おくりもの。
□Crossroad
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いつもの学校帰り。気がついたのは、穴場スポットの本屋に向かおうと伊織(いおり)と歩いていたときだった。
「いいいいい、伊織!」
切迫したわたしの声に、伊織が慌てたようすで「どうした!?」と駆け寄ってくる。そんな伊織の胸ぐらをつかんで、わたしは至極真面目な顔で言った。
「い、伊織、わわわ、わたし、天使を、天使を見つけてしまったわわわわ!」
「…………今のは俺の幻聴か? そうか、そうだな、ここ最近暑いもんな、まったく嫌になる……。さ、真知(まち)、今日はもう帰ろうか。アイス奢ってやるから」
長い独り言を終えた伊織に掴まれた手を振り払って、わたしは先ほど通ったばかりの十字路の、振り返って右側の道を指差す。
「あそこ! あそこにいたのよ!」
「真知……お前、今のうちに幻聴ってことにしとかねぇと、俺はもしかしたらお前を病院送りにすることになるかもしれない」
頭を抱えようとする伊織に焦れて、伊織の腕を引っつかんで十字路右側へと放り投げた。
「ちょ、なにす……え」
ほら、どうだ。
わたしはドヤ顔で、伊織の隣に並んだ。
「超ド級猫耳尻尾白髪白肌少女はっけーん!」
最初はただ、カーブミラーに太陽が反射しただけかと思った。しかし、ここは車が通れる幅ではないし、そもそもが今までカーブミラーなんてなかったはずだ。だから少し気になって、ちらりと視線だけをやった。
気のせいかと思った。
とうとう幻覚まで見始めたと思った。
むしろ幻覚を見れた、と思った。
こんな幻覚ならどんと来い! と思った。
何故って?
だってだって、猫耳少女が! 白肌白髪の少女が! 瑠璃色の瞳をキラリと潤ませた少女が! 道の真ん中に立っていたのデスカラ!
「なんだ、お前の仲間かよ」
「ばっか伊織! わたしとあの子を一緒にすんじゃないわよ! あの子とわたしは月とスッポン並に違うのよ!?」
「容姿はな」
それは言い返せない。
「そこを言い返せよ。幼なじみとして悲しいわ」
「とにかく、あの子はわたしごとき、いちオタクと並べちゃいけない存在なのよ! 見てごらんなさい、あのコスプレの完成度を!」
「……ただのハーフの子供なんじゃねえの。耳は……まあ、あれだ、猫耳キャラクターとかの子供向けのおもちゃだろ」
「子供だろうが、コスはコス! ……痛っ!」
どん、と胸を張れば、伊織に頭を叩かれた。
ただでさえバカな頭なのにこれ以上バカになったらどうしてくれる、と睨めば、伊織は「これ以上バカになりようがねえだろ」と返してきた。わたし、声に出してないのに。
「ってか、そんなことより、あの子迷子なんじゃね?」
確かに、コス少女はウロウロわたわたと戸惑っているようだった。目的がある風にも、散歩している風にも見えない。
「あらま、じゃあ声かけ」
「お前は待ってろ、俺が行く」
「なんでよぉ!」
「自分の胸に聞いてみろ」
と伊織が言うので、自分の胸に手を置いて聞いてみる。
どうして伊織はわたしに行くなと言うの?
…………。
…………。
…………。
無言。
結論、伊織の一方的な暴言。
しかし確かにこの場は伊織に任せたほうがいいだろう。なんせ、わたしの面倒を見てくれるくらいの世話好きな男なのだから。
「おい」
伊織がしゃがみ込んでコス少女に声をかけた。
コス少女はびくりと肩を震わせた。
伊織の背中が哀愁を帯びた。
「伊織……」
背中が切なすぎて涙が出そうだ。
びくびくと震えるコス少女は、恐る恐るといったふうに口を開いた。
「……だ、れ?」
うっわ、声も可愛いなにこれ完璧うわわわわ。
コス少女の声の可愛さに、顔に熱が上るのを感じながら――言っておくが、わたしの趣味はまともだ……いや、オタクとかそういうのじゃなくて――ようすを見守る。
「お兄ちゃんたち、別に怪しいもんじゃないんだよ……」
語尾が小さくなっていくことで、伊織の表情は見なくてもわかる。頑張れ、負けるな、伊織。少女に怯えられたくらいでなんだ。
「ただ、君が困ってそうだから気になってさ」
伊織の言葉に、コス少女は俯く。
「ごめ……なさ」
「なにを謝ることがあるの!?」
「バカ真知!」
満面の笑みのわたしを振り返って慌てる伊織。もちろんコス少女は先ほどの比じゃないくらいに肩を震わせた。
しかしわたしは取り繕うこともせず、伊織の顔をグッと、両手でわしづかんで、コス少女の方へ向ける。
「このモブキャラを村人Aに昇格できるのは貴方だけなのよ!? さあ、使ってやって! ボロ雑巾のようになるまで!」
「村人Aってそんな過酷なポジションだったか!?」
叫びながらわたしの手を振り払い、伊織は改めて、といったようすで目の前の少女に向き合った。
「この姉ちゃんにくらべたら、俺の怪しさなんて石ころみたいなもんだろ?」
「ごめんなさ……い」
え、ちょっと待って。それは先ほどに引き続き、怯えてごめんなさいということですか。それともわたしが怪しいってことですか。
「で、迷子か?」
コス少女はこくりと頷いた。
「名前は?」
「……小雪」
「名前まで可愛い……」
「黙れ変態」
小声で伊織が暴言を吐いた。
「小雪は一人? 誰かと一緒だったのか?」
「…………あ、の」
コス少女――小雪ちゃんは、ゆっくり、それでもきちんと、言葉を紡ぐ。
「諒、お兄ちゃん、と……お出かけ、して……、気がついたら……いなくて」
しょぼん、と耳と尻尾を項垂れさせる小雪ちゃん。
「……ん? 耳と、尻尾が動い……?」
「俺もまあ気がついてたんだが、あえて言わなかった」
わたしも空気くらいは読めるので、伊織の言葉の真意を悟り、おとなしく、叫びたいのを我慢して、小雪ちゃんの声を待つ。
「全然、知らない……場所で」
力なく震える声。
わたしは一瞬誰かと重なって、苦笑した。
「どうしたら、いいか……わからな、く……て」
「小雪ちゃん……」
「……はい」
おどおどと、それでも返事をくれる。
こんなに怯えているのに、すぐに逃げてしまえるのに、わたしたちを見ても、声をかけても、逃げなかった少女。
「たとえばここが、貴方の世界ではなかったとして」
唐突な話題転換に、小雪ちゃんはもちろん、伊織も怪訝そうな顔をする。
「貴方の知ってる……本の世界だったとして」
そこで、物語の中に生きる人たちに出会ってしまったなら。
わたしは肩にかけていたカバンを、ぎゅっと握った。
「貴方はなにをする? なにができる?」
試すように、けれど確信するように、わたしは思い出のなかの人の言葉を、真似た。
「行くところがない、知っている人がいない、だから諦める?」
「真知、その言い方」
伊織が止める。けれどわたしは止(や)めない。
小雪ちゃんは、フルフルと首を左右に振った。
「探す……探してる……」
――ほら、こんなにも。
「ねえ、小雪ちゃん。名前を呼んでご覧? 大きな声で……きっとそれが貴方の世界ならば、届くはずだから」
だって、貴方は、強いもの。
か弱く見えても、その心は確かに、強いもの。わたしなんかとは、全然違う。
そんな貴方の声が、誰にも聞こえないなんてこと、あるはずはないから。
小雪ちゃんは、すう、と息を吸うと、大きな声で――それでもわたしたちには小さかったけれど――名前を呼んだ。
「りょーぅ! おにーぃ! ちゃーぁん!」
「…………」
「…………」
辺りに微かに木霊した声の余韻が――収まった。
伊織が、誰も来ないじゃないか、期待させるなよ、という非難の目でわたしを見る。
わたしだって、この展開は予想していなかった。
俯いて唇を噛む小雪ちゃんに、どう謝ろうかと思っていると――。
「――小雪!」
男の人の声が、小雪ちゃんの名前を呼んだ。
ハッと顔を上げた小雪ちゃんは、表情を喜色に染め上げた。
「諒お兄ちゃん!」
ダッと走り出して、<諒お兄ちゃん>が広げた腕の中に飛び込む小雪ちゃん。
よかった、と安堵して視線を上げ、わたしはある一点に目を奪われた。
「いいいい伊織伊織伊織!」
バシバシと背中を叩きながら伊織の名を呼ぶ。
「ちょ、いいところなんだから抑えろって」
これが抑えられずにいられるだろうか。
なんせ、小雪ちゃんを迎えにきた諒お兄ちゃんとやらも、狐耳と尻尾あーんどイケメンなのだから!
ここまで狐耳が似合う人間は、アニメや漫画でしか見たことがない。
翡翠色をした瞳――ヤバイ、なにこれ素敵――が、わたしを見た。
「貴方たちは?」
少し不審者を見る目だ。ちなみにその視線は、わたしにビシビシと痛いくらい注がれている。何故だ。普通そこは、男である伊織になんじゃないのか。
「あー……、俺たちはなんかそいつが迷子みたいだったから声かけただけ。ちなみに、コイツはただのオタクだから気にすんな。こういう仕様だ」
何故そこでお兄ちゃんは同情の目で見る。伊織を。
「大変なんだな……」
「わかってくれるのか」
「なにそこシンパシー感じ合ってんの!? わたしに失礼! 意味わかんないけど、わたしに失礼な気がする!!」
むきー! と地団駄を踏んでいるわたしを哀れんだのかそうでないのか、小雪ちゃんが、トトト、と駆け寄ってきた。
思わず、胸がドキドキと高鳴る。
「お姉ちゃん……」
「お姉ちゃん……だと!?」
ビクッとする小雪ちゃんの後ろから、伊織の声。
「こういう仕様だ」
「そういう仕様だ」
さっき会ったばかりのお兄ちゃんまで!?
小雪ちゃんは、小さく頷くと、ポケットからなにかを取り出した。そしてそれを、わたしの前につき出すと、小さな声で、
「ありがとう……ございました」
つき出されたのは、タンポポの花だった。黄色い花びらが幾重にも重なっている。
「……こちらこそ。でも」
わたしは小雪ちゃんの手からタンポポを受け取って、そしてそれを――小雪ちゃんの耳元に刺し入れた。
「小雪ちゃんの方が似合うよ。わたしは、小雪ちゃんが笑ってくれればそれでいいの」
わたしが言うと、小雪ちゃんは少し驚き、少し戸惑い、少し悲しげな顔をしたあと、笑った。
「きゃー! かわいい! 抱きしめたい!」
「やめろ!」
伊織の怒号が飛んできた。
わたしは唇を尖らせてふてくされたあと、あることを思いつく。
「小雪ちゃん……また迷ったら、名前を呼ぶのよ」
囁いて、タンポポに、口付けた。
本当は、どんな小さな花でも、受け取りたかったけれど。それはできない。
「こら! 真知!」
「さ、お兄ちゃんが待ってるよ」
少し背中を押してやれば、お兄ちゃんのもとへと小雪ちゃんは駆け出して行く。
小雪ちゃんとお兄ちゃんは微笑み合うと、わたしたちに一度会釈をしてから、去って行った。
「なんでタンポポ受け取ってやらなかったんだよ」
伊織の声に、わたしは小さく返す。
「……タンポポは、いつか枯れるから」
この世界は少女の世界ではない。だから、わたしのようになにも置いて行っては、なにも持って行っては、いけない。
「でもどうか、わたしの願いだけは、持って行って……わたしの代わりに、叶えて……」
わたしが会いたい人は、わたしの世界にはいないから。
「……本屋行くんだろ?」
「あ! そうよそうよ! 今日は発売日が延期になった漫画がようやく発売されるのよ! 急がなきゃ! 伊織、置いてくわよ!」
「おい! 走るな、転ぶぞ!」
「いーおーりー! はーやーくー!」
――わたしの声は、もう二度と、届かないから。
夕暮れの中、小さな影と大きな影。
小雪は耳元のタンポポに触れながら、諒を見上げた。
「タンポポは……どうして、色んなところに、生えてるの?」
「小雪は白いタンポポ、見たことないか?」
「……ある。この間……京夜お兄ちゃんが、たくさん飛ばしてたの、見た」
「きょ…………。ま、まあ、あれは、タンポポの種なわけだが……風が吹くと飛んでいって、色んなところに散って、そこで芽吹くんだ。特別なことなんて、なにもしなくていい。だからたくさん、色んなところに生えている」
「じゃあ……これも、いつか……飛ぶ?」
てっきり「そうだな」という言葉が返ってくると思っていたがしかし、諒から返ってきたのは曖昧な否定だった。
「それは根がないからな……どうだろう」
「そっか……」
しゅんとした小雪に、諒は慌てて付け足す。
「いや、花瓶に挿しておいたらなんとか、なるような、ならないような、気もしなくないような……。あ」
「あ……。やっと知ってるところに……出た」
どうにも見覚えのない道を歩いていたのに、急に視界が開けたと思ったら、それはいつもの商店街だった。
「こんなところに裏道なんてあっ、た……っけ」
「諒お兄ちゃん?」
振り向いて動かなくなった諒を不思議に思い、小雪も倣って振り向くと、目に入ったものに大きく首を傾げた。
「道が……ない?」
今まで通ってきたはずの道は消え、ただ壁がそこに在るだけだった。
もしかしたら二人揃って白昼夢を見ていたのかもしれない。そう思わずにはいられないが、小雪の耳元に刺さったタンポポがそう思うことを許さない。
狐につままれたような――それはそれで複雑だが――気持ちで、二人は互いにそのことについてはなにも言わずに家路についた。
数日後、九条庵から白い綿毛が飛んでいった。
小雪はそれを見つめながら、あの二人に届きますように、と、祈った。
〜END?〜