◆ 雪月華【2】斎藤×千鶴 (本編沿)

□楓色めく
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【楓 1】



「いい感じに紅葉してきてんだ。千鶴を紅葉狩りに連れてってやりたいんだけどよ。
ついでに前に土方さんが千鶴にやった振袖、あれも着せてやりてぇんだが」
土方の部屋で、巡察の報告を終えた原田が提案した。
「構わねぇよ。
……なぁ原田、総司の奴も連れて行けねぇか?」
「総司? 勿論良いけどよ。風邪は大丈夫なのか?」
「……あんまり良くねぇ。そのせいで、あいつだいぶ腐ってやがるからな。
派手な仕事には出してやれねぇが、千鶴連れた物見遊山くらいなら何とかなるんじゃねぇかと思うんだが」
「わかった。あさって非番なんだが、その日で良いか?」
「ああ。頼む」



**********



天気は薄曇り。
午後遅くには雨が降りだしそうな空模様ではあった。
だが幹部の非番や状況の絡みで、千鶴が出歩ける機会は多くない。
原田、沖田、千鶴は、連れだって出掛けて行った。



紅葉を堪能し、帰路につく。
「千鶴、足は大丈夫か?」
「はい。でも久しぶりに着ると、歩幅の違いに戸惑います。
袴だともう少し早く歩けるのですが」
「これ位が良いよ。せっかく良い季節なんだし」
「だな」
沖田も千鶴も満足そうで、原田も気分が良い。
京の町を屯所に向けて、お嬢様とお付きの用心棒二人の風情でそぞろ歩いていた。



ゆったりと歩きながらも周囲を見るのは、命懸けの日々の習慣になっている。
原田は目の端に捉えた姿に走り出した。
千鶴にそっくりな顔を見た気がしたのだ。
「総司、悪い!! 千鶴を頼む!!」
「はーい」
返事は呑気だが、沖田の気配が一気に冷たく変わり、手が柄に置かれた。
その沖田を見た千鶴は、一歩沖田に近寄り、懐の懐剣をそっと手で押さえて確認する。



「行っちゃったね。雨も思ったより早く降りだしそうだし、少しだけ急ごうか」
走ると思った千鶴は、差し出された沖田の左手に手を重ねた。
だが沖田は、今までと同じ速度で歩いていく。
「……あの、沖田さん。急ぐんじゃないんですか? 原田さんに応援を呼ばないんですか?」
「佐之さんは何を追ってどこ行ったかわからないのに、どうやって応援しようか?」
面白そうに言う沖田に、千鶴は言葉が詰まった。
「それに、急いでも、雨には追い付かれたみたいだしね」
ポツリと雨粒が、千鶴の顔にも落ちてきた。
周りを見回した沖田は、千鶴の手を引いた。
「こっち」
千鶴は沖田に手を引かれるままついて行った。



「山が見える方が良いんだけど。2階は空いてる?」
「へえ。どうぞ」
沖田は一件の店に入ると、陰気そうな女将らしき人に尋ねた。
女将は笑顔ひとつ見せずに、二人を2階に案内した。



通された部屋を見て、千鶴は驚いて引き返そうとしたが、易々と沖田に捉えられ、口を沖田の大きな手で覆われた。
「近藤さんの名前にかけて何もしないから、ちょっと落ち着いてくれる?」

近藤さんの名前にかけて。
沖田が言うなら、それはどんな約束よりも信頼出来ると思った。
いつもと同じ笑顔の沖田に、千鶴は小さく頷いた。

「ありがと。本降りになってきたみたいだね。ちょっと天気読み違えちゃった」
沖田は千鶴からゆっくり手を離した。
「沖田さん! ここ……っ!」
部屋には布団が敷かれ、枕が2つ並んでいる。
「当たりー。出逢い茶屋」
平然と言って、沖田は窓に近寄り障子を開けた。

「千鶴ちゃん、やっぱりここなら山の紅葉見えるよ」
「沖田さん!」
「落ち着いてってば。ここから叫べば周りに聞こえるから大丈夫」
そう言って沖田は窓に腰掛け、外を指差した。
「聞こえたって、誰も沖田さんには敵わないじゃないですか」
千鶴は少し膨れて言い返した。
「褒められてるのかな?」
「違います!」
「振袖、濡らしたくないでしょ?
駕篭を呼んでもらうから、まずは落ち着いてくれる?
今の千鶴ちゃんは窓から飛び出していきそうだから一人に出来ない」


沖田の意図を聞いて、千鶴はやっと大人しくなった。
「見てみなよ。窓からの紅葉狩り」
千鶴は窓に寄り、外を見た。
嘯々(しょうしょう)と降りだした雨の向こうに、燃えるような赤を抱いた山が見えた。
「……綺麗」
「うん。綺麗だね」
飄々とした沖田の声に、千鶴は沖田の横顔をこっそりと覗き見た。
千鶴を気にした風も無く外を見ている沖田に、千鶴は肩の力を少し抜いた。


千鶴が落ち着いたのがわかったのか、沖田が話し出す。
「……僕の病気のこと、誰にも言わないでいてくれてありがとう」
沖田は窓の外を見たまま言った。


千鶴は沖田の真似をして窓枠に座った。
「でも、土方さんは薄々気がついていらっしゃると思います。
それにいつまでも隠せるとは思えません」
「そうだね。土方さんは経験者だしね。
いつまで誤魔化せるかな」
「……土方さんが?」
千鶴は体を強ばらせた。
労咳を患って、病み抜けられる者は少ない。
「日野に居た頃にね。
地獄の閻魔様にも嫌われるなんて、さすが土方さんだよね」
「……それなら沖田さんも大丈夫ですね」
上手く表情を作れた自信は無かったが、千鶴は精一杯笑ってみた。
千鶴の顔を見て、沖田は楽しそうにに笑う。
「千鶴ちゃん、変な顔になってるよ」
「わかってます」


「他には誰が知ってるの?」
「斎藤さんと山崎さんです」
「……はじめ君か。成る程ね」
「……どうして斎藤さんと山崎さんだと納得なさるんですか?」
「山崎君が報告しなかった理由はわかんないけど…はじめ君が土方さんに言うとでも思ったんじゃない?
はじめ君は……」

沖田は言葉を切って外を見た。

「はじめ君なら、言わないだろうな。
口止めしたの、はじめ君でしょ?」



千鶴は、沖田が労咳だと知って泣いた夜に、斎藤に言われた事を思い出した。
あの時の斎藤さんの判断は正しかったのだ、と思った。



千鶴は沖田の横顔に語りかけた。
「……私の知っているのは数年前の父のやり方ですが…労咳の薬は蘭方でもまだありませんでした。
熱冷ましや咳を鎮める薬で、体を労ります。
咳や熱は体力を削りますから。
体を休めて滋養のある物を食べて下さい。
松本良順先生によると、卵やお肉は力がつくそうです。
1度に沢山食べられないなら、1日に何度もに分けて食べて下さい。
お酒も止めてください。
沖田さんは呑み始めると食べなくなってしまいますから」
千鶴が話し終えても、沖田は暫く外を見たまま動かない。
千鶴は、今の沖田は何を見ているのだろう、と思った。
沖田の翠の目に、紅葉の山は見えているのだろうか。
「……わかった。今の話、凄く助かったよ」
横顔のままの沖田が言った。
その目は、違う世界を見ているように感じた。


会話が止まったまま、千鶴と沖田は
顔を山の方へ向けている。
千鶴は、窓の外から入る空気がひんやりとし始めたのを感じた。

日暮れが近い。

千鶴は口を開く。
「……体を冷やすのもダメです」
「はいはい」
そう言うと沖田はいつもの笑顔で千鶴に手を差し出す。
この人は、なぜ笑っていられるのだろう、と思う。

訳がわからないまま千鶴が沖田の手を取ると、強く引かれた。
千鶴は前のめりになり、そのまま沖田の腕の中へ取り込まれた。
「生きてる懐炉。……いつもより帯が邪魔だな」
「お、沖田さん?!」
沖田はあっという間に帯揚をほどいてしまった。
千鶴の背中で帯がたらりと下がった。

「あれ? もっと邪魔」
そう言うと沖田は、長い袖を器用に絡ませて千鶴の腕の動きを後ろ手にして封じてしまった。
こんな事をされれば、さすがに恐怖心が湧いてくる。
「沖田さん!!」
「女の子の着物ってさ、男に都合良く出来てると思わない?」
「ほどいて下さい!!」
「うん、今やるね」
そう言った沖田は、千鶴の着物の帯を解いていく。
「違います!!」
千鶴がじたばたと暴れているうちに、帯がするりと下に落ちた。
沖田は千鶴を放して帯を拾い上げると、手早く左腕に巻き付けた。

「ここに居るっていう報告の手紙書いて、千鶴ちゃんのいつもの着物持って迎えにきてもらうようにするから。
大人しくしててね。
帯は人質……じゃないから……物質?」

そう言うと沖田は軽やかに身を翻して部屋を出ていった。



一人残された部屋で、千鶴は身を捩る。
なんとか絡んでいた長い袖をほどく事が出来たが、時間がかかってしまった。
落ちている紐を拾い上げて、開いてしまう袷を押さえようとしたときに沖田が戻ってきた。

「脱いで掛けておけば?」
沖田は部屋の隅にある衣紋掛けを指差した。
千鶴は涙目で沖田を睨む。
「脱ぎません!!」
「……仕方無いなぁ」

沖田は自分の着物を1枚脱ぐと、それを千鶴の肩に掛けた。
「これ貸してあげるから。振袖は掛けておけば?」
沖田が何をしたいのかわからない。
沖田は、腕に巻き付けた帯を広げると衣紋掛けに掛けた。


「……体を冷やしちゃダメです……」
「ああ、もう、土方さんみたいだな。はいはい。これで良い?」
沖田は面倒くさそうに言って、掛け布団を引っ張り身に纏った。
そして肩にかけた掛け布団をずるずる引きずりながら窓に戻ると、また窓辺に座って外を眺めだした。



雨と日暮れで、少し寒い。

沖田の居る窓辺はもっと冷えているのではないだろうか。



千鶴は言われた通りに振袖の代わりに襦袢の上に沖田の着物をはおり、腰紐で仮留めし、振袖は衣紋掛けに掛けた。

窓に近づくと、やはり少し寒かった。

沖田に今日何度目か、手を差し出され、千鶴はおずおずとその手を取る。
軽く引かれて、沖田の足の上に座らされた。

コトリと沖田の頭が千鶴の肩に乗った。
思ったより随分重かった。
新選組の人たちはいつも千鶴をひょいひょい持ち上げるが、人というのは意外と重いものだと思った。


窓辺から動こうとしない沖田の為に、千鶴は沖田の肩の掛け布団を引き上げた。
そしてそのまま沖田の背中に手を回して、子供にするように軽く背を叩いた。
呆れられるかと思ったが、沖田はされるがままで、大人しく外を見たまま動かない。

薄雲の灰色の空が、だんだん暗くなってきた。
「沖田さん。冷えてきました。
窓、閉めませんか?」
沖田は千鶴に返事をせず、黙って千鶴の進言に従った。
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