◆ 雪月華 【3】斎藤×千鶴(本編沿) 完結

□甲州戦敗戦道中の一夜
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【敗走道中の一夜 2】



「……すみません」
千鶴が小さく言った言葉に、斎藤は訳がわからぬという目で見返した。
「余計なお金がかかってしまって…」
「相場だ。最初から少なく渡した」
千鶴は数度瞬きをした。
天満屋で警護の任についた斎藤へ土方の手紙を届けた時も手際が良かったが、
千鶴は斎藤の別の顔を見た気がした。


「すぐに風呂を使え。遅くなると湯が濁ってとても入れなくなる」
斎藤が2枚の長着のうち、小袖を千鶴に渡す。
「はい」
これには千鶴も覚えがあったので、素直に急ぐ。
「ああ千鶴」
「はい?」
「襦袢は部屋に置いて、着替えていけ」
「……え?!」
「小判を縫い付けたのだろう?
ここは信用し切れない。
髪も濡らすな」
「はい」
千鶴は部屋を見回したが、衝立など無い。
女風呂に入るには、ここで男物から女物に着替えていかねばならない。
襦袢も脱ぐとなると……。

チラリと斎藤を見ると、斎藤は既に背中を向けていた。


……次はいつ入れるかわかんないから…お風呂は入りたい。


千鶴は長着を肩にかけたまま、ゴソゴソと着替えを始めた。
油断すると長着が肩から滑り落ちそうになる。
千鶴は出来るだけ手早く肌着の上に小袖1枚を着こむ。
これだけは、と肌身離さず持ち歩いていた簪一本で髪を上げてまとめた。
平打ちの金属製の武骨なその簪は、何かあったら武器にしろ、と斎藤から贈られたものだ。
ざっくりと襦袢を畳んで斎藤へ押しやって部屋を出た。


出来る限り急いで、出来る限り磨き上げる。
まだ暫くは斎藤と二人なのだから、出来るだけ綺麗にしたかった。
バタバタと着こんで部屋に戻った。
「お待たせしました」
千鶴が部屋に飛び込むと、窓から外を見ていたらしい斎藤の顔に、千鶴にもわかるほどの安堵が浮いた。
やはり心配させていたようだ。
急いで良かった、と千鶴は胸を撫で下ろした。



窓際の斎藤は、着流し姿になっていた。
見慣れた姿につい顔が弛む。
そんな千鶴に頓着した様子も無く、斎藤は、自分の大小と千鶴の小太刀を千鶴に持たせた。

「隣はまだ空いているようだ。
誰か来たら刀を持って隠れろ。
宿の者にも返答するな」
斎藤が隣室へ続く襖を細く開けて、千鶴に示した。
千鶴は斎藤の側まで来て、隣室を覗く。
「はい」
ふと斎藤の視線を感じて、千鶴は顔を上げた。
「……次は、もう少し似合うものを探す……」
逃げる際の指示に緊張感を持っていた千鶴は、何の事かと思った。
だが照れ臭そうに顔を背ける斎藤の視線が髪に向いていたため、簪の事だと判った。

“次は”、“似合うものを”

その一言で、千鶴の心はこんな時でも踊った。
「使いやすいですよ」
嬉しそうに笑った千鶴に、斎藤は顔を僅かに紅潮させる。
「すぐ戻る」

部屋を出ようとした斎藤が千鶴を振り返った。
「着替えておけ」
斎藤は、千鶴の男物の長着と袴を指差した。
「はい」
「………………。」
「?」
「………………。」
「??? えっと…?」
「一人で出歩くな。絶対に、だ」
「……はい」
苦笑を返した。
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