◆ 突発企画 2014 (上半期)

□(幕末)天霧
2ページ/3ページ

【天霧 2】




斎藤が天霧の横に座ると、天霧からは深酒をした人間特有の甘ったるい匂いがしてきた。
足取りにも酒を注ぐ手つきにも酔いは見られなかったが、
店主が言ったように相当飲んだ後だろうと思われた。

斎藤が湯呑みを手に取り一口飲むと、天霧は話し始めた。
「斎藤。あの雪村という娘と離れて、寂しいでしょう」
「……………………。
………………ハ?」
天霧が開口一番切り出してきた話題が雪村千鶴。
斎藤は思わず聞き返した。

「あれだけ惚れ込まれているのに置き去りとは、斎藤、あなたも人が悪い」
「……………………は?」
「斎藤。風間のような男に見込まれ、貴方に去られ、彼女は気の毒です」
「……………………ハァ?」
この男は何を言いたいのか。
斎藤は顔には出さないものの、内心、盛大に首をひねっていた。

天霧は、斎藤の怪訝な目を他所(よそ)に、月を見上げた。
「斎藤。彼女は美しいと言って良い娘です。
うかうかしていると第2、第3の風間が現れますよ」
天霧は月から斎藤に目を向けた。


第2、第3の風間。
その言葉に斎藤は、天霧の意図とは違う方向に思考を向けた。

風間が二人も三人も出てきたら。
雪村は神経を磨り減らして倒れるに違いない。

それに。
風間の歳がいくつかは知らないが、土方と大差無いように見える。
と、すれば、雪村とは10歳以上差があるだろう。
周りからもたらされる結婚話ならその程度の歳の差もあろうが、
“お前は俺の嫁”だのという激しい思い込みの挙げ句、
風間の娘、と言っても通用しそうなほどの歳の差の、若い雪村を追い回す姿は……。

「……年寄りの冷や水……」

「斎藤。何か言いましたか? 申し訳無いのですが、聞き取れなかった」
「いや」
斎藤は短く答えると、ここに座ってから何度目かの手酌で、
いつの間にか空になっていく自分の湯呑みに酒を注いだ。


天霧は、至って真面目な口調で斎藤に更に問うた。
「斎藤。何故彼女の想いに応えてやらないのです?」
「…………………………は?」
天霧は斎藤を真っ直ぐ見ている。
呆気に取られた斎藤も思わず天霧を見返したので、互いに見詰めあう事となった。



想いや気持ちに応えるとか応えないとか。
この天霧という男は、一体何を言っているのか。
それではまるで雪村が俺を……その、何と言うか……まるで……つまり……。
雪村が、俺を好いているようではないか。



「斎藤。あの雪村という娘の気持ちに応えてやれない理由が、何かあるのですか?」
「……あんたは何か勘違いをしている」
「何をでしょうか」
「雪村の護衛は任務だ。
雪村もわかっているから、何かあった時には俺に話しに来ていただけだ」
「……あなたは困った人ですね、斎藤」

何故だ。
そう思ったが口にはせず、黙って酒を口に運んだ。

「斎藤。彼女のあの目を見ても気づかないのですか」
いかにも困ったといった様子で、天霧は首を左右に振った。



困っているのは俺だ。
薩摩や風間などの政治向きの話かと隣に座ったというのに。
何故この男は雪村が俺に惚れているような誤解を、俺相手にブチ上げるのか。
それに。
いちいち、いちいち、斎藤斎藤と名を呼ぶのはやめて欲しい。
鬱陶しくてかなわん。



その時店主が戻ってきた。
「おまっとぉさん。酒買うてきたでぇ」
甕をそのまま天霧と斎藤の前に置いた。
甕ごと出してきた辺り、天霧は今までに相当飲んでいたのだろう、と斎藤は思った。

「……斎藤。あなたは自分の気持ちにも気づいていないようだ」
店主が帰ってきたので、話題が変わるだろうと斎藤は思っていたのだが。
天霧はこの話を続けるらしい。

「自分の事はわかっている」
「そうでしょうか」
「そうだ」
「では、風間があの娘と子をもうけようとしても平気ですか?」

言われてすぐは平然としていた斎藤だったが、奇妙な間の後、
「子っ?!」
と叫んだ。
天霧は、やっと解ってくれたか、やれやれ、という顔をした。
「風間の目的は当初から子供です。
ご存知のはずでしょう」



確かに。
風間が、嫁、嫁、と言っていたから思い至らなかったが。
風間が欲しいのは濃い血を持つ子供。
つまりは。
雪村を相手に、男と女のあーんな事やこーんな事をするつもりでいるのだ。



あの雪村に、あれやこれやをする風間。



斎藤は手の中の酒を立て続けに3杯空にした。



風間……!
破廉恥な……!
風間許すまじ…………ッ!


あの清らかな雪村に対してそのような不埒な考えのもと追い
かけ回すとは不届き千万、万死に値する! どうして旗本だの鬼のお坊っ
ちゃまだのは自己中心的なのだ嫌がっていたではないか雪村はいや俺が
好かれているとまでは言わないが風間よりは嫌われてはいないぞその俺
が大人しく控えているのにあの男はクダラナイ己の欲望の為にあの雪村を追い回して汚そうというのか!以下略。
(……始まったのだよ、斎藤のぐるぐるな長考が…)


風間。
斬る。



斎藤の鉄紺の瞳がうっすらと紫を帯びた。
無表情が常の斎藤の顔には怒りの赤みが差し、
口許は強く引き結ばれ、
湯呑みを握る指先は白くなるほど力が入っていた。

「ご自分のお気持ちに、やっと気づいたようですね」
天霧は満足そうに、重々しく頷いた。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ