◆ くだらない話(all)

□(現代)億千万の胸騒ぎ【2】
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【億千万8】



その、土方先生。
今日も今日とて残業をこなしていた。
斎藤と千鶴が部屋に飾られたツリーを見ながら
ケーキを食べている頃、やっと帰路についていた。

学校の最寄駅にて。



「……タクシーはどこ行ったのよ」
不機嫌なつぶやきが耳に届き、ついそちらを見た。
クリスマスらしく着飾った女がタクシー乗り場の案内看板を睨んでいた。
片足立ちで、手にピンヒールのパンプスを持っている。
手にぶら下がったパンプスのヒールはポッキリ変な方向を向いていた。
ドラマのような様子に小さく吹き出した。
しかし再度目を女に戻した。
ピンヒールでの片足立ちなのに、随分と安定して立っている。
大したものだと思った。

「そこのコンビニで接着剤でも買ったらどうだ?
こんな各駅しか止まらない駅じゃ、今日はタクシーは来ねぇよ」
土方は気まぐれを起こし、女に声をかけた。
女は土方の顔をじっと見たが、女に見つめられるのは
土方には慣れた事なので気に止めなかった。
「…………。」
「家は近くなのか?」
「まだ電車に乗らないと帰れない。でももう歩きたくないの。こんな靴で」
「随分と早いお帰りだな。振られたのか」
「振ったの! 食事だけって言っておいて彼氏ヅラされちゃたまらない」
「高校生だってそんなのは嘘だと知ってるぜ。
待ってろ。接着剤、買ってくる」
「……ありがとう」


**


土方が買ってきた接着剤でとりあえずヒールは付いた。
「人間の体重支える程の強度は無ぇだろうな」
「でしょうね……」
「肩貸すか?」
「送ってくれるの?」
「近くならな」
「代償は?」
「クリスマスの気紛れだ」
「……お礼はするから手を貸して」
「引き受けた」
土方はそこから数駅、駅から十分ほどの女の自宅に向かった。
途中やはりヒールは外れ、一応また接着剤を使ったものの
女は土方の肩に捕まって歩いた。



久しぶりに見た上玉だな。



土方は女の横顔を見て思った。
表情の少ないクールビューティ。
凛々しい立ち姿はかなりの好み。
男の親切に対し警戒を露にする所が良い。
これだけの美人が男の親切をタダで使おうとしないのが良い。
肩につかまりながらも縋ろうとはしない。
自分の足で歩こうとする女に覇気と張りを感じる。
クリスマスイブの夜の早い時間に
男を放り投げて帰る女に興味を持った。
「なんであんな駅で降りたんだ?」
「あの駅の近くに靴屋さんがあった記憶があったんだけど」
「とっくに閉まってただろ」
「閉まってた」
「学生の使う駅だからな」
「乗り換えあるから、それなら靴買っちゃえって思ったんだけど。
甘かった」
「イブの夜に男を置き去りにした罰だろ」
「……そうかも。はしゃいでるのを見てたら情けなくなってきちゃって。
理想を押し付けられて、見ていられなくなった」
「あんたみたいな女とイブの夜に予定入れられたら
普通の男は期待してはしゃぐだろ」
「お世辞は要らない」
「一般論だ」
「……はしゃがない?」
女は指で土方を指した。
「そういう歳でも無ぇな」
「モテ慣れてるから?」
土方は少し笑った。まるで関心無いように見えたが、
顔の良さは一応評価されていたらしい。
「……お前みたいな女には警戒する」
「警戒?」
「他人に愛想笑いしねぇ奴ってのは、誠実な奴と、
他人に価値を置いて無ぇ奴が居る。
軽くあしらうと痛い目見るからな」
「私は?」
「見てくれだけで寄ってくる男への誠意と思いたい所だな」
「誠意?」
「寄ってくる男への警鐘、ってとこか」
「どうしてそう思う?」
「愛想笑いして気を持たせるのが嫌なんじゃ無ぇか?」
「……うん。どうして解る?」
「経験だろ。お前よりは年上だと思うぜ?
……おい、そんなに目ぇ覗き込むな」
「?」
土方は苦笑いを浮かべた。
「分かりやすく出てんだよ、お前の目に。興味持ちましたって出てる。
期待しちまうだうが」
「あなたに興味持った」
「そりゃ分かってたけどよ」
土方は苦笑いを浮かべた。
自宅まで送らせるという事は、自分は女にとって及第点なのだろうと思っていた。
「期待? あ、ここ」
女が指差したのは一軒家。



親と同居かよ!
そりゃ気楽に送らせる筈だ。
イブの夜に降って湧いた美人と懇ろ、なんて美味い話がある訳無ぇか。



土方は女から離れた。
「じゃあな」
「車で送る、お礼もまだだし。待って」
「要らねぇよ」
「困る。こっち」
去ろうとした所、女に腕を引かれ、家の方に連れていかれた。
抵抗しようとした瞬間に一瞬押され、
体のバランスを崩しかけた所でまた引っ張られた。
足が家へと進んでしまった。
素人の動きでは無い気がして、土方は一気に警戒を強めた。
「おいっ」
「期待してくれたなら、応えられるか考えたい」
「それとこれとは違う話だろうっ」
「おかーさーん!お客様連れてきた!」
「おいっ?!」



いい女かと思ったら変な女だったのかっ!



「双葉? 外で何を騒いで……あら、いらっしゃいませ」
「いえっ、帰りますんで!」
「お気になさらず」
「助けて貰ったの」
「あらあら。ご迷惑おかけいたしました。どうぞー」
「いえ、ここで失礼します!」
土方は掴まれた腕を女から取り返そうとしたが、
女は巧みに土方の力を逃がして引っ張った。

「……双葉?」
「話の途中なの」
手を振り払おうとした所、女の手がどう動いたのか、
掴み直して今度は関節をねじ上げてきた。
「双葉!乱暴ダメ!
……あの、住宅街で騒ぐのも何ですし、
何かありましたら私が責任持って謝らせますから。
ひとまず中へ」
関節をねじ上げられ逃げられない。
母親の方が話が通じそうだった。
母親に経緯を話して玄関先で帰ろうと思って玄関までは進んだ。
「どうぞー。お姉ちゃん、何か飲む?」
「いつもの」
「じゃ、2つお部屋に持っていくね」
「帰るのでお構いなくっ!」
「さっきまで他のお客様もいらしたんで、お気になさらず」



冗談じゃ無ぇっ!



母親に話をするどころでは無かった。
「部屋のドアは開けとくから大丈夫」
「そりゃ男のセリフだろう!……っと、すみません、すぐ帰ります」
目の前の二人の剣幕に、母親は頬に手を当てた。
「……はぁ。あの……クリスマスですし寒いですし、
こんな日に助けて頂いたのもご縁かと思います。
一服してお帰りになってはどうでしょう?
お仕事帰りとお見受けしますが、お食事でも如何ですか?
こんな日に一人で食事も淋しいものですし、
今日はシチューなので沢山あるんです。
私の事が気になるようでしたらお部屋に運びますから」



……普通の飯!



普段外食が基本の男の一人暮らし。
思わず心が揺れた。
送った礼に1食ご馳走になるのはアリかもしれない、と
空っぽの腹が囁いた。

結局、女の部屋でケーキとオレンジジュースまで平らげた。



***********



千鶴を家に送り届け、父親と対面して緊張した後、
斎藤は家に帰った。
帰る途中で母からメールが届いた。

『お姉ちゃんのお客さん来てるから、静かにね♪』



とうとう捕まえたのか。
気の毒に。



斎藤は相手の男に同情した。

言われた通り静かに玄関ドアを開けた。
男物の靴があった。



……どこかで見たような?



しかしよくある紳士ものの黒い皮靴。
深く考えずに奥へと進んだ。
「お帰り。何か言われた?」
母はリビングのソファから立ち上がって近くに来ると、
小声でそう言った。
「……“良い親御さんで安心だ”」
「そう? 良かったね」
「?」
「相手の親御さんに、悪い虫だって思われたくないでしょう?
寒かったでしょ。お茶?コーヒー?」
「風呂に……」
「明日にしなさい」
「…………は?」
「いつ使うって言い出すかわからないじゃない」
母親は姉の部屋の方を目配せした。



……母親の在宅している家で、そんな事にはならないと思うが。



高校生の自分ならいざ知らず、姉は二十歳だ。
「……。コーヒーで」
「ものすっごい男前連れてきたの。かなり強引に連れ込んだから、
おかーさん、ビックリしちゃったわー」
「…………。」
姉が男に執着するとは、珍しいこともあるものだと思った。
「親父は?」
「泊まりにするって。年末と年度末は毎年大変」
テーブルにコーヒーが置かれたので、椅子に座った。
「お兄ちゃんも結婚早かったし。こうと決めたら猪ねぇ、うちの子たちは」
娘が男を部屋に連れ込むのに協力する母親をいかがなものかと思うが
口には出さなかった。
言い負かされるのは懲りている。
姉の部屋の男は、斎藤が起きている間には帰らなかった。



だが。

隣の姉の部屋が騒がしく、斎藤は目を覚ました。
想像したのと逆の事態のようなので、
寝返りを打って目を閉じた。

「何入れたっ!」
「何って、普通のスクリュードライバー」
「ウォッカじゃねぇかっ!どんだけ入れたんだっ」
「半分位」
「ほとんど酒じゃねぇか!」
「うちではこんな感じだもん。美味しいって言ってたけど?弱いんだ?」
「帰るっ」
「電車動いてないよ?」
「何時だ……4時っ?!歩いててでも帰るっ。仕事が……っ」
「無茶言ってないで、落ち着こうか。
車出すから」
「お前も飲んだだろうが!」
「もう抜けてるよ。まずは服着ようよ。風邪引くよ?」
「貸せっ、…………っ、おっ、お前、まさか初めて……っ?!」
嫌な話を聞いてしまった気がして、斎藤は布団に潜り直した。
だが、相手の男の話し方や声が引っかかった。
「そう言ったのに。信じなかったのは自分だからね?」
「……っ!」
「落ち着きなってば」
相手の男が気になるが話の内容が嫌すぎる。
しかしこのまま騒がれても迷惑だ。
眠れない。
母親も起き出してくるかもしれない。
もう少ししたら朝練の為に起きなければならない。
斎藤は諦めてベッドから降りて部屋を出た。

姉の部屋のドアをノックしようとした時、
ドアが勢い良く開いた。
反射的に手でガードすると、バン、と大きな音がした。
「すまねぇっ、大丈夫か……」
「…………。」
斎藤は部屋から出てきた男の顔をまじまじと見つめた。



……姉貴は、いつも正しかったな。
なるほど。



その後、男の服を見た。
半分しか止まっていないワイシャツのボタン。
ポケットにぐしゃぐしゃに突っ込まれたネクタイ。
男の狼狽ぶりがよく分かった。
「……姉さん」
「はいはーい?」
男の後ろから、服を着ながら姉が顔を出した。
「土方先生を連れ込んでいたのか」
「うん」
「そうか」
「うん」
「声が大きかった。母さんが起きるぞ」
「センセーに言ってよ。落ち着こうって言ってるのに怒鳴る、怒鳴る」
土方は怖いものをみるように、ゆっくり女を振り返った。
「……さい、とう……?」
「斎藤双葉です。ちゃんと名乗ったよ。もう忘れたの?
それに前にも校門前で会ったじゃない」
土方はゆっくりと前を向いた。
斎藤が、見慣れた無表情で立っている。
「……斎藤……。お前の……?」
「姉ですが」
土方はまた振り返った。
「……路駐女……」
「停車!」

そこに違う声が加わった。
「みんな早いのねぇ……。ご飯、今から作るのに」
母親が部屋から顔を出した。
「母さん。こちらは、ひ……」
土方は斎藤の口を押さえた。
「? おかーさん、今、スッピンだから、挨拶は後でね」
母親はにこりと笑うと階段を降りていってしまった。
すぐに下から声が響いた。
「10分位でお風呂沸くから、あなたたち、入る順番決めなさいねー」
「……。」
「……」
「私が最後かな。9時に出れば間に合うから」
斎藤は顔から土方の手を引きはがした。
「先生、朝練には始発に乗ります」
「……一度帰る」
「恐らく間に合いません」
「…………」
「はじめのシャツ、着れるんじゃない?貸してあげたら?
ネクタイはおとーさんの漁ってくるよ」
「そうだな」
「下着は?」
「買い置きが無いか聞いてくる」
「おっけー」
「先生。用意しておきますので先に風呂へどうぞ」
「…………」
「先生。早くして頂かないと間に合いません」
「…………」
「……はじめ。先に入っちゃえば?」
「しかし、先生を差し置いては」
「正気に戻しとく」
「分かった。頼んだ」
「頼まれた」
姉と弟は軽く手を上げあって、分かれて行った。
土方はその場に残された。



……。
生徒の姉に手を出した……っ。



土方はその場で、手が震えるほど握り締めた。
性格的に、口止めして隠蔽という事は出来ない。
不祥事には違いない。
辞職。
このふた文字が頭を走り回っていた。

斎藤は一度部屋に戻ると、姉に
白いワイシャツとビニールに入ったままのシャツと下着、
靴下などのひと揃いを渡した。
「はじめ、ネクタイこれで良いかな?」
「……。」
無言なので、姉の双葉はこれでも良いのだと判断した。
「じゃ、これで。……土方センセ?このネクタイで良い?センセ?」



心血注いできたあの学校。
校長に何と言えば良いのか。



突き出されたネクタイを見ながら思っていた。
ガクリと、床に手と膝を着いた。
「センセ?朝練あるんじゃないんですか?」



そうだ。
最後の一日になるかもしれねぇ。
今日は気合を入れよう。



涙目……にはならなかったが、土方は立ち上がった。

「……センセ?」
土方は立ち上がると、姉の手から着替えをひったくり、
風呂へと向かった。


**


「……お姉ちゃん」
「おはよー、おかーさん」
「おはよう。……あの人、はじめが入ってるお風呂に入ってっちゃったの。
大丈夫なの?」
「あー、はじめの学校の先生だから」
「……。はじめの?ああ、部活の。どこかで見た顔だと思った」
「うん。写真で見てるはず」
「……益々心配なんだけど」
「カノジョ出来たんだし、あのヒトもそういうのとは違うみたいだよ」
「そう……?」
「うん」
「でもお気の毒ねぇ」
「何が?」
「生徒の家族と結婚なんて、何を言われるか……」
「……結婚って。何の話をしてるの……」
「だってあなたに捕まっちゃったら最後じゃない」
「何それー!? それに、はじめの高校あと一年とちょっとでしょ。
私もまだ大学あるし」
「……そう? 相手の人生がかかってるんだから、気をつけてね」
「……うん」
姉の双葉が真面目な顔で返事をしたので母親は安心した。
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