◆ 蒼いびいどろ

□8.青嵐
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【びいどろ 59】



**********



翌日。
お千が訪ねてきた。

「千鶴ちゃん!」
「お千ちゃん!いつも来てくれてありがとう」
「いいのよ、そんな事。
藤堂さんも斎藤さんも居なくなっちゃって、
千鶴ちゃん、一人で辛い気持ち抱えちゃってるんじゃないかと思って。
辛い時には甘いものよ!お饅頭!」
「相変わらず耳が早いね、お千ちゃん……。ありがとう」
「お付きの人、新顔になったのね?」
「うん。幹部が減っちゃったから皆さん忙しくなって。
今は一人にならない方が良い、って、土方さんが気を使って下さったの」
「見覚えある顔だわ。あの人、千鶴ちゃんを守れる位強いの?」
「三番組の中では斎藤さんの次にお強いよ?」
「よく分かんないけど、弱くは無いのね?」
千鶴もその男の腕が隊全体の中ではどの程度か分からないので
曖昧に笑って誤魔化した。
斎藤がやたらと稽古させていたから弱くは無いと思う。

渡された饅頭を一緒に食べながら、お千の話を聞いた。
「昨日、伊東さんたちが島原で騒いでたらしいわよ。
きっと祝杯ね。建白書を作るとか、どういう活動するとかって話で盛り上がっていたようよ?」
「お千ちゃん、ホント耳聰い……」
「上品なお武家さんのそばに仏像みたいな人が居たって言ってたから、
それ、斎藤さんなんじゃない? 伊東さんに気に入られてるのね」
「仏像……」
「だからきっと大丈夫よ!」
「うん。ありがとう」
「それでね。その仏像みたいな人にキャンキャン噛み付いていた人が居たんだって。
絶対藤堂さんよね?」
「お、お千ちゃん……っ。キャンキャン、って、見てた人が言ったの?」
千鶴はクスクス笑った。
「ううん。わーわー騒いでたって言ってた。
でも藤堂さんだとキャンキャンの方が楽しそうで良いと思わない?」
「楽しそうだけどっ」
笑う千鶴にお千はほっとしていた。
それからは、他愛も無い女の子同士の会話を振った。

何かあったら絶対連絡してね。
お千が帰り際にいつも言う台詞だ。
この日もお千は同じ事を言って、半刻ほどで帰って行った。

帰り際、お千は屯所を振り返った。
全盛期を過ぎた団体特有の、鬱蒼とした空気を感じた。


**


それから十日程経った頃。
千鶴は、土方や三番組の男の懸念が正しい事を思い知った。

廊下ですれ違った五番組の組長に、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「何するんですか! 離して下さいっ!」
もがきながら大声で言うと、その組長は吐き捨てるように言った。
「お前のイロはどうやって伊東さんに取り入った?」
「知りません!離して下さいっ」
「黙れっ! 聞かれた事に答えろ、小姓風情がっ」



殴られる!



思わず相手の脛を蹴飛ばした。胸ぐらを掴んでいた手が乱暴に離され、
千鶴は尻餅をついた。
「くっ!この……」
振りかぶった五番組の組長の腕に今度こそ殴られると思った。
腕で防ぎながら目をきつく瞑った。
パン、という何かを叩く音がしたが、痛みは無い。
目を開けると、三番組の男が代わりに殴られたと見て取れた。
「貴様!邪魔をするか!」
「…………」
「なんだその目は!」
五番組の組長の腕がまた上がった。
「やめて!」
千鶴は叫んだが、腕の動きは止まらなかった。
しかし今度は元三番組の男はその腕を掴んでいた。
「貴様っ!」
五番組の組長は腕を振り払うと、元三番組の男に掴みかかろうとした。
「何してやがる!」
「何をしているかっ!」
背後からした土方と近藤の大声に、千鶴はホッとした。

「……。お騒がせを。生意気な隊士を指導しただけです」
五番組の組長はそう言い置くと、さっさとその場を後にして去って行った。
「……チッ」
土方は小さく舌打ちすると、五番組の組長が去って行った方を睨んだ。
近藤から沈痛な溜息が漏れた。
「……人手が足りんからなぁ……」
斎藤、平助のみならず伊東派の組長も居なくなったので、組長の人材が足りない。
五番組の組長の言動に頭を痛めながらも解役出来ない状態だった。

「大丈夫ですかっ」
千鶴は割り込んでくれた元三番組の男の顔を覗き込んだ。
目のそばに一筋の擦り傷があった。爪で掻かれたようだった。
「一発食らっただけですから」
「……悪いな」
土方が元三番組の男に言った。男は苦笑いで土方を見た。
「副長、今度はやり返して良いですかね?」
「ああ、許す。ただし三倍にしてやり返せ」
「承知、承知」
「雪村君、すまないね……」
近藤の申し訳無さそうな声に千鶴は首を強く横に振った。
「気をつけるよう再三言われていたのに、私の注意が足りませんでした」



守られているばかりじゃ駄目なんだと思う。
一人にならなければこんな事は起きなかったかもしれない。
近藤さんや土方さんにこんなお顔をさせる事も無かった。
この人を自分の小姓に置いた土方さんの配慮も、
私の後輩だなんて言って気を使って下さった配慮も無駄にしてしまった。
もう同じことはしない。



「普通は幹部棟でまで絡まれるとは思わねぇからな……」
土方が息を吐いた。
千鶴は元三番組の男を見上げた。
「お茶を淹れに行く所だったんです。ご一緒して頂けますか?」
男は千鶴の目の中の決意に笑顔を返した。
「承知」
男の、子供の成長を喜ぶような笑顔に、
遠慮して一人で行動するより一緒に来てもらう方が正解だったのだと感じた。



私も人を思いやれるようになりたい。
私は何も出来ないから、頂いた配慮を大切にしたい。
応えたい。
自分で考えなくちゃ駄目なんだ。
斎藤さんも平助君も居ないんだから。
今までどれだけ支えられてきたか感じる。
もっとしっかりしなくちゃ。



そんな事を考えながら千鶴は勝手場へ向かっていた。

千鶴の背中を見送った近藤が土方へと呟いた。
「……雪村君は、ずいぶんと良い女になっていたんだなぁ……」
近藤の感嘆に土方は大きく息を吐いた。
「良い面構えするようになっちまったな。
女なんだから、出来るだけ長く呑気に守ってもらっているだけにしておいてやりたかったが……」
「子供っていうのはいつまでも子供のままでは居てくれないもんだよ、トシ。
総司もそうだった。ある時気付くと、大人の顔になっていたなぁ……」
「水差しの中身を酒に変えて喜んでる奴のどこが大人だ」
「……総司の悪戯か?」
「そうだよっ」
「昔の話だろう?許してやってくれ」
「昨日が昔ならな」
「……まあ、水を飲むのも酒を飲むのも、」
「硯の水差しだよ。酒で墨が擦れるか?」
「………………。部屋に戻るか」
「ちったぁ叱ってやってくれ」
「……まぁ……そうだな……」
今後について話し合っていた近藤と土方は部屋に戻り、千鶴のお茶が届くのを待ちながら
話し合いに戻った。
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