見ての通り、暇な隠居ジジイの家ですわ。
何でも気軽に言うたっておくれやす
(すみません…方言は…適当です…)」

斎藤に合わせて千鶴も頭を下げた。

ゆっくりしていってくれ、と言う主の元から早々に退出し、反対側の隣家にも挨拶に行く。
こちらも似たような好好爺が主で、挨拶は何事もなく済ませる事が出来た。


「じゃ、私は帰るよ。斎藤君、後は頼んだよ」
「はい」
斎藤と千鶴は、井上に頭を下げて見送った。

後はこの家で暫く大人しく潜むだけである。

家に戻りながら、千鶴は斎藤を見上げた。
「さい…太一郎さん、夏の長着、出来上がったんです。
良かったら袖を通してみて下さい」
「そ、そうか。すまぬな」


板壁1枚向こうでは、暇な隠居ジジイが、仲睦まじげなこの会話を温かい気持ちになりながら、にこやかに聞いていた。


**********



土方の誤算があった。
それがわかったのは、すぐ翌日の事だった。


暇な年寄の中に、
若くて可愛らしい嫁を貰った大人しげで男前な若者と、
人当たりの良いにこやかで美人の働き者の嫁の、
初々しい夫婦を投じたら。


それはもう、格好のオモチャである。


二人はあっという間に年寄たちに囲まれる事となった。


日の高いうちは、あれこれ小鉢やら果物やら団子やら差し入れがてら茶飲み話に訪れ、
日が傾きかけて涼しくなれば、将棋でも、と訪れる。

時間と共に、訪れる顔ぶれがあっという間に増えた。
3日もたつと、斎藤と千鶴の家は集会所状態となった。
若い二人のために、と、夕方早めの時間に皆が帰っていくのが不幸中の幸いだった。



「……斎藤さん。私達、大人しく暮らしているんでしょうか……」
夕餉の後、やや疲れた気配を纏った千鶴が、畳の目を見ながらボソッと斎藤に尋ねた。
変なものを寄せ付ける、と言った土方の言葉が頭の中を駆け回っていた。

「…………………………。」
斎藤は、やや困惑した顔になる。
斎藤も千鶴も、ここに来てから一歩も外に出ていない。
食料も、年寄達が持ってくる料理や食材で充分足りていた。
土方に言われた通り何もしていないのだが、大人しく暮らしているとは言いにくい状況である。


その上、年寄達の話から、どこの大店が長州贔屓だ、薩摩贔屓だ、だの、店に浪士が出入りしているだのといった情報まで拾えてしまった。


「……明日は土方さんが様子を見に来る予定の日だ。
相談してみよう……」
そう言った斎藤の声にも、覇気があまり無かった。
斎藤も、困惑していた。
群がってくるご隠居たちに対して、斎藤はほとんど口を開いていない。
黙っているか、黙って将棋の相手をしているだけである。
それなのにご隠居たちは斎藤を“いい人”だと言う。
何故自分がこんな好評価され、この家に人が集まってくるのかわからない。



斎藤と千鶴はこの予定外の状況に、色めいた雰囲気になれる筈もなく、二人で土方の来訪を待ちわびた。



**********



翌日。

まだ朝早い時間に土方の訪れがあった。
土方を諸手を上げて歓迎する斎藤と千鶴に、土方は面食らった。
が、ろくに状況を聞けないうちに、ご隠居たちが次々に訪れてきた。
そして土方を見つけると、にこやかに話しだした。

「あんたさんが、太一郎さんの“いつも良くしてくれる先輩”さんかい?」
「こりゃまた男前だねぇ」
「ま、どんなに男前でも、お雪ちゃん(千鶴の事らしい……)は太一郎さんにベタぼれだ、心配あるまいよ」
「嫁は可愛がり過ぎると子供が出来ないって言うからねぇ。
お武家さま(土方の事らしい……)、太一郎さんをたまにはお雪ちゃんから離さないと」
「離れるもんかい。太一郎さんがお雪ちゃんに入れあげてんだから」

土方を取り囲むようにして座り込んだ老人たちが、勝手な事を言い続ける。

助けを求めて土方は、斎藤と千鶴に目で訴えた。
だが二人は部屋の隅で、斎藤は無表情にただ鎮座し、千鶴はその横で困ったような笑顔を土方に返してくるのみだった。

やっと解放されたのは、昼餉の為に訪問者が帰ってからだ。
「………………大人しくしてろっつったよな?」
斎藤と千鶴の昼餉は、不機嫌な土方の声から始まった。
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