◆ ケシパールの君

□【3】モテ期襲来
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【ケシパールの君 15】



***********


斎藤は、店長の指示通り、パールのコーナーにばかり居るようになった。
ただでさえ来店が少なく、平日などは客が1人も店の敷地に
足を踏み入れないような店だったため、
それまで他の商品の接客チャンスは無かった。
が、今、原田が接客中、店長は昼休憩で居ないのに、
ダイヤのコーナーを若い男の客が覗きこんでいる。
自分が行かなければならないのは分かるが、
なかなか一歩が踏み出せなかった。


……ダイヤの値段は、この会社は、品物と金額が釣り合っている。
他の店で高額なものを買わされるより、
この店で買って貰った方が
“客のためになる”か……。


若い男客だった事もあり、
千鶴の言葉を頼りに斎藤は一歩を踏み出した。

「いらっしゃいませ」
「…………」
「…………。」
「…………」
「…………。」
「……見てるだけだから」
「……見るだけなら、ケース越しで無い方が良い」
「……はぁ?」
客の怪訝な顔を見て、斎藤は二つの一石の指輪を出した。
「これとこれは大きさは大差い。が、金額は違う。
グレードが違うからだが。
ダイヤというのは、こうするだけでグレードが違って見えるものだ」
斎藤は、石の上に指を置いた。
「手の脂がつくだけで、輝きは落ちる。
ガラス越しで見るより直接見た方が良い」
「……ふーん。でも俺なんかにはよく分かんないし」
「普通はそうだと思うが?男でダイヤを見る目があるのは
こういう仕事をしているか、たまたま好きな奴だけだろう」
「そりゃそうか。……あのさ、買わないけど。
婚約指輪って、給料の3ヵ月分ってホントなの?」
「嘘だ」
「……。はぁ?あれ、嘘?なの?」
「ここに並んでいるものの金額を見れば分かる。
今はひと月分といったところだな。
3ヵ月分、と言っていたのは、ダイヤがまだ高額だった頃の話だ。
親の世代程度の昔の話だろうな。
為替のレートなども当時と違う」
「……為替ぇ?……って、あんた、ホントにここの店員?」
「…………。」
斎藤は自分の名刺の箱を全部……3つ、客の前に持ってきた。
客は何事かとその3つの箱を見た。
「…………」
「嘘を付くなら、名刺はひと箱しか作らないと思うが?」
「……変な奴だな、あんた……」
客は並んだ名刺の箱と斎藤の顔の間で、
視線を往復させた。
「…………。」
斎藤は名刺を1枚取り出すと、客に渡した。
「……斎藤、さん?」
斎藤は黙ってうなづいた。
「……婚約指輪の下調べ……だろうか?」
「……うん、そう。3ヵ月分は買えないから、
買えるとしたらどれ位かなと思って……」
「予算や、大きさの希望は?」
「安い方が良いんだけど」
「当然だな。ならば、ブランドの店は避けると良い」
「……はぁ?」
何かを勧められるだろうと身構えていた客は肩を落とした。

「一粒ダイヤの価値は、ブランドの店もこの店も変わらない。
だが同じグレードのものでもブランドの店のものの値段は高くなる」
「……なんで?」
「……デザインや、ファッション性、イメージ、宣伝費や看板料……だそうだが。
申し訳無いが、その辺りの良さは俺には分からない。
ブランド店で一つ石を買う意味を説明出来ない」
「……説明出来なくて良いんじゃねぇの?
この店の店員なら」
「……そうなのだろうか?」
「……そうだと思うけど」
若い男は斎藤の顔をたっぷり見た後、笑った。
店員に相談されるとは思っていなかった。
「あんたみたいな変な店員、ブランドの店には居ないだろうし」
「…………。」
変、と言われ、斎藤が思わず黙り込むと、
客は勝手に話し始めた。
「……予算は10万って言いたいんだけど。
ろくなの買えないよな?」
「問題無い」
「…………?」
「婚約指輪という事は、相手も若いのだろう?
若いうちは小さな石でも映える。
年を取ったらネックレスにすると良い。
普段から使うのにちょうど良くなるだろう。
指輪の石は綺麗なものを使う。
ネックレスにすれば、小さな石でも輝きは存在感となるからな。
見栄を張りたいなら、カットの良いグレードの低い物を予算に合わせて選ぶと良い」
「…………」
「だとしたら、この辺りが適当かと思う」
斎藤は出していた指輪をしまい、
別の二つを出した。
石の大きさは同じ位で、10万円のものと、15万円のもの。
「出来たらこちらの方が良いのだが……」
15万円のものを出しながら言った。
10万円のものは斎藤にとっては、グレードが低過ぎカットも悪く、
輝きが鈍く見えていた。
これを勧めたくは無い。

若い男はさっき斎藤がやったように、15万円の方のダイヤを指で押した。
「……触っても、こっちの方はキラキラしてんじゃん……」
「この高い方は、カットのグレードが良いからな」
「?」
「カットが悪いと入った光が前に出てこない」
「……あんたなら、どっちを贈る?」
「俺にそういう相手は居ない」
「あんたさぁ……。居たらって話じゃんかっ!」
客は、ノリの悪い友達にツッコミを入れるような気安さで言っていた。


……そう言われても。
女に縁は無かったから分からん……。
今など特に身近な場所に居る女と言えば店長位で……。
店長ならば、ダイヤよりも……。


「……俺ならば、パールを……」
「は?」
「あ、いや……。
こちらだな。多少無理はするが、
名前だけのダイヤより、光りこそを贈りたい」
「……光を贈る……か。なぁ、その言葉、贈る時にパクって良い?」
「……は?」
「値引きはどれくら……」
「無い」
「ええっ? 前に回った店では……」
「それは最初から値札に、値引きするための金額を乗せている」
「…………マジで?」
「ここにあるもののグレードと金額を覚えて、
前の店に行ってくると良い。
最後には大差無い金額で落ち着くはずだ。
逆に言えば、大差無い金額まで落ちたなら、その、前の店で買っても良いと思う」
「……あんた、商売する気ある?
商売ってのはもっとグイグイ行かないと
今時の客は逃げちゃうよ?薄情だから」
若い男は苦笑した。
「……それは……反省……する……」
反省すると言い出した店員に、客は素直に少し笑った。

「負けた。これ、とっといて貰える?
夜カノジョ連れてくる」
「承知した。これに名前と連絡先を」
「夜来るつもりだけど、週末になるかも」
「承知した。週末過ぎたら店に出す。安心して欲しい」
「……そこは、是非来て下さいって言うところだろ、あんた……斎藤さん?
もっとグイグイいかないと。」
「……反省する……」
本格的に笑って、帰って行く若い男の浮き立った足取りに、
斎藤は息を吐いた。


なんとか怒らせずに帰って貰えた……。
“客のためにうちの店で買ってもらう”か……。
売るというのは、押し付ける事では無いのだな……。
俺でも。
接客が下手でも、売る事が出来る……。
俺でも、この店なら……。


斎藤は片付けをしながら店長の顔を思い出していた。
知らず、もっとそばに居たいと思っていた。



昼休憩を終えて店に戻ろうとした千鶴は
ピアスのコーナーで戸惑いつつ接客しているように見える斎藤を見つけ、
思わず足を止めた。
そして店に走り込んで原田を捕まえた。
「はら、はら、はら、」
「腹踊り?」
「違いますっ」
「腹一杯?」
「違いますっ」
「店長、今、飯食ってきたんじゃねぇのか?」
「食べました!お腹はいっぱいです!
原田さん!斎藤さんが接客してるみたいです!」
「だな。さっきもダイヤの取り置きしてたぜ?」
「…………!」
「店長の教育の成果だな」
ぐりぐりと頭を撫でられてしまった。
「……ただ、商談の仕方もそろそろ教えた方が良いぜ?
“俺”って言ってるわ、愛想無ぇわ、丁寧語ですら無ぇわで、
聞いてて冷や汗出たぜ……」
原田は困ったように肩をすくめた。
「それはもう良いです!緊張してるのかもしれないですし!
斎藤さんが、斎藤さんがピアスの接客してます!」

原田は驚いた顔で千鶴を見下ろした。
「……店長……あれで良いのかよ……」
「斎藤さんらしいって言えばらしいですから!
人間、全員に好かれるなんて事は無いです!
それより、斎藤さんが前向きです!」
驚きと嬉しさをいっぱいにし、勢い込んで言い募る千鶴に
原田は柔らかな笑みを浮かべた。
「……そうだな。あんた、店長向きかもな」
「へっ?」
「斎藤が前の店長に、あのやり方で嫌われてたのは知ってるだろ?」
「はあ」
「あんたみたいな店長なら、頑張る気にもなるだろうよ。
良い店長だな」
千鶴は萎れた。
「……原田さん……。この会社では、良い人より売れる人が正義ですから〜……」
「ま、売れるの前提だな。
でも店長ってのは下に売らせりゃ良いんだろ?」
「そうかもしれませんけど……」
「精々、長く店長で居てくれよ。あんたの下は楽で良い」
「楽されたら困ります……」
「気が楽なんだよ。売る方は任せとけ。
な、斎藤?」
千鶴が振り返ると斎藤が立っており、客は居なかった。
「……嫌味か?」
「ばぁか。褒めてんだろ。頑張ってんの見てるのは店長だけじゃねぇぜ?
土方さんがガツガツしてんのも、
沖田が細かい金額のものまで売ってんのも、
お前に負けたく無ぇからだよ。
今までも顧客捕まえて売り上げてたのに、
店でも売るようになってきたら焦るだろ」
「……そう言うあんたも、話に聞いていたより返品が無いな」
斎藤の言葉に原田は黙った。
自分の客に返品が多いのは知っているが、
対処法が見つけられていなかった。
「あ、それは、当然だったんだなーと思いました」
さらりと言った千鶴に、原田は真面目な顔になった。

「……どういうこった?店長?」
「うちの会社、店員は女の人が多いじゃないですか。
そんな中でたまたま原田さんに担当されたら舞い上がって買っちゃいます。
でもつい背伸びしちゃうから、家に帰って無茶しちゃったって気付いちゃう。
この店は伊東地区長が引き抜いてきたハーレ……む……、
えっと、よっ、よりすぐりの男の人が多いですから、
そういう変な舞い上がり方しなくて済んで、
原田さんの実力通りの結果になってるんだと思いますけど?」
原田は千鶴の顔を少し見つめた後、破顔した。
「…………。伊東地区長のハーレムねぇ……」
「……そこは聞こえないでいて欲しかったです……」
バツの悪そうな千鶴に、原田は面白そうに笑った。
「店長、それは俺が魅力的過ぎるって言ってんのか?」
「違いますか? 前にカノジョ自慢していらしたので、
女の人にモテるのはご存知だと思ってたんですけど」
「…………」
原田は真面目な顔に戻って千鶴に尋ねた。
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