僕はオトコに生まれたかった。番外編

□ビターバレンタイン
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 高校二年、冬。

 俺は気に入らない教師を睨み付けながら、生物の授業を受けていた。

 その教師――大和斉は、整った容貌と高い背丈、生徒に対して大雑把でありつつも邪険にはしない人柄から、女子によくモテた。

 毎日毎日飽きもせず大和を取り囲む女子たちも気に入らないが、それに少しも鼻の下を伸ばすことなく当然のような顔でいる大和はもっと気に入らない。

「お前は、斉先生が鼻の下伸ばしてても気に入らないんだろ?」

 友人の青木がそう言いつつ呆れたような顔で俺を見ることさえも大和のせいな気がして、俺の苛立ちは増していく一方だ。

 今日はバレンタインデーということもあって、いつもはそんなに気にならない行動ひとつひとつが特別癇に障る。

 授業が始まる前、大和は女子たちにプレゼントを渡されていた。そのすべてを一応は「恋人がいる」という言葉で拒否の姿勢を見せていたようだが、どうせ「一人から受け取ると全員からもらわなければならない」という、俺とは無縁のいけ好かない理由からだろう。実際、諦め悪く押し付けるような形で一人が教卓の上にプレゼントを置き去りにすると、他の生徒がそれに便乗してあっという間にそこには山が築かれた。視界の片隅でちらちらと喧しい色が主張していて鬱陶しい。

「モテない奴の僻みだな」

 青木から零れた言葉を鼻息で吹き飛ばし、目の前の巨体を見やる。

 黒いカッターシャツの長袖を肘辺りまで捲り、ほどよく筋肉のついた腕で板書をしている様はほぼ嫌味だ。むしろ逆に、女子生徒にモテるために必死になっているのではないかとさえ思えてくる。

 ぶつぶつぶつとぼやき続ける俺に、青木は付き合っていられないとばかりに溜息を吐いて広げたまま真っ白だったノートに向かった。やはり彼女持ちに俺の気持ちはわからないか、と唇を尖らせていると、

「ねえねえ、いいこと教えてあげよっか」

 そう声をかけてきたのは青木と反対側の席の女子。名前は確か――芳沢(よしざわ)

「アタシ、料理部なんだけどね」

 教えて、と乞う前に芳沢は話し始めた。

「バレンタインに料理部だけが知ってるイベントがあるんだけど知りたい?」

 「教えてあげよっか」と話をもちかけてきたというのに、何故「知りたい?」と聞かれなければならないのか。俺は別に、料理部のイベントなんてどうでもいいし、大方大和にチョコレートを作るとかそういう鬱陶しいものだろう。

「あのね」

 と、再び芳沢は俺の言葉を待つことなく継いだ。

「料理部にはバレンタインにだけ、斉先生とお菓子を作るっていう極秘イベントがあるんだよ」

 ――は?

「なんかね、彼女にバレンタインのチョコを作りたいらしくって。江木先生――あ、顧問ね――に頼んで参加してるみたい。そういうわけでバレンタインだけ、斉先生料理部員になるんだ」

 だから今日もくるはず、とウキウキとしたようすの芳沢から、もう一度大和に視線をやる。今度は睨み付けるのではなく、不可解なものを見るように。

 現在進行形で気だるそうに授業をするあの男が、彼女のためにお菓子を作るとは到底信じられない。しかも料理部の極秘イベントになっているということは、毎年のことなのだろう。

「いいよねぇ〜、あんなにかっこいいのに彼女想いって、彼女さん羨ましすぎぃ」

 そうは言うけれど、もしかしたら<彼女>は毎年別人なのかもしれないではないか。高校在籍中に二回――卒業式直前まで参加するなら三回だが――しか訪れないバレンタインでなら、大和の事情が変わっていたとしても<料理部>に気づかれることはないはずだ。

 しかし芳沢は、ふふふ、とカーディガンの袖で口元を覆いながら笑った。

「それがわかるんだなー、<その話>も代々料理部に受け継がれてるからね。先生が料理部の男子たちに受け入れられてる理由もソレだし」

 料理部は女子だけではなかったのか。ならば男子部員も俺と同様さぞかしイライラさせられているだろうと思ったのに、受け入れられているとはどういうことだ。料理部男子は全員度量が広いのか。

「少しでも先生の事情が変わったら、あんたほどじゃないにしても攻撃的になると思うよ、うちの男子」

 あんたの度量は狭すぎる、と言外に含まれた言葉は聞き流して、<その話>とやらを教えてくれと今度こそ乞えば、芳沢は再び楽しそうな笑みを浮かべて言った。

「いい? 先生は、毎年バレンタインには、わざわざ料理部に混じってまで彼女にお菓子を作ってるの。毎年よ」

 先ほど聞いたことを、念を押すように告げる彼女に眉根が寄る。そんな俺のようすに薄く笑って、

「それだけ今は覚えておいて。明日、アタシが教えてあげるから」

 そしたらあんた斉先生を嫌いだなんて思えなくなるわ、と自信たっぷりな言葉で芳沢は話を打ち切った。

 よほどの話らしいが、見当もつかない。

 もしや、彼女に一途だということを話したいのだろうか。それとも調理中に出るであろう、最新の惚気話でも教えてくれるつもりなのだろうか。どれもこれも、ますます嫌いになりそうな話である。

 大和を好きにならなければならない理由もないだろう、と言われてしまえばそれまでなのだが、どうにも落ち着かないのだ。それは恐らく大和が<良い人>だからだと思う。<良い人>を嫌う自分は<悪い人>のような気がして。また、心の奥では<良い人>だと認めているからこそ、嫌い続けるためにわざわざ<嫌いな部分>を探しているような気もしている。

「なんでお前、そんなに斉先生のこと嫌いなの?」

 授業後、青木の問いかけに俺は小さな、小さな声で返した。

 ――橋崎さんが、あいつのことを好きだって言ってたから。

「くだらねえ」

 青木の呆れた声が、すべてだった。





 翌日、理科室で昨日のことを思い出した俺は、芳沢に<その話>とはなんなのか、と尋ねようとした。がしかし、ちょうど大和が理科室に入ってきたタイミングとぶつかり尋ねそこねてしまう。

 仕方がないので、また授業中にでも訊こうと週番の「起立」の声に立ち上がったとき、芳沢がちらりと俺を見てから大和に向けて叫んだ。

「先生! 本命さんからバレンタインもらえましたー?」

 大和の視線が出席簿から芳沢へと移る。数拍――おそらくその数拍で芳沢が料理部であるということを思い出したのだろう――を置いて、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「おう、今年ももらえたわ」

 片手でガッツポーズをする大和に、俺は片眉を上げる。まさか、芳沢の言っていた<話>とはこれのことではあるまいな。こんなの、なんの証明にもならないではないか。俺の敵意だって無くなりはしない。

 しかしまだ続きがあったようで、芳沢は周囲が着席しても依然立ったまま、

「今年も三十円チョコ一個ですかー?」

 と訊いた。

「三十円……?」

 呟いたのは青木だ。

 教室中が「まさか」と眉根を寄せるなか、大和だけは幸せそうな笑みを浮かべたまま、

「ああ、今年はきなこもち味だった」

「よかったですね!」

「サンキュー」

 そうにっこり笑って手を振った大和は「さ、授業だぞ」と出席簿を開いた。

 芳沢もそれに釣られるようにして着席し、どうだと言わんばかりに俺を見る。

 俺は困惑していた。

 隣の青木が、俺の肩を叩く。

「斉先生、三十円チョコ一個であんなに嬉しそうにするなんて、片想いなのかな? 彼女いるって言ってたけど断る方便だったってことかね?」

 違う、違うよ青木。

 大和が――大和先生がチョコを貰った相手は、片想いなんかじゃなく、ちゃんとした彼女なんだよ。しかもその彼女には、わざわざ料理部に混ざってまでお菓子を作ってプレゼントしているんだ。それも、毎年、毎年。

「ね?」

 芳沢の声に、俺は両手で顔を覆って何度も何度も頷いた。

 確かに、あの笑顔は嘘とは思えないし、バレンタインに三十円チョコを本命――しかも恋人――に渡す女性などそういまいから、ずっと同じ彼女に作り続けているのだろう。

 話を聞いただけの俺でさえこんな気持ちなのだ。実際作る過程を目の当たりにしている料理部男子など、もっと深く思っているはずだ。


 ――先生、可哀想!!


 この日から、俺の大和先生を見る目は180度変わった。



 End.


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