◆ 孵る玉子

□11.雪と桜
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【孵る玉子 51】



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伊東の話は、
政治向きの話ではあった。



なのに何故俺たちは、
愛は美しい、という話を
聞かされているのか……。



新八と斎藤は、押し黙って、伊東の演説が終わるの待っていた。


伊東の話を要約すると。
新しい組織を一緒に作りましょう。
そうしたら斎藤君は土方君を気にせず
堂々と雪村君を手に入れる事が出来る、
もう忍ぶ必要も無くなるわ。
ね、そうでしょ、斎藤君を応援している永倉君。


伊東の目的は自分たちの懐柔だとは分かった。
しかし伊東の話は9割が斎藤と千鶴の忍ぶ恋への賛美である。
しかも男同士だと思っているから、
聞いていてゲンナリする。
永倉は、何故自分が斎藤を応援している事になっているのか
理解出来ないが、
面白いのでそういう事にした。
たまに思い出したように政治の話を盛り込んでくるから、
いっそこれは伊東の戦法なのかもしれない。



斎藤は、自分と恋仲だと語られている相手、
千鶴を、少しばかり面映ゆい気持ちで見た。
千鶴は平然とお茶を飲んで天井を眺めていた。
この部屋の天井にはさまざまな意匠の絵が描かれている。
それを見ていた。
千鶴の態度に、斎藤は何故か胸が重くなった。



千鶴は、伊東の話は生温い、と思っていた。

沖田の最近のイタズラは、斎藤が赤くなっただの
千鶴が女みたいだのという事が殆ど。
病気のせいか、派手な仕掛けのイタズラから、
自分を利用した、斎藤への精神攻撃のイタズラに移行している。
沖田の繰り出すイタズラの衝撃に比べれば、
誤解に誤解を重ねただけの長演説の伊東の戯言など
へのカッパである。



伊東さん、まだ誤解してるんだ。
今日は斎藤さんいらっしゃるから、
伊東さんの誤解の事はお任せしよう。
余計な事言って迷惑かけるのも嫌だし。
目端が利くって土方さん言ってたけど、
本当かなぁ。
どこをどう見て、私と斎藤さんが恋仲だと思ったんだろう。
それに今の話だと、斎藤さんは“雪村君”(←超他人事気分)が
相当好きって思ってるよね。
土方さんより“雪村君”の方が大事って、
有り得ないと思うんだけどなぁ……。
どうしてそう思うのかさっぱり分からない……。
あ、あの絵、河童だ。



酒は置かれているが、伊東の立て板に水の演説に
斎藤も永倉もあまり飲む気になれない。
ちびりちびりと呑んでいる。
「あら、貴方たち、意外と飲まないのねぇ。
あ。雪村君、暇?
お酌頼んで良いかしら?
あなたからのお酌ならきっと美味しいわ」
確かに暇なので、千鶴は永倉の杯に酌をしようとした。
「……あら、土方君ったら、意外と教育下手なのね……」
伊東が不機嫌な声を出した。
「ち、千鶴ちゃん!参謀!参謀の杯も空だよっ、
見えなかったなぁ!はははは!」
「あっ、すみません!見えなかったです!あはははは……」
永倉の助け舟に乗って、
千鶴は出来るだけ離れて座って、伊東の杯に酒を注いだ。
注ぎ終わると、千鶴はささっと永倉の隣に戻って落ち着いた。

千鶴が隣に来たのを幸いに、
永倉は千鶴相手にお喋りを始めた。 と、なると、伊東の標的は斎藤。
斎藤は淡々と聞き、黙々と手酌で飲んだ。



心頭滅却すれば、火もまた涼し。



斎藤は頭を真っ白にして、
伊東の話を聞かないことに集中した。

「さ、斎藤さんも、宜しければっ」
斎藤が無表情で手酌で飲んでいるのに気を使い、
千鶴は斎藤の方へ回り込んだ。



そうか。
酌をして貰う間は横に来るのか。



斎藤は次々に飲み干すと、次々に千鶴に杯を差し出した。

喋っていなければ、また伊東の酌に行かねばならない。
永倉のように話しかけて貰えそうに無いと感じた千鶴は、
話題をひねり出して斎藤に話しかけた。
「あ、斎藤さんっ! 以前頂いた本なんですけどっ!
お地蔵様にかけられた手拭いにイタズラ描きがしてあって!
とても可愛かったんです!」
「聞いた話なんですけど、カッパの顔って、
斎藤さんは何色だと思ってますか?
やっぱり緑ですよね!
でも赤いっていう所もあるそうなんです!」
「ちっづるちゃーん!空になっちったー!
俺にもちょっと注いで欲しいなぁ」
「はい!永倉さん!」

永倉は右利き、斎藤が左利き。
それぞれ杯を持つ手は外側の配置に座っているので、
千鶴は右に左にと動き回る。


千鶴と話していない方が、伊東担当。


永倉と斎藤の間に、暗黙の認識が出来た。
と、なると。 千鶴の争奪戦、となる。
いかに早く杯を空け、
いかに長く千鶴との話を続けるか。 永倉と斎藤はそれぞれ知恵を絞り始めた。
永倉は千鶴を笑わせ、
斎藤は千鶴からの話を引き伸ばす。

伊東としては、千鶴が話していない方とは
一対一で話が出来るので構わない。
互いが千鶴を長く引き止めるほど、
片方とは長く話が出来る。

「あっ、お銚子もう全部空っぽです!
私、お酒取ってきます!」
居たたまれない空気を感じて、
有無を言わさず千鶴は部屋を抜け出した。



……とんでもない席に参加しちゃった……。
土方さん酷いー……。
どうして許可出したんですかぁ……。



千鶴は肩を落として酒の追加を頼みに行った。
持っていく、という店の者に頼み込んで、
待たせて貰って自分で持って行った。
少しでも時間を稼ぎたい千鶴だった。

それを何度繰り返したか忘れるほど繰り返すと、
千鶴から見ても、斎藤も永倉も酔いが見えるようになってきた。
しかし千鶴も、この自分争奪戦が終わると
伊東に呼ばれそうで、口出ししにくい。
伊東は喋りまくっているので、
あまり酔っていないようである。
千鶴は酒の追加を取りに行くついでに
手を上に突き上げて、伊東を退ける練習をした。


「ちっづるちゃーん!おかわりー!」
「はいっ!」
「雪村」
「はいー!」
「ちっづるちゃーん!」
「はいっ!」
「ゆき……」
「千鶴ちゃんはほんとちっこいなぁ。
ちょっとおにーさんの上に座ってみなっ」
「へ?!」
「大丈夫だよー、減るもんじゃないから!」
「はぁ。減るなら良いんですけど、増えたら困りますから」
にっこり。
「大丈夫! おにーさん頑丈だから、
増えても平気平気!
よいしょっと!
お、これなら酌して貰いやすいな!」
強引に膝に乗せられた。
ここへ来る時に、危なくなったら膝に来い、
と言った永倉だったのに、これでは逆。
それでも伊東の横よりは百倍マシ。
千鶴は苦笑いで大人しくしていた。



あーあ……。
永倉さん、本格的に酔ってきてるー……。



「返せ」
横から伸びてきた腕に引っ張られた。
いつの間にか胡座になっていた斎藤の膝に乗せられ、
腕の中に捕まった。



わー……。
斎藤さんも酔ってきてるー……。
お酒臭い……。
……タスケテ。
助けて土方さんんん!!!
頼みの綱の斎藤さんまで酔ってますーっっ!!



「うふふ。可愛い。斎藤君ったらヤキモチね。
でね、永倉君っ!」
「おう。そうなんだよ、伊東さん!
あんた話が早いねぇ!」



……わー……。
永倉さんがぁ……。
伊東さんと仲良しにー……。



「………………。」



あれ?
斎藤さん?



杯を突き出して来なくなった斎藤に、
千鶴は頭を巡らせて斎藤を見ようとした。
斎藤と目が合った。
「あんたは、こんなに小さい癖に
こんな席に来るとは、
自覚が足りない。
何かあったらどうするつもりだ。
だいたいあんたは……」



……これが噂に聞く、斎藤さんの酒癖のお説教かな?
一通りお説教したら寝ちゃうって聞いたんだけど。



千鶴は大人しく返事をしながら聞いた。



……内容は正しいから、言われても別に気にならないなぁ……。
皆さんは、酔った斎藤さんのお話の
何が嫌なんだろう……?
……うーん。同じ話が出てくるのは
ちょっと……だけど。



「こんな小さくて、柔らかくて、温かいくせに、自覚が………………
……………………………………
………………」
「……斎藤さん?」



あ。
寝た。



とりあえずここに捕まっていれば、
伊東の傍には行かなくて済む。
千鶴はこれ幸いとじっとしていた。 千鶴が永倉を見ると、伊東と盛り上がっている。
聞いてみると、永倉は、近藤や土方の悪口を喋りまくっていた。
土方さんの門限が早いだの、
近藤さんは女好き過ぎるだの、
他愛も無い事を繰り返している。
伊東はいちいち聞きながら、
巧妙に“新選組への不満”に話を持っていく。
酔っ払った永倉の話を辛抱強く聞いて相槌を打ち、
話をすり替える。
永倉はそれに同調していた。



……伊東さんって、やっぱり話上手なんだ……。



背中を悪寒が走った。
永倉と伊東を離した方が良い気がする。
自分などがこんな事を考えるのは出しゃばりな気がするが、
嫌なゾワゾワが消えない。
千鶴は斎藤を起こそうと、身をよじった。
「斎藤さん、斎藤さん」
「…………。」
「すみません、起きてください」
「起きている」



……嘘です。
頭はまだ寝てますよね。



「すみません、もっと起きてください」
「……また夢か……」
「へ?夢?!」
視界がくるりと回った。
天井の絵が見えた。



え?!
斎藤さん、倒れちゃった?!
そう言えば、飲み過ぎて死んじゃう人も居るって……!



「斎藤さん、だいじょう……へ?!」
斎藤の手がゴソゴソと腹の辺りで何かを探している。



何?!
え?!
帯?!
袴の帯!
それ!袴の帯!



「斎藤さんっ?!」
「あら。斎藤君ったら、気が早いこと」
伊東の目が三日月になってこちらを見ていた。



この際伊東さんでも!



「すみません!助けてくださいっ!」
「はいはい。うふ。いつもそんな風に
私を見てくれると嬉しいんだけど」



早く助けてっ!
脱がされちゃうっ!



伊東はこちらに来ると、斎藤の肩を叩いた。
「斎藤君。お部屋は別にちゃんと用意させてあるから、
そっちにお行きなさいな。
そういう趣味なら止めないけれど」



止めて!
伊東さん、斎藤さんを止めてー!

聞いてない!
斎藤さんにこんな酒癖あるなんて誰も言ってなかった!



千鶴は必死に伊東を見たが、伊東は斎藤と目で会話していた。
「……恩に着る」
「うふ」
「へ?!」
体が浮いた。
斎藤は千鶴を抱えると、歩きだした。
酔っているとは思えない足取りだった。
伊東は斎藤の為に襖を開けると、
「行ってらっしゃい」
と扇子を振った。

「伊東さんよぉー、斎藤なんざほっとけ、ほっとけ!」
「はいはい」
「……な、永倉さんの裏切り者ーっ!!」
千鶴の悲鳴は永倉の耳に届かなかった。



「どこだ?」
静かな斎藤の声に、千鶴はホッとした。
何か考えがあってあんな事をしてのかもしれない、
と思えた。
「何がですか?」
「伊東さんが言っていた部屋だ」
「さぁ?」
「ふむ。片っ端から見るか」
「はぁ。あの、その前に降ろしてください」
相手が斎藤でも、酔っ払いに抱っこされるのは転びそうで怖い。
「駄目だ」
「……はぁ、そうですか」
斎藤は次々に襖を足で開けていく。



器用。
斎藤さんって、意外と足癖が……。
両手塞がってるから仕方ないかー……。



「……ここか」
「……。……。降ります!斎藤さん!私降ります!」
部屋を見た千鶴は、全身の肌を粟立てた。


部屋の真ん中に真っ赤な布団。
2つの枕。
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