◆ くだらない話(all)

□(現代)億千万の胸騒ぎ【2】
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【億千万 9】



風呂に襲撃された斎藤はかなり驚いたが、
土方は効率の人、である。
時間短縮のために乗り込んで来たのだろうと考えた。
合宿では風呂など一斉に入るし、
家の狭い風呂でも時間差があるので問題無い。
土方はムッツリ黙り込んでいるので、斎藤は放置した。



***************



風呂を出た土方は。



なんで俺はここで朝飯食ってんだよっ!



生徒の家に泊まり込み、生徒の姉を食い、
風呂に着替えまで世話してもらって、
その上朝食を食べている自分を呪った。
「こっちは先生の分のお弁当です。
食べ終わったお弁当箱は、はじめに渡して下さい」
「……申し訳ありません……」
「いいえー。ついでですからー」



その上、女の母親に弁当まで用意されて!
いくら知らずに酒を飲んだからって、
行きずりの女に手を出してこの始末……。
しかも斎藤の姉!
似てんじゃねぇか!どこまでバカなんだ!
気付け、俺!
いい歳して何やってんだ、俺は!



穴があったら入りたい気持ちになったのは何年ぶりだろう。
「先生、コーヒーにお砂糖と牛乳は?」
「いえっ! 結構です!」



それに、何だよ、この姉弟はっ。
当然のように黙りこくって飯食いやがって!
塩が欲しいならそう言えよ!
指だけで意思疎通すんな!
しかもニュースがラジオかよ!
……まぁ、このダイニングでテレビ置くってのも難しいんだろうけどよ。
それにまぁ、朝っぱらからよく食う姉弟だな……。
痩せの大食い姉弟……。



母親が焼けたパンをテーブルの中央に置くのだが、
すぐに斎藤や姉の胃袋へ消えていく。
「先生、パン、あと何枚で食べますか?」
もう2枚食べた。
「…充分です」
「遠慮なくどうぞー」
「ありがとうございます」



それに、母親も変わってんな。
普通、娘の部屋に泊まり込んだ男に平気で飯や弁当用意するか?



そっと新品の歯ブラシをテーブルに置かれ、
どこまでも行き届いていて一層居たたまれない。



嫁の親相手はやりにくいと聞くが、今の俺以上じゃあ無ぇだろ。



コーヒーを飲みながら居たたまれない時間を過ごした。

母親と姉に見送られ、登校準備を整えた斎藤と玄関を出た。
まだ暗い中を駅に向かって歩く。
クリスマスイブの翌日の朝帰りの連れが生徒というのも情けない。
持たされた弁当の紙袋までが異様に重く感じた。

「……悪かった」
「何がですか」
「……お前の姉だと気付かなかった」
「ああ、それでしたら。姉はいつも正しいので」
「……はぁ?」
「中も外も優秀なので常に言い寄られていました。
その姉が土方先生を選んだのなら納得できます」
「……納得?」
「姉はいつも正しい。どういう思考の帰結なのかは分かりませんが、
姉の判断や読みはほぼ外れません。
その姉が土方先生を選んだのなら納得出来ます」
暗に、姉の相手にはふさわしい、と言われているようだ。
生徒からの信頼は誇るべきだろうが、
教師の相手として生徒の姉というのはふさわしくないどころでは無い。
こんな事態になっても斎藤の態度が変わらないのはありがたいが、
姉の選択眼への信用あっての事だろう。
斎藤には納得出来るかもしれないが、
姉の人物像を知らない土方には
“さすが姉の選んだ人です”と持ち上げられてもありがた味は無い。



こいつ、シスコンだったのか。



「……仲、良いのか」
「特には」
「……良さそうに見えたが」
「妖怪サトリ、または死なない件(くだん)に逆らっても良い事はありません」
「……妖怪かよ」
「ご愁傷様です」
「……不吉な事言うんじゃねぇ」
「では、すみません、と言っておきます」
「……はぁ?」
「常人では無いので」
「そうなのか」
「いつの間に付き合い出していたのか、気付きませんでした」
「……野暮な事聞くんじゃ無ぇよ」
「失礼しました」



昨夜初めて会ったつもりでいて、
そのまま酒の勢いでやっちまいましたとは、
弟相手にさすがに言えねぇな。



「お前こそ、随分遅くまで遊んでたんだな」
昨夜、斎藤が家に居てくれればこんな事態にはならなかったのに、と思った。
ところが斎藤は耳を赤くしてそっぽを向いたので、
男同士で遊んでいた訳では無さそうだと感じた。



薮蛇しちまった。



単に話を変えたかっただけだったのだが。
失敗したらしい。
昨夜から調子が悪い、と思った。
「お前に彼女が居るってのは初耳だな」
「…………。」
「部活部活で時間も無ぇだろうに、
お前もあいつらもどうやって知り合ってんだ。
正月休みも近いが、あんまり夜遅くまで遊んでんじゃ無ぇぞ?」
「はい」
説教臭い事を口にして、段々と頭が仕事に切り替わっていく。
斎藤を相手に部活や委員会の話をした。

仕事の事を考えれば力が湧いてくるが。



あれも。
これも。
それも。
やりたい事、やるつもりだった事、やりかけた事。
もうすぐ終わる。
俺から仕事を取ったら、何が残るっていうんだ。
しかし生徒の姉に手を出しちまったからにはケジメつけねぇとな。



電車の中で土方は頭をガリガリと掻いて考えを振り払った。



************




生徒たちが帰り校内に誰も居なくなった事を確認し終えた土方は、校長の近藤の部屋を訪ねた。
近藤校長とは旧知の仲でもある。

土方は、助けた女との経緯や、翌朝に生徒の家族だと知った事を
名前を伏せて話した。

「って事だ。だから俺はこの学園を辞める」
性急な土方の決断に、近藤はゆったりとソファに座り直した。
「…………」
黙り込んだ近藤に土方は苦しい声を出した。
「……すまねぇ」
諾、とも、否、とも言わない近藤に、土方は手を握り締めて返事を待った。
「……相手は、トシの事を知っていたんだな?
何かやっての仕返しという類の事か?」
「……そういう奴には見えなかったな」
「では、純粋にトシの事が気に入っての事なんじゃないのか?」
「ろくに知らない奴だぜ?路駐を注意した位だ」
「……。そんなに恨まれるような注意の仕方をしたのか?」
「その女が言うには、停車しかしていない、って事だった」
「その程度の事でそこまでの事はしないだろう?
トシ。これだけの話じゃ相手が何を考えていたか分からない。
誰の家族だったのだ?」
土方は迷った。
名前を出せば近藤を巻き込む事になるかもしれない。
しかし学園の評判にに悪影響を与えるかもしれない事を
近藤が知らなかったというのも、問題になるかもしれない。
重い口を開いた。
「……斎藤一、だ」
「……彼か」
近藤もよく知っている。
成績も品行も良い、期待の生徒だ。
土方が顧問をしている剣道部の優秀な部員でもあるので、
何度か会話をした事もある。
落ち着いた理性的な生徒だ。
土方を慕ってもいた。
「斎藤君のお姉さんなら美人なんだろうなぁ。
トシがよろめいたのも分かる気がしてきたぞ、うん」
「近藤さん……。そういう話じゃ無ぇだろ……」
「ああすまん、すまん。
だが斎藤君は、トシの事を知っても大して動揺しなかったのだろう?
ノンビリ一緒に朝飯を食って一緒に登校してくる位なのだから」
「なんだか妙に納得してるみてぇだった。
姉貴には随分傾倒してるみたいだったな」
「あの斎藤君がか?」
「“姉はいつも正しい”なんて言ってやがった。シスコンだな」
「お前が言うと、笑ってしまうな」
「……俺はシスコンじゃ無ぇよ」
「大事にしてるじゃないか」
「……何もしてねぇよ」
「してるじゃないか。お姉さんとその旦那さんに会社を継がせるために
家を出てしまう位には」
「……。今は俺の話はいいんだよ。話、戻そうぜ」
「ああ、すまん、すまん」
「…………」
「では、今から斎藤君の所に行くとするか」
「はぁっ?! 何を言い出すんだよ!」
「しかし、親御さんも、トシが斎藤君の学校の教師だと知っているのだろう?
親御さんの考えは知っておくべきじゃないか?」
「いや、そんな深刻な感じじゃ無ぇから!
俺は単に、問題になった時の為に辞職を……っ」
「トシ、問題の対応、それは私の仕事だ。
トシには別の仕事を頼んでいたんじゃなかったかな?」
「分かった!1回話してくる!
だからとりあえず今日の所は一人で行かせてくれ!」
子供でもあるまいし、枕を交わした翌日に
保護者宜しく校長を連れて頭を下げに行くなど勘弁して欲しい。
近藤は考え込んだ後、土方に笑いかけた。
「そうか、分かったよ。トシに任せる。
だが一人で責任を被ろうとするのだけは許さんぞ?」
「……承知した」

土方は校長室を出て行った。
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