◆ 蒼いびいどろ

□10.北颪(きたおろし)
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【びいどろ 75】



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斎藤は永倉と共に、不動堂村の新選組屯所に初めて入った。
まだあちこち新しさを感じさせる広大な屋敷。
御陵衛士の屯所は寺の一角の間借りだった。
壬生の屯所、西本願寺の屯所に思い馳せた。
新選組の栄達を感じた。
伊東甲子太郎は今日、土方による暗殺計画で人生を終える。
新選組で言えば壬生の屯所時代で潰えるという事だ。
伊東は自分の“元新選組幹部、三番組組長”の肩書を利用した。
利用される程に有名になっていた自分にも時の流れを感じた。

建物の方へと歩いていると、土方が走ってきた。
「斎藤っ!無事だな?!」
「はい」
「よくやった!」
土方に体当たりされるように抱きつかれ、斎藤はかなり驚いた。
こういう事をする人では無いと思っていた。
強く抱き締められ、土方が如何に心配してくれていたかを感じた。
土方はすぐ離れ、斎藤にかすり傷一つ無い事を確認すると、
「よし!」
と明るい声で満面の笑顔を見せた。
「お前の部屋はあっちだ。疲れて無ければ皆に顔を見せてやりてぇんだがどうする?」
「疲れはありません」
「よし! 新八、近藤さんと皆に声かけて、近藤さんの部屋か俺の部屋に集めてくれ」
「おうよ!」
永倉は軽い足取りで明るく笑って走っていった。

それを見送った土方は感慨深そうに言った。
「お前ならやってくれるとは思ってたが、やっとまともに眠れるぜ……」
「ご心配おかけしました」
斎藤がそう言うと、土方はまた背中を軽く叩いて触れてきた。
触れられる事で身近さを感じる。
それまで斎藤の中で土方への思いとして一番大きかった敬意に親密さが加わり、
土方から感じていた信頼に情が加わった気がした。
「……なぁ斎藤……。平助は駄目だったか……」
「御陵衛士への不満も新選組への未練もあるようです。
暗殺計画を聞き、伊東さんに強く意見していました。
俺なりに戻れと諭したのですが……御陵衛士で伊東さんの暗殺計画を止めたい、と……」
「……そうか……。分かった」
土方の手がまた斎藤の背中を軽く叩いた。





部屋へ向かうと、土方の部屋には気配が無かったので近藤の部屋に向かった。
皆の驚きと喜びと安堵に迎えられ、斎藤は、ここは確かに自分の居場所だと、
根付いたような安堵が胸に広がるのを感じた。
大切な者たちの顔が並ぶ中で、千鶴が大きな目を更に見開いているのを見つけた。
目が合うと、千鶴は鼻を赤くした。
何かと思ううちに、千鶴の大きな目からボロボロと涙が溢れてきた。
千鶴は無言でただ涙を溢れさせ続けていた。
斎藤が思わず固まっていると、原田の手が千鶴の頭をポンポンと撫でた。
「お前もな、嬉しいよなぁ?」
原田が千鶴に声をかける。
千鶴は慌てて手拭いを取り出し顔を覆い、うつむいた。
それから俯いたまま大きく頭を縦に何度も動かしていた。

「何が始まるのかと思ったら、はじめ君。お帰り」
いつの間にか障子を開けて、沖田が入り込んできていた。
「起きたのか、総司」
「これだけ隣の部屋で騒がれれば目も覚めますよ」
土方に応えた沖田は寝間着に羽織。
斎藤は久しぶりに見た沖田の姿に驚いた。
土気色の顔。一回り小さくなった体。
調子が悪く、筋肉が落ちた事が一目で見て取れた。
土方からの連絡には沖田の事は何も無かった。
特記事項では無いから当然ではあったが、
これでは何か言いたくても言えなかっただろうと思った。
痩せた沖田の顔が笑った。皮肉と、子供の残忍さを含んだような無邪気さを思わせる
明るい印象の笑い方は昔のままだった。
沖田の持つ独特の魅力が消えていない笑顔に、斎藤は僅かに安堵する事が出来た。
「御陵衛士には間者だったんだ? 僕に内緒でそんな楽しい事をしてたの。
で、伊東さんはちゃんと斬ってきた?」
相変わらずな沖田の物言いに、斎藤は微笑を浮かべた。
「それは今夜だ」
今夜決着を付けるから、斎藤は今日呼び戻されたのだった。
土方のこの一言を皮切りに、斎藤からは伊東に関する現状、
土方からは伊東暗殺の計画が話された。

「伊東は薩摩と手を組んだ。それにより新選組を潰すとし、近藤局長の暗殺を企てた。
また、羅刹の件も薩摩藩に寝返った雪村綱道からの情報を得て詳細を知っている。
御陵衛士にはこれを公表して徳川家の権威失墜させる準備もある。
左之。あんたが坂本龍馬を殺したと吹聴しているのも御陵衛士だ」
斎藤の言葉に原田は呆れたような大きなため息をついて腕を広げ、
バカバカしい、と表して見せた。
「伊東もここまでだ。極楽に送って高みの見物に回ってもらう」
一同が頷いた。
それから土方は伊東暗殺計画の流れを話した。

「今夜、近藤さんの別宅へ伊東を呼び出してある。
近藤さんと俺とで伊東に酒を飲ませ、帰り道に新八、左之他数名と、合流する俺とで伊東を襲う。
伊東の死体を使って御陵衛士を誘い出し、斬る」
「土方さん、僕は誰を斬れば良いんですか?」
名前の出なかった沖田が言った。
「お前は屯所の守り番だ。斎藤と遊んでろ。
さっさと治さねぇからこういう時に出番が来ねぇんだ」
「……恨みますよ土方さん。はじめ君、一緒に遊べってさ」
「……。寝ていろ」
斎藤の返事に沖田がまぜ返す。
「僕が寝込みを襲われる側?ヤだなぁ。潜伏してた陰間茶屋で本格的に目覚めちゃった?」
「誰が目覚めるかっっっ!」
沖田の軽口に、皆が驚くほど斎藤から真面目な怒気が吹き出した。
「……あれ?」
沖田もこの斎藤の反応は予想外だったらしい。
笑い含みの声ながら、言いすぎた、と困った様子で沖田は小さく首を傾げた。

「か、かげま、ぢゃや……?斎藤さんが?」
涙の止まった千鶴はその言葉を思わず繰り返していた。
小さな声だったが、千鶴の受けた衝撃をよく表した声だったので、
その場は静まり返った。
こんな時の空気を緩めるのは大抵原田だ。
「千鶴。違うって。土方さんの指示だよ。
そういう所は人の出入りが頻繁にあって目立たねぇだろ?
かと言って女の茶屋はまず探す場所だから使えねぇんだよ」
「そ、そうなんですか……」
ホッとしかけた千鶴に、永倉が余計な事を言った。
「そうそう、千鶴ちゃん。悪いのは土方さん。土方さんは酷いんだぜ?
俺をだまくらかしてそんな店の暖簾をくぐらせたんだからよ。
変な噂がたったらどうしてくれるってんだ。
斎藤。お前も大変だったんだろ?ああいう所じゃお前も相当狙われたろ?」
「なっ!馬鹿な事を言うなっ」
斎藤がまともに赤くなって怒ったので、相当狙われたのは事実だと皆に伝わった。
「…………」
千鶴のドン引きした顔に、斎藤は固まった。
「俺は女だけだっ!」
斎藤の心からの叫びに千鶴は違う方向に更にドン引きし、ひきつり笑いになった。
「あっ、遊ぶ訳でなく!」
「…………あは、あははは…………」
せっかくの斎藤擁護を台無しにされた原田は溜息をついてまた千鶴の慰め役に回った。
「そういう顔してやるなって、千鶴。斎藤が新八みてぇに女好きじゃ無ぇのは知ってるだろ?
斎藤は真面目だよ」
「…………」
斎藤は激しく首を縦に振った。
が、千鶴は見ていない。原田を見上げていた。
「なんだ?」
原田のおおらかな笑顔に千鶴は口を開いた。
「あの……御陵衛士の平助君は……」
「そりゃ勿論助けるさ」
永倉が言った。
「ああ。ちゃんと逃がして連れ帰……」
原田も請け合おうとした。
「……刃向かうようなら斬れ」
土方の冷たい声が原田の言葉を遮っていた。
「おいっ、土方さん?!」
原田が驚きの声をあげた。
「刃向かうようなら、斬れ。以上だ」
土方はそう言いおくと、部屋を出ていった。
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