僕はオトコに生まれたかった。番外編

□初めまして、愛してる。
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※IF:記憶を憶えてる方が逆だったら※




 苛々する。

 無性に。

 どうしようもなく。

 いっそ憤るほどに。




 昔から人間が嫌いだった。特別過去に何があったわけでもないのに、とにかく人間を嫌悪していた。中でも女はなおのこと嫌いだった。自分の性さえも、憎んでしまうほどに。

 女特有の一人称すら使うことが嫌で、「僕」と口にし続ける娘を心配した両親に病院に連れて行かれたこともある。けれど「性同一性障害」ではないと診断され、そうして自分でも気がつかないうちにトラウマを抱えたんではないかと推測されただけで原因は明らかにされなかった。

 両親はなんとなく心当たりがあるのか、なにかを納得したようだ。恐らくは幼いころ暴漢に襲われかけたことを思い出したのだろう。彼らは僕がそのことを忘れていると思っているが、僕はしっかり覚えている。恐怖を抱いていないので、今まで口にしたことがなかっただけだ。だってそうだろう。期待していない人間という存在が罪を犯そうとしたことを知ったところで、「やっぱりな」と納得する以外なにがあるというのだ。

 そんなわけなので、僕の中では<人間嫌い>の原因は依然として謎なままである。解ったところで果たしてこの憎悪ともいえる悪感情が消えるかといえば、たぶん、そうはならない。そう感じるから、僕は僕自身をありのままに受け入れていた。

 それでも不可解な部分が一つある。

 無性に、苛々するのだ。

 苛々する(その)ことに憤りを覚えるほどに、時折酷く、時折強く、得体のしれない何かに苛立つ。そのことだけは、どうにかしてほしい。

 そんな思いを抱えながら十六年生きてきたが、未だに解決策も原因も究明されない。

 梅雨も明けかけた六月下旬。高校入学約三か月目。今日も今日とて苛々を抱えながら通学路をとぼとぼ歩く。

 生温い風に、はたはたとスカートが靡き忌々しい。一度、スカートの下に短パンジャージを履いて登校したらすぐに校則違反で生徒指導に注意され、反省文を書かされた。それ以来、ショート丈のレギンスを履いているがそれでも傍から見れば履いているかどうかなんてわからない。数メートル先にいる朝っぱらから道に迷っているらしき男も、僕がスカートを厭うていることなど、微塵も気づきも――否、思いもしないだろう。ジャージを履いていても、そこまで気がつきはしないだろうが気分の問題だ。

 憂鬱を隠しもしない僕の表情に驚いたのか、誰かに道を聞いていたらしき男がふとこちらを振り返ると、目を瞠った。それこそ極限まで。目を丸くするとはこのことなのか、と思ってしまうほどに。

「――――」

 男が呆然と何かを呟いた。三文字。三音。零れ落ちたように。

 知り合いだったろうか。

 記憶を探っても、目の前の整った顔立ちの高身長な男に心当たりはない。勘違いか、僕の背後に何かがあるのだろうと気にせず歩を進める。と、突然男がこちらへ駆け出してきた。明らかに僕を見ていてぎょっとする。思わず足を止めてしまうと、男は僕の前で立ち止まり、両手を上げて僕の肩を掴んで、

 まるで、

 泣きそうな顔で、

 言った。




「愛している」




 ――は?

 この男は、何を言ったのか。

 愛している、と言わなかったか。

 誰に。

 僕に。

 初めて会った、よりにもよってこの僕に。

「朝から変質者に遭遇するとはついていない」

 舌を口内で強く打てば、男は予想外だというように息をつめた。まさか己の顔の良さを過信して、受け入れると思っていたのではあるまいな。

 いつもと違う苛立ちが心を撫でる。

「お前、覚えていないのか?」

「ハジメマシテ」

 人違いかよ。

 あからさまに嘲笑してやっても、男は冷静だった。否、愛の告白をした相手が目当ての人物ではなかったことに動揺はしていた。それでも僕の肩から手を放さず、弁解も、取り繕いもしないようすは間違いなく<冷静>と呼べるものだ。

「放してもらえます?」

「放したら逃げるだろうお前」

「通報してもいいんですよ」

 ポケットからちらりとスマートフォンを見せる。防犯ベルでもよかったのだけれど、それは怯えていると捉えられる気がしてやめた。そう思われるのは悔しい。

「俺のせいか」

 当然だろうが。ほかにどこに通報されるべき人間がいるというのか。

「なあ……きっと戯言だと吐き捨てられるだろうけど、聞いてほしい」

 開口一番戯言を口にしておいて今さら何を。

 呆れが顔に出ていたらしく、男が苦笑した。

「ごめんな、アルト」

 ――あ、る、と。

 その音が名前なのだと本能的に察した。瞬間、今までずっと感じていた苛々が勢いを増す。

 感情のまま両手を振り払おうとしたけれど、何故かできない。

 身体が震えているのに気がついたのは、男が優しく肩を撫でたからだ。

 男は僕を、とても、とても優しい目で見ながら、




「遅くなったけど、迎えにきたんだ」




 ああ。

 ああ。

 ああ。

 ああ。

 今まで抱えていた苛々が――、爆発する。

「放せ……ッ! お前なんなんだよ! 愛してる? 迎えにきた? は? 意味わかんない! 僕はお前とは初めて会ったし、アルトなんて名前じゃない!」

 男は黙ったままだった。

「ああ、もしかして人間違いして引っ込みがつかなくなった? それはご愁傷様、お前の愛もその程度ってことだね!」

 男は黙ったままだった。

 その瞳に湛えた優しさをそのままに。

「ッ、僕は今お前と初めて会ったけれど、お前のことは大嫌いだよ! ただでさえ嫌いな人間の中でも一番、お前が嫌い! そんなに愛を囁きたきゃ、その辺にいる女にしろ! お前ほどの顔なら、囁かれりゃ女ごとき一発で堕ちるだろ!」

 男は黙ったままだった。

 困ったように、黙ったままだった。

「ッ、苛々する! なんだよ! なんなんだよお前! なんで僕なんだ……ッ! 苛々する! 今まで、今までどんなに苛々してもちゃんと抑えられてたのに……っ、お前のせいで、こんな」

 ままならない。

 憤りを込めて胸を押すと、そこで初めて男が口を開いた。

「ああ、そうか。お前」

 そして。

 本当に、本当に大切なものに触れるようにして僕の頬に手を添えて。

「さみしかったんだな」




 ――先程必死に飲み込んだ言葉が、目から零れ落ちた。




「そうだよな、自我が芽生える前から一緒にいたんだもんな。それに、俺がお前の心を半分持ってるんだ、寂しくて当然だよな」

 何を言っているんだ。

 自我が芽生える前ってなんだ。

 僕の心を半分持ってるってどういう意味だ。

 口にしたい言葉は、すべて、すべて、目から流れ出てしまって。

「ごめんな、もっと早く迎えにこられたらよかった」

 そんなこと、聞きたいんじゃない。

 そう首を振るけれど、伝わらない。

「お前を独りにしないって誓ったのに、ごめんな」

 ごめんって何。

 お前は、お前は何も悪くないじゃないか。

「今度は絶対、護るから。お前の優しさだけを、信じるから」

 どうして。

 どうして。

「だから、なあ」

 今度こそ、と、男の両腕が僕を包み、耳朶に唇が触れる。





「俺も連れて逝って」





 もう、駄目だった。
 
 両手は男の胸元を掴み、足から力が抜けて頽れ、視界から境界線が消えて、喉から音が盛大に漏れた。

 僕と一緒に地に膝を着けた男は、慰めるには相応しくない力を腕に込め、頬を僕の頭に擦りつける。

 頭上の動きに溢れた感情はたぶん、「愛おしい」で。

 嗚咽の隙間から、言葉が落ちた。




「――ま……ってた」




 待ってた。

 初めて会ったこの男を、僕はたぶん、ずっと待ってた。

 この男がいないことが耐えられなかった。だから苛立ち、虚しさを憤りで誤魔化した。

 何故、初めて会った男を<待ってた>のかは解らないけれど。それは恐らくこの男が教えてくれるのだろう。

 男は僕の言葉に、ふふ、と、とても、とても幸せそうな笑みを漏らして、

「お待たせ」

 と、言った。





 僕は十六年待ったのだから、どうか君ももう少しだけ待ってほしい。

 十六年分のオモイを空にして、君をハンカチにしたら言うから。


「君を愛してる」


 それまでどうか、もう少しだけ。





 初めまして、してる。 END




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