◆ くだらない話(all)

□(現代)億千万の胸騒ぎ【6】
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【億千万 36】


**


ひとはしゃぎして、やがて花火が始まった。
川沿いの手すりに寄りかかって見上げる。
千鶴をガードするように置かれた斎藤の腕の間で、
千鶴は時々斎藤を振り仰いで話していた。
気を利かせて少し離れた所で双葉は足を止めたので、土方は双葉と並んでいる。

「……就職先、決められねぇのか?」
「誰情報?」
「雪村経由、お前の母親情報だ」
「……おかーさんか。敵わないなぁ……」
双葉が黙ったので土方も黙っている。
聞き出したい訳では無い。
「……なりたい自分は見えるんだけど、
どこにその場所があるのかが分かんない」
「……教育実習はどうだったんだ?」
「……先生って、本気でやったら大変。
歳三さん、凄いよ。遠くで見てたけど、
息つく暇も無く動いてたね」
「聞いてんのはそこじゃ無ぇ」
「……うん。良いと思うんだけど。足りない」
「何がだ?」
「他人の為にはなる。でも私が上に行くには、……」
「……なんだ?」



あそこでは、歳三さんが私を欲してくれないと、
私の行きたい所へ行けない。
歳三さんが私の能力を最大限よこせと言ってくれないと、
私が行きたい所へ行けない。



双葉は土方を真っ直ぐに見た。



欲して欲しい。
斎藤双葉と、“斎藤先生”と、両方。
片方では、私には足りない。
全部を、賭けたい。



双葉は土方から自分の手に目を落とした。
手を握り、開き、握った。



能力を全部使いたい。
私を使い切りたい。
女に生まれてしまった私と、積み上げてきた私と、全部を出し切りたい。
……男に生まれていたら、今のままでも
肩を組んで走っていけたのに。
楽園で食べたリンゴ。
アダムのリンゴは喉に。
イブはリンゴを飲み込んだ。
その分女は罪深い、だっけ。
強欲。
この人だと思った。でもまだ足りない。
ああ、そっか。
私は、選んだ人の横を走りたいんだ。
仕事でも同じ。
誰かの為でも何かの為でも良い。
ついて行くんじゃなく、連れて行って貰うのでもなく、
翔け上がりたい。



双葉は斎藤と千鶴を見た。



昔ははじめの為に走れば良かった。
はじめには、千鶴ちゃんが居るから大丈夫。もう私は要らない。
私は役目を果たした。
これからどうしよう。



そう思った時だった。
無理矢理顔の向きを変えられた。
不思議と、視界に土方の目だけが映った。
「……歳三さん?」
「誰を見てやがる」
「へっ……」



誰を、って、はじめと千鶴ちゃん。
……どうしてそんな憎々しい目……。
え。



後頭部を大きな手に掴まれ、押さえられた。
腰を引かれ、土方へと押し付けられた。
押し当てられた唇から、舌が入り込んできた。



ちょ!
ここ、外!
最前列!
周りに人いっぱい!
うわ、誰か見てる!視線感じる!
勘弁して!
バカっぷるみたいじゃないの!



さわ、と空気が揺れる気配が恥ずかしくて
周りを拒絶するように強く目を閉じた。
やっと唇が離れ、双葉は目を開けた。
花火客の一人と目が合った。
何も考えず、土方の手首を掴んで走った。
その場の人混みを抜けて、上がった息を整えながら更に歩いた。



何してくれるの、ホントにっ!
知ってる人が見てたらどうするの!
バカじゃないの?!



汗が背中を流れる。
人の居ない所まで行きたかったが、歩いても歩いても人が居た。
「双葉」
掴んでいた土方の手首が振り払われ、
逆に手首を掴まれた。
強く引かれ、足をもつれさせるように引かれた方へ歩いた。



神社?



小さな神社で、すぐそばの道には人が居たが、道よりは暗い。
幾らか気を抜くことが出来た。



あんな所でキスなんて!
文句言わないと!



息を吸った時、背中に衝撃が来て息が止まった。
木にぶつかったと感じるのと、両手首を頭上に上げられ
木に押し付けられたと気づいたのと同時だった。
「あんな時に弟見てどうすんだ」
強烈な光の目で、また視界がその光だけになった。



どう、って。
とにかく離せっ。



双葉は膝を思い切り折って重心を落とした。
「っ!」
手の中から双葉の腕が抜け、土方は双葉の動きを目で追った。
回転を利用しながらの動きが目に入り、
体が勝手に強い防御体制に入る。



足払い……!



浴衣の裾が開くのも構わず仕掛けてくる双葉の足を、
腕で何とか受け止め、抑えた。



重いっ。
女の動きかよ!



土方が顔を歪めた。
「バカか! 浴衣泥だらけにしやがって!」
「壁ドン嫌い!」
「はぁっ?!」
「……。」
双葉に睨まれ、土方は掴んでいた足を離した。
二人で息をつき落ち着くと、双葉の浴衣の土を払った。

「……何を怒ったの」
「話してる最中に弟なんかを見るからだ」
「………………………………ハ?」



それだけ?それだけ?
それだけでっ?!
それだけであんな危ない橋を渡れるのっ?!



「ったく、浴衣で大股開くな」
「……………………ごめんなさい」
「……大丈夫そうだな」
土の落ち具合を確かめ、土方は立ち上がった。
「……………………ありがとう」
「お前は何を怒ったんだ」
「バカっぷるキスと壁ドン」
「……はぁ?壁ドン?」
双葉は木を指差した。
「……ああ。あれは悪かった。痛めてねぇか」
「それは大丈夫」
「……ったく。バカっぷるキスって何だ」
「人前でする事じゃない」
「バカ野郎。ああいう時は目の前の男に集中しろ」
「……………………………………ハ?」
「文句あんのか」
双葉は二の句が継げない。



あんな恥ずかしい事、平気なんだ?!
……平気だからしたのか。
集中……は、しなかったな。



「戻るか。……お前、下駄は?」
「さっき飛ばしちゃった」
「……ったく。どっちに飛んだ?」
「多分あっち」
「待ってろ」
「……ありがとう」
下駄を探しに行く土方の背中を見つめた。



壁ドン、歳三さん、誤解してたなー。
壁ドンは腹が立つんだけど、面倒見の良さはツボ……。
これだけで色々許せちゃうと、後々自分が困るんたけど。



土方のスマホの明かりが揺れている。
暗闇の中を光が動く。
虫の羽音が耳をかすめていった。
双葉はネックレスに触れた。



決めた事だから後戻りはしない。
最後まで手に入らなくても。
手に入れる方法は私の中にある。
1つ1つでも手に入れていく。
考えよう。深く、遠くまで。



「あったぞ」
「ありがとう」
手に下駄をぶら下げ土方が戻って来た。
双葉の前に置いた。
すぐ前に立つ土方から圧迫感を感じながら下駄に足を入れた。
その圧迫感の正体を感じ、双葉は体に力を込めて跳ね返そうとした。



この人は、私には“男の人”だ。
“生き物”の部分が求めるこの感じ。
オスの気配。
誘惑される。



足元を見ていた視界で土方の手が動いた。
ギクリとした。
指が、ネックレスに触れた。



……動けない。



下がった方が良いと思うが、触れられたい気持ちが動きを止める。
指が首を伝い、手のひらが頬を包んだ。



逃げねぇな。



土方は双葉の反応を確かめ、双葉の心が自分にある事を確認する。



ここまでは他の女と同じなんだよな。
これだけ惚れてると態度をはっきりさせておきながら、
こいつは堕ちねぇな。



双葉が顔を上げた。
真っ直ぐに見てくる瞳。
その目には情欲も見え隠れする。
女のこの目の判別は慣れたものだ。
ここまで来れば、抱き寄せてキスを繰り返せば、
そのままベッドインまで持っていける筈なのだ。



肌は合う女だ。
あの一晩で記憶に残る程に。
こいつだって、初めての癖に融け切ってた。
体の相性だけ取っても恐らく最高。
抱きたいのは山々。
……だがこの女が求めるのは俺の、俺自身への忠義。
これ以上進めば俺は丸ごと囚われる。
どうする?



進めない。
しかし引けない。

見詰め合うと言うには緊張感が漂い過ぎている気がした。



まるで試合だな。



そう感じた時、双葉のスマホが音楽を奏でた。
ぴくりと肩が揺れた。
「斎藤からか」
双葉はうなづいた。
土方から目を逸らさず、ゆっくりと帯に挟んであるスマホを手にした。
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