九生

□08
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 六華の意識が浮上した時、身体に感じる振動と耳に入ってくる風を切るような音から、自分は今車の中にいるのだとすぐに理解した。
 それでもまだ眠気が強く、目を開けることを億劫に感じた彼女は、結局諦め微睡みに身を任せることにする。
 そしてその体勢のまま、ぼんやりする思考で、どうして今の状況になっているのか記憶を掘り起こしてみることにした。
 ―――確か、ミセスの自宅に紹介されて、話が盛り上がって、夕食を頂いて……ああそうか、寝落ちたのか。
 猫は、一日の半分以上を寝て過ごす。それはヒトの姿になっても変わることはなくて、お邪魔している身にも関わらず、限界を迎えてしまったのだと内心頭を抱えた。
 ―――あとで、ミセスに謝らなければいけませんね…。
 あと、この人にも。六華は反省しつつも、左隣にいる気配に意識を持っていった。
 隣でこの車を運転している人の息遣いや匂い等から、迎えに来てくれたのは誰よりも忙しい立場にいるスティーブンなのだということを知った六華の胸中は、申し訳なさでいっぱいになった。
 猫の姿で事務所で一日を過ごしている六華は、同室で仕事に追われている彼の姿を知っていた。時には事務所に泊まり込み、徹夜を繰り返す日々があったことも。
 そんな彼に、こんな事で足労させてしまったことに罪悪感が募った。
 ―――もし、許可がもらえたら。書類のお手伝いでもさせてもらえればいいのだけれど。
 そこで思考に限界が来た六華は、もう一度眠ろうと意識を手放す。
 だから。
 「―――綺麗だな」
 車が停まったことも、紡がれたその声も、頬や唇に触れた感触も。
 寝入ってしまった六華は、気付くことが出来なかった。

 次に目が覚めたとき、六華の視界に入ってきたのはよく見慣れた天井だった。
 どうやら自分が二度寝している間に事務所に着き、スティーブンが部屋まで運んでくれたようで、また迷惑をかけてしまったと溜め息を吐く。
 くあ、と欠伸をして、毛繕いをしようと身体を起こそうとしたところで、ようやく自身の今の姿が猫ではなくヒトの姿のままだったことに気が付き、サアッと顔が蒼くなるのを感じた。
 ―――猫の姿ならまだしも、この姿で事務所まで運んでもらったっていうの…!?
 自分の失態に今度こそ頭を抱える六華の耳に、誰かの呼吸音が聴こえ弾かれるように顔を上げる。
 そして音源―――人間(ヒューマー)には聞き取れない程微かなそれ―――の元へ金色を向けると、六華が横になっていた長ソファの向かい、一人用のソファに深く腰掛けた状態で眠っている、男の姿があった。
 「ミスタ・スターフェイズ…」
 ―――どうしてこの人は、こんな時間にここにいるのだろう。
 疑問符を浮かべながら、部屋の中を見渡す。 カーテンのない窓から見える月はまだ高い位置にあり、壁にかかっている時計は深夜の三時を指していて、彼の仕事机上にあるパソコン画面からは光が洩れている。
 ―――また、仕事をしていたのか。
 恐らく、わたしを此処に送り届けたあと、仕事の続きをしていたのだろう。そして今は仮眠中…といったところ。そう推測した六華は、自分にかけてあったブランケットを手に持ち、夜目を効かせてスティーブンの元へ近づいていき。
 起こさないようにそっと、ブランケットをかけた。
 「……ありがとうございます。ミスター」

 「……それと、ごめんなさい」
 男の耳元で呟かれた黒猫の懺悔は、誰にも聞かれることはなく。
 秒針を刻む時計の音に掻き消された。



(信じてくれている貴方たちに)
(わたしは、話していないことがあるの。)



 吸血鬼との関係も、変身できること、血の能力も、レオナルドを助けた理由も、全て正直に答えたけれど。
 ひとつだけ、知られる訳にはいかないことがあるのです。



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