僕はオトコに生まれたかった。

□拍手LOG。
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くえないオトコたち。


 先触れもなく訪れたその人物は、不自然な頭部を少しも気にさせない笑みを浮かべながら、向かい合うように座した応接間のソファで己が主のごとく組んだ足を少しゆらし、挑戦的な笑みをこちらに投げつけていた。

 いくら身分が自分より上の人間と雖も失礼が重なれば不愉快になるのは当然で、けれどやはり身分が上の人間であるので、苛立ちをなんとか腹に抑え込みつつ僕は口を開いた。

「突然のご来訪でしたので、なにかお急ぎの御用かと思ったのですが、どうやらただ気まぐれにご子息の友人に会いにいらしただけのようですね」

 ふう、と呆れ混じりに吐き出した溜息が、ティーカップから立ち上る湯気を揺らす。飲む気にすらならない薄紅色の液体を見つめていると、ようやく目の前の人物が笑み以外の形に唇を変えた。

「今日はね、息子の見合いの日なんだよ」

 もったいつけるように告げられたのは、先日、本人から重々しい声で聴かされたものと同一のもの。こちらの反応を窺っているのか、男はティーカップに口づけながらも視線を寄越すのをやめない。何が見たいのか。慌てふためく姿でも想像していたのだろうか。もしもそうだとしたならば、随分と過小評価されたものだ。

「良い、結末になると良いですね」

 薄くなりとも笑む。

 目の前の人物は、僕たちの秘密を知っているわけではないだろう。ただこの男は、僕を揺らがせたいだけなのだ。ただ一人の友に、今までお互いを一番としてきた友人に、守るべきものができればそれ以外何も持たない僕が独りきりになるぞと言外に告げ、動揺で取り乱す様を見たいだけなのだ。

 馬鹿にするな。

 一人で家名を守ってきた。今更孤独を目の前に用意されて、狼狽えるものか。

「結末……ね。私が一声奔らせれば、取りやめることもできるぞ?」

「何が言いたいのです? 私が『唯一の友と引き離さないで欲しい』とアナタに縋るとでも?」

「おや、言わないのかね」

 意外だと言わんばかりに片眉を上げて見せた男に、こちらも肩を竦めて応える。

「君は、つまらないように見えて、実に面白い男だ」

「ほめことば、と」

「ああ、もちろん。ひとつ聞いてもいいかね?」

 今更、と思いつつも肯きを返す。

「もし、私が君に縁談を持ち掛けたらどうする?」

 それは意外な問いだった。この男の紗をかけたような言葉は今に始まったことではないが、僕へ何かを行うことを例えるということだけはしなかった。そしてどんな気まぐれをおこそうとも、<僕を使う><僕に使う>ことはしなかった。

 余程の驚きに、思わず顔に出てしまったのだろう。男はくつくつと愉快気に笑い、

「君のそんな顔を見られるとはね。期待させたなら悪いが、私は今日手ぶらでここに来たんだよ。もしも、の話だ」

 奥歯で苦虫を噛んだ。

「アナタからであろうと、そういったお話はお断りすると決めています」

「ほう?」

「生涯、伴侶はもたないと」

「家を継ぐ者がいなくてもかね?」

「期がくれば養子でも探しますよ。アナタの」

 悟られない短さで、息を吸う。

「息子さんに生まれた御子なら、素晴らしい跡取りとなってくれそうだ」

「いくら貴方でもそれは!」

 男の傍らに控え、今まで黙していた侍従が一歩踏み出すのを、男は片手を持ち上げることで制止した。

「失礼を、申しましたか?」

 侍従には一瞥もくれずに男だけを見つめて言えば、男は依然笑顔を保ったままの感情の見えぬ表情で顎を僅かに上げて視線を返し、

「いいや? 君にそこまで言ってもらえて光栄だよ」

 喜怒哀楽などひとつも入っていない口調を、ここまで笑顔で吐きだせるとはさすがと言うべきだろうか。

「しかし、興がそがれたな」

 ふむ、とぽつりと呟いているが、どうせ飽きたか何かだろう。これしきのやりとりで不興をかうなら、この男は今ここにいない。

「では……」

 と、男はおもむろに僕の前にあるティーカップに手を伸ばし、中の液体を一口含んだ。侍従が「旦那様!」と咎めの声を上げる。

「置き土産だよ」

 かちゃり、とソーサーの上に戻されたカップを覗き込む。量以外何の変哲もない。不審に思って男を見やるが、男はゆっくりと立ち上がるだけで答えを示しはしなかった。

「見送りは結構。せっかく用意した土産だ。存分に楽しみたまえ」

 追って立ち上がりかけた僕を片手で制し、不自然な頭部を隠すように帽子を被った男の言葉に、ようやく僕は真意を知る。

 思わず唇を噛んでしまい、男が笑った。

「まだまだ若いということだね」

「……私で遊ぶのは、勘弁願いたい」

「また来るよ」

 もう来るな、と心の中で返して男が部屋から出ていくのを見届ける。ぱたん、と控えめな音と共に扉が閉まったのを確認してから、ソファに身体を落とした。

 ひどく、疲れた。

 大した会話などしていないのに、男の威圧感が僕の疲労をこれでもかと引き出した。あの食えない御仁が、アイツの父上だとは何度言われても信じがたい。

 ずるずると行儀悪く尻をずらし、背もたれにかかるのは頭だけになったところで視線をティーカップに向けた。

「どこまでご存知なのやら」

 せっかくの<置き土産>を頂くために身を起こし、ティーカップを手に取って、くいと呷る。少しだけ残すようにして、すでに温くなっていた中身を一気に喉に流し込んだ。

 乱暴に置いたカップとソーサーの音がいやに室内に響く。まるでそれが合図だったかのように、扉が二度叩かれた。

「入れ」

 短く告げると、能面の侍女が姿を現す。

「お下げしてもよろしいでしょうか?」

「構わない」

 まだティーポットには中身が残っていたが、それを飲む気は初めから無い。そもそも<置き土産>でなければ、カップの中身を飲む予定すらなかったのだ。それを侍女も承知していたのだろう、重いティーポットには何も言わずにいたのに、少し残ってはいるが空になったティーカップを見ると「あら?」と言葉を零した。

「飲んだのは僕じゃない」

「承知いたしました」

 厳選に厳選を重ね採用することにした侍女は、それきり言葉を発さず静かにすべてを片づけると部屋を出て行った。

 短く、溜息をつく。

 結局あの男は何をしにきたのだろうか。単に暇をつぶしにきたのか、他に何か目的があったのか。本当に僕を揺らがせたいだけだったのか、それともオモイを探りにきたのか――。

「それはないな」

 もしそうだとしたならば「伴侶はもたない」と言ったときに、遠まわしに何故かと問うてきただろう。特に気に留めず流したのだから、そこは心配せずとも大丈夫なはずだ。

 ふう、と今度は長く溜息を吐きだしたとき、再び扉を叩く音がした。応を返すと、先程と同じ侍女が入室せぬまま、

「旦那様、ライリ様が御越しになりました」

 普段はいつの間にかやってきていつの間にか帰っているのに、こういうときだけきちんと手順――唐突ではあるが――を踏むのは僕の心を慮ってのことだ。

 用意されたのは動揺や哀切を身の内にしまい、<友>として相応しく迎える準備のための時間。

 目を瞑り、

 そして開く。

「――通して」

「畏まりました」

 やがて近づいてくる気配。

 扉を叩く音に、今度は声でなく自らの力でそれを開いた。

 目の前に立つのは、最愛の人。

 うまくいったのか?

 うまくいかなかったのか?

 僕がそれを問うことはない。

 うまくいった。

 うまくいかなかった。

 どちらを答えられても、それがどちらの意味かわからないから。

 だから、

「おかえり」

 それだけを言うと、彼は一呼吸だけ置いて笑った。

「ただいま」

 彼の父とは似ても似つかない、柔らかな笑みだった。



 〜幕〜



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