僕はオトコに生まれたかった。
□拍手LOG。
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とある夫婦の物語
「ふ、文香!!」
己の妻の名前を呼んだ男は、顔面蒼白で書類片手に震えていた。
ふるふるふる、と白い紙が小刻みに揺れる。
対して男の妻は、始終柔和な笑みを浮かべたままだ。
「はい、なあに? 厚志さん」
「僕は、ココロって言ったよね!?」
妻の両肩を掴んで揺さぶらんばかりの勢いで書類を指差す。しかし、妻はなんら焦った様子も戸惑った様子も困った様子もなく、顎に人差し指を添えて笑顔のまま首をかしげた。
「あら、そうだったかしら?」
「そうだよ! 君は、『わあ、素敵なお名前』って言ったじゃないか!!」
男のモノマネに、「似てるわぁ」ときゃっきゃと笑う妻。普段は笑顔を返す男も、今この時ばかりは厳しい顔を返さずにはいられなかった。
「文香! 僕は真面目な話をしているんだよ!」
「ん〜……そうねぇ、そんなことも……あったような気もするわ。でも難しかったんだもの。お役所で忘れちゃったんだわ」
「忘れちゃったって……」
「いいじゃない。可愛いでしょ? ニイって」
妻のあまりの楽天さに男はガックリと肩を落とした。そして手にしたままの書類をしばらくじっと見つめてから、大きな溜息をつき、目の前でニコニコ微笑む妻を見る。
ああ、可愛いな。と思えるのはいつまでだろうか。けれど、きっと自分はこの先も、この笑顔に敵うことはないのだろう。
「……そんな君と知ってて結婚したんだ。こんなママだけど、守ってやってくれよ、仁意」
このとき、多川厚志は思いもしていなかった。この想定外の名前をつけられた息子が、天然すぎる妻に似てしまうなどと――。
――End.